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浦上天主堂に想う@長崎市 [旅行先]

家族で長崎に旅行したときのことです。
もう1つ真面目な記事です。

原爆資料館前の階段を降りて、平和公園の中へ入りました。

壊れた煉瓦の壁が建っています。
浦上天主堂の一部です。

爆心地から500mのところにあった浦上天主堂は、原爆によって一部の壁を残して破壊された。
その様子は、原爆資料館でも見ました。

1958年に、天主堂再建のため、残った壁がここに移動されたのだそうです。
でもたったこれだけです。

壁上の石像はザベリオと使徒だそうです。

原爆の傷跡として残されたのは、これだけ。
広島の原爆ドームの迫力とは全く違います。
どうしてこれだけなの?って想います。

本当に、なぜなんでしょう?

「如己堂」を見て、現在の浦上天主堂へ向かいました。

浦上天主堂の外の壁際に、熱線で黒く焦げたり、鼻や腕、指がもぎとられたり、頭部を欠いた石像があります。
ちょっと展示してあるって感じです。

現在の浦上天主堂。
ほぉ!立派ですね。

ところで、1945年の原爆投下で以前の天主堂が破壊されました。
その再建が始まったのは1958年。
しかし破壊された天主堂は、なぜ広島の原爆ドームのように残されなかったのでしょうか?

いや実は、当初は市によって保存することになっていたんです。
しかし、ある時点を境に市長の態度が豹変してしまった。
そして議会の猛烈な反対を押し切って、撤去の決断を下すにいたるのです。

なぜ、そんなことになったのか。

そこには日米の隠された闇があったのです。

高瀬 毅『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』(2009年、平凡社)が、その真相に迫っています。
この本の内容については、ここを参照ください。
http://booknote.sblo.jp/article/33881981.html

端的に言うと、
原爆によって破壊された浦上天主堂の廃墟の残骸は、アメリカから見れば、反核、反米感情を刺激する建物であり、キリスト教徒の上に同じキリスト教徒が原爆を落とした罪の象徴として忌まわしいものである、ということです。

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

  • 作者: 高瀬 毅
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 単行本


初めて長崎に来て、いろいろと考えさせられました。

ともあれ、長崎旅行はこれでお仕舞いです。
これから福岡に向かいます。

実は、長崎発の帰りの飛行機をとれなくて、福岡空港から帰るからなんです。

次回からは福岡での家族旅行です。


 
タグ:長崎県
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コメント 2

マーチャン

被爆の恐ろしさを一番知っているはずの日本が
原子力に頼り、事故を起こしています。悲しいです。

by マーチャン (2012-05-13 06:16) 

とんちゃん

> マーチャンさん
そうですよね。
でも原発を推進している人たちは、
原爆と原発は違う、って思っているんでしょうね。
by とんちゃん (2012-05-13 21:15) 

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