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博多山笠が奉納されるわけがありました 東長寺@福岡 [ 神社仏閣]

食べ歩き福岡編は前回でおしまい。
食い物ネタ期待の方は、しばらくお休み下さい。(笑)

また観光ネタです。っていうか、お寺めぐりです。

地下鉄祇園駅の1番出口を出た所にある東長寺。
正式名称は南岳山東長寺。

「九州八十八ヶ所第一番霊場」の看板が掲げられています。

お寺の前には、市の案内板が置かれています。

寺伝によると、806年に唐から帰国した空海(弘法大師)が博多に滞在したときに創建したとされているそうです。
密教が東に長く伝わるようにと祈願されて「東長密寺」と名付けたそうです。

福岡藩二代藩主・黒田忠之によって再興され、現在地へと移され、黒田家の菩提寺の1つになりました。

かなり新しい大仏殿があります。
この中に「福岡大仏」があるんです。
高さ10.8m、光背は16.1mの高さで、木造(檜)の坐像では日本一の大きさの大仏ですって。
1988年から4年かけて完成したもので、新しい大仏です。
新しいのはどうもなぁ・・なんです。

残念ながら撮影禁止なので、建物だけね。
大仏の姿は、よかなびwebでご覧下さい。
 →http://yokanavi.com/jp/theme/detail/203

1842年建立の六角堂。
中には弘法大師像ほか6体の仏像が置かれ、厨子扉には当時の文人・墨客の書画を蔵されているそうです。
毎月28日に開帳ですって。

この六角堂、元々は櫛田神社横の「神護寺」に建立されたものですけど、明治時代の廃仏毀釈のときに、東長寺境内に移築されたものですって。

えーっと、どういうことだろ・・・。
ちょっと調べてみたら、こういうことのようです。

「神護寺」は神仏習合の考えから櫛田神社に建てられたもので、その神護寺が櫛田神社を管理していた。
っていうか神社がお寺に吸収されてしまったんです。
だから当時、櫛田神社には独自の神官がいなく、神護寺の住職が櫛田神社の神官を兼ねていたはず。
すごく変ですけど、そういう時代だったんです。

そしてその神護寺は、なんと東長寺に属していたんです。
だから東長寺の住職が櫛田神社の神官を務めていた(たぶん長期間でしょう)。
博多祗園山笠のときには、東長寺に山笠の奉納が行われているんですけど、その理由はここにあったんですね。

1868年、明治政府が神道国教化の準備に「神仏分離令」を出すまで、きっと神官を務めていたんでしょう。

その「神仏分離令」をきっかけに廃仏毀釈運動が起こって、その神護寺が取りつぶされてしまって、櫛田神社は晴れて独立した。
それで六角堂は神護寺の親玉の東長寺に移転した、ってことですね。

無くなった神護寺の跡地には現在、櫛田会館が建てられているそうです。
そういえば確かに櫛田神社に櫛田会館がありましたよ。

もっと奥に移動すると・・・

真新しい五重塔があります。

寺の創建1200年を記念して新しく建立されたもので、2008年に着工、2011年完成したものです。

これまた新しすぎて、どうもな・・。

その隣にも建物がある。
ここは「大師堂」だったようです。

十一面観音、聖天、摩利支天を祀ってある。

賽銭を入れて、大きな数珠の縄を鳴らすようになっています。
これは面白いです。

さっき見た、お寺の前にある案内板には、周辺にある名所の地図があります。
ガイドマップにもある「承天寺」へ行ってみましょう。


 
タグ:福岡県
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