奥尻の観光地(5):津波記念館 [旅行先]
奥尻島の南端・青苗は港町。
1993年7月12日午後10時17分に起こった北海道南西沖地震の津波と火事によってそこは甚大な被害を受けました。
とくに津波被害の大きかった青苗岬の先は住民が高台に移転して、その跡地は公園になり、「奥尻島津波館」も建てられた。
その津波館を見学しました。
◆徳洋記念公園
岬の先は徳洋記念碑のある公園になっています。
丘の上に「時空翔」、奥に「奥尻島津波館」がある。
◆奥尻島津波館
北海道南西沖地震の災害の記憶と教訓、そして全国から寄せられた復興支援への感謝を後世に伝えるために、この「奥尻島津波館」が建てられた、そうです。
入館料600円をお支払いして、中に入りましょう。
開館時間:4月~11月末(期間中は無休)
入館時間:9時~17時15分
料金:大人600円・小中高生200円・団体(10名以上)10%割引
ロビーの奥に展示スペースがある。
「映像ホール」では、北海道南西沖地震の発生メカニズムから災害そして復興への姿をつづった「災害の記録」が観られます。
まずはこれを観るのがいいですね。
無料でガイドしてもらえます。
光っているのが奥尻島のかたち。
地図ではもっと小さい。
その北側で地震が発生したんです。
地図を挟んでオブジェが2つ。
1つは「振動」。地震そのもののイメージ。
もう1つは「波・炎」。地震以上の猛威を振るった津波と火事のイメージ。
地図の奥には小窓が開いた壁。
「198のひかり」という、亡くなった方々の命を祈っています。
「ドキュメント北海道南西沖地震」の展示では、奥尻の過去と地震から復興までの様子を模型などで示しています。
いくつかを紹介します。
当時の写真をたくさん展示してあります。
津波で家や船が押し流され。
さらに青苗地区では火災が発生した。
震災被害。それぞれの地区での死者・行方不明者、全・半壊戸数。
かつての奥尻での漁家の様子。
イカの産地で、家族でスルメをつくっていました。
イカを切っている人が手にしている包丁が、逆さまだ!
そうなんですよ、とガイドさん。
イカの胴体を裂くために、包丁の刃を上向きにしますよね、だって。
ぉぉおお!確かにそうです!
ここの模型たちは、すっごい細部まで正確に作り込まれているようです。
地震のときの様子。
地震発生は午後10時17分なので、床の中で大地震を迎えた人も多い。
そしてすぐに津波を逃れるために逃げなければならなかった・・・。
フェリー乗り場から見える「観音山」という小さな山で崖崩れが起こった。
そのふもとにあった「洋々荘」というホテルがその下敷きになって、観光客を含む29名の方が命を失った。
その観音山に、壁画が掲げられていたけれど、2009年10月に撤去されたそうで、観ることはできませんでした。
大きな津波の第二波が、徳洋記念碑が立つ青苗岬を襲う。
津波によって防波堤が裂け、家は流されてしまう。
復興のつち音。
岬の先に住んでいた方々は高台へ移転し、ここは公園にされた。
震災後の青苗岬の様子。
津波と火事とで壊滅した。
そこに公園が建設された。
津波とは全然関係ない、島の遺跡から発掘された「ヒスイの勾玉(複製)」や遺物も展示されている。
◆時空翔
津波館のある丘に建つ慰霊碑。
黒御影石でつくられた円盤みたいな石碑です。
くぼみは、震源地となった南西沖を向いています。
地震のあった7月12日に海に向かって石の正面に立つと、くぼみの中へ沈む夕日を観ることができるそうだ。(夕日の写真は津波館にあったもの。)
麻生直子作の鎮魂詩「覚えていて下さい」の石碑。
時空翔から振り返ると、入口の壁に石碑がある。
コンクリートの壁には犠牲になった方々の名前が刻まれている。
◆徳洋記念碑
青苗岬に1931年(昭和6年)に建立された、高さ16.7メートルの碑。
「洋々美徳」と揮毫されたこの記念碑は、北海道南西沖地震の津波に耐え抜いた。
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