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沖縄とコンブ [ 沖縄と食]

昨年末、初めて沖縄に行った。その旅行記をHPにアップしてから、沖縄のことを少しずつ調べている。

沖縄は1人あたりのコンブ消費量が多い。出汁に使うだけでなく、よく食べる。それが長寿の秘密だなどとも言われる。ところがコンブの生産地は南国の沖縄ではなく、北国の北海道だ。なのになぜ沖縄の消費が多いのか。
比較的知られた話題なのだが、少し調べてみた。

理由は江戸時代にさかのぼる。


家康は中国(明)との貿易を望んだ。しかし明は自らの冊封国(属国)以外とは貿易を行わない。加えて、秀吉の朝鮮の役のことがあって明と日本とは国交断絶の状態だった。そこで家康が目をつけたのが琉球を通じた中国貿易だ。琉球にあった琉球王国は、明の冊封国でもあり、中国へ朝貢するともに中国から特産品を送られる進貢貿易を行っていた。その琉球をねらった。薩摩藩(島津氏)も領地拡大と琉球との交易に目をつけていた。そして1609年、薩摩藩は家康の了承のもと、琉球を侵略して王国を支配下に置く。琉球王国は、形式上は中国の冊封国のまま、実質的には薩摩藩の従属国となった。そして琉球を介した中国貿易が行われる。

 

さてコンブの話だ。江戸時代、北海道には松前藩があった。もともと北海道はアイヌの国だから、その一部を和人の領地としたということだ。(和人が本格的にアイヌの国を侵略するのは明治になってからだ。)松前藩の主要産品がコンブだ。和人が採ったものもあるが多くはアイヌとの交易品だ。幕府はその松前藩に北海道産コンブの販売独占を与えた。そのコンブは北前船で大阪に運ばる。これがさらに琉球を介して中国へ輸出される。

1636年、明朝が倒れ清朝が成立すると日本と中国との国交が回復すると、鎖国政策のもとでも出島を通じて中国貿易が行われるようになる。この転換とともに薩摩藩の琉球を通じた中国貿易が活発化したようだ。鎖国時代だから抜け荷、密貿易だ。薩摩藩は大阪でコンブを買い、琉球を通じて中国へコンブを密輸出し、代償に漢方薬(当時はみんな漢方薬だけど)を密輸入した。この薬を売ったのが富山の薬売りで、またコンブを薩摩藩へ送ったのも彼らだった。薩摩藩はこの密貿易で成した財で武器弾薬をそろえ、それが倒幕の基礎になった。

さてコンブが中国へ輸出されるとき、質の悪いもの上等でないもの中国に送られずに那覇の港で降ろされ、琉球の庶民に広がったらしい。というわけで、北海道のコンブが沖縄にまで渡り、沖縄ではコンブをたくさん食べるようになったらしい。そして富山のコンブ消費量が多いのも同じような理由があるそうだ。


 
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