SSブログ
 

三宅島の神社:御笏神社(おしゃくじんじゃ) [ 神社仏閣]

今回も、もう1回神社ネタです。

三宅島の神社をもう1つ拝見しました。

神着にある「御笏神社」。
提灯が下がっていて、お祭りの準備のようです。

毎年7月に「天王祭」が行われるそうです。

祭神は、事代主命の后である佐伎多麻比咩命となっています。

境内社の写真も2つ撮りました。

金比羅神社。

なんだかわからん(笑)

 

さて、御笏神社と道路を隔てたところに「島役所跡」があります。

三宅村の案内板が建物について説明してあります。

「この建物はもともと神着村東郷の地域にあっ たが、永正13年(1516年)に御笏神社が 神託によって現在地に遷宮された関係から、18年後の天文3年(1534年)にこの地に移転したものである。
 建物の面積はおよそ四十六坪、現存している 木造建築では伊豆諸島の中で最古最大の規模を 誇り材質はすべて椎の木が使われている。特に 注目されているのは「カンナ」が全く使われて いない建築様式で、主として「手斧」で仕上げ られた貴重な建築物として東京都の文化財に指 定されている。(後略)」

興味深いので道路下に見に行きました。

ほぉ!立派な萱葺きの家です。

東京都教育委員会の案内板は島役所の説明が書いてあります。

「三宅島役人の壬生氏は島内の神社を統括する神官で、御笏神社地内に居を構えていました。江戸時代には伊豆代官配下の手代が三宅島に派遣され、御蔵島と合わせて支配していましたが、まもなく島民の中でも有力な神官の壬生氏が島方取締役に任命され、1638年には地役人と呼ばれるようになりました。(後略)」

壬生氏は古くから神官であり、かつ島の政治的統括者だったわけです。

よく見ると「壬生明彦」の表札がかかっています。

ここ御笏神社と次ぎに紹介する富賀神社の宮司さんは、今も壬生さんで、ここに住まわれているようです。

島役所跡と言いながら、いまだ歴史が生きている、というところです。

建物の前には大きなソテツ。

篤姫ゆかりのソテツね。樹齢150余年だそうです。

これまたすごい木です。

ビャクシン。
ヒノキ科の常緑樹。東京で最大級ってわけで、東京都指定天然記念物になってます。


『三宅記』によると、三島明神は三宅島に3人の后を置きました。
一宮が伊賀牟比賣命、二宮が伊波乃比咩命、三宮が佐伎多麻比咩命です。
それぞれが后神社(きさいじんじゃ)、二宮神社、そしてこの御笏神社になっています。

ここが「御笏神社」と呼ばれるのは、先にみた案内板にあるように「古笏」云々という説があります。
でも祭神が「さきたまひめ」だから、「おさき神社」が訛って「おしゃく神社」になった、と考える方がいいように思います。

ここの祭神は、事代主命の后である佐伎多麻比咩命となっていました。
でも「事代主命」の后というのは不正確。
前回紹介したように「三島大明神」=「大山祇命」の后です。

御笏神社の案内板にあった、境内に14社が祀られているとは「合祀」されているという意味。

でも実はここには、18社があるそうです。
http://www.genbu.net/data/izu/osyaku_title.htm

小さな境内社が4つあります。
・熊野神社:須佐之男を祭神とする天王神社
・太子堂:応神天皇を祭神とする八幡神社
・金刀比羅神社:大物主神を祭神とする神社
・稲荷社:豊受比咩命を祭神とする神社

18社のうち上記の4社を除く14社が本殿に合祀されている、ということのようです。

案内板には、毎年七月に行われる天王祭は、文政三年(1820年)の頃から伝わる 島内屈指の大祭、だも書いてあります。
「天王」とは牛頭天王のことで、八岐大蛇を退治した須佐之男(スサノヲ)です。
牛頭天王祭りは、須佐之男を祭神とする天王神社のお祭りってことですね。
合祀されている「天王宮」のお祭りです。

 

三宅島役場HPにある「歴史」にこんなことが書いてあります。
http://www.miyakemura.com/databankrekisi.html

「平安時代初期、来島したとされる壬生氏は、三島大明神を奉り、大明神の代官として集団来島し、初代壬生御館から始まり、その後島長・神官としておよそ1000年にわたり三宅島の祭政を統治してきました。壬生氏は三宅島の神々を三島大明神の后神・子神に再編し、代表神に雄山噴火を祀る富賀神社(とがじんじゃ)を仕立て、石の築地を作るなどしました。また壬生氏は海上交通の能力を持ち、 伊豆国との交易や行政的な連絡を行い、その勢力を保持したものとみられています。」

もともと三宅島には地元の村神としての神社があった。その数は約200とか。

前回書いたように、三島氏が摂津から伊豆の白浜へ、そして三宅島に来た。
その一族の壬生氏が三宅島を治めて、それら神社を三島明神所縁のもとに再編成した、ということのようです。


 
nice!(10)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 10

コメント 2

ヨッシーパパ

立派なソテツですね。
by ヨッシーパパ (2012-08-02 19:10) 

とんちゃん

> ヨッシーパパさん
ソテツって、しっかり見たことがほとんどないもんで、よくわかんないんですけど。
樹齢150年っていうんだから、やっぱりかなり立派なんでしょうね。
by とんちゃん (2012-08-03 23:05) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0