被災地の様子:仙台市 [3.11以後]
東日本大震災で宮城県も大きな被害をうけました。
津波の被災地が現在、どうなっているのか。
少しだけですが見て参りました。
仙台市の中心部から海岸までは、6キロほどの距離です。
南の名取川と北の北七田川の間に若林区があります。
その若林区の荒浜地区に行きました。
仙台市の市街地(白っぽいところ)と海岸の間には水田(灰色のところ)が広がっています。
3.11の震災前には、海岸には松林(黒い部分)があり、その中に「荒浜地区」の集落がありました。
(日本地理学会 津波被災マップより)
3.11の津波は赤い部分に押し寄せました。
多くの農地が海水をかぶり、ガレキ混じりの土砂が積もった。
そして紫色の部分は、集落があって多くの住宅が押し流されたところです。
海岸へ向かうと被災した田んぼが広がっています。
まずはガレキ混じりの土砂を丁寧にはぎ取る。
次ぎに田に真水を入れ、塩分を地下に浸透させて除塩をする。
水を張って除塩している田は来年には田植えが出来るでしょう。
しかし海岸に近づいていくと、まだ全く手つかずの田んぼが広がっています。
「荒浜地区」の震災前の様子です。
松林が切れたところに、びっしりと住宅があるのが見えます。
荒浜集落の東端に沿って走る道路が県道10号線(塩釜亘理線)です。
しかし津波によって、住宅も松林もすっかり消滅してしまいました。
実際にはこういう様子です。
何も、なくなっている・・・。
津波で流されたバイクや農機具の墓場。
実はここは、荒浜小学校の校庭なんです。
荒浜小学校HP:http://www2.sendai-c.ed.jp/~arahama/
地震発生後、地域住民320人が荒浜小学校に避難してきました。
津波は小学校の2階にまで達し、4階や屋上まで住民や生徒が誘導されたそうです。
住民や生徒は、壊された校舎で寒さに震えながら一昼夜を過ごし、翌日3月12日に屋上から自衛隊のヘリコプターで救出されました。
これは体育館。
この体育館は、津波で水没したそうです。
周りには壊れたボートが置かれている。
この様子はgoogleでも確認できます。
校庭に整然と並んでいるように見えるのは、壊されたバイクやボートです。
そして周囲には消失した住宅の跡が広がっている。
海岸に向かうと、【東日本大震災慰霊之塔】がありました。
2011年12月、旧漁協支所の脇にこの慰霊塔が建立されたものらしい。
津波で、186名の方が亡くなられたそうです。
堤防の外には、今は静かな海が広がる。
仙台市は、県道10号線(塩釜亘理線)から東側を「災害危険区域」に指定しました。
要するにここにはもう、住めなくなりました。
仙台市JP:http://www.city.sendai.jp/report/2011/1201429_1413.html
また起こるかもしれない津波の被災を考えると、必要な対策と思います。
しかし・・・
もとのところに住みたい、というのも当然の思いです。
「荒浜の再生を願う会」という住民グループが荒浜での再生を希望しているようです。
黄色いハンカチの取り組みをしているそうです。
2012年6月には、自分たちの手で清掃しようと呼びかけて、先の荒浜小学校の清掃もしたそうです。
津波が来るところには住まない方がいい。
しかしそれを誰がどう決めるのか。
そう簡単にも決められない。
遠くに焼却施設が見えました。
こうした仮設焼却炉が仙台市に3つ、宮城県、岩手県全体で31基設置されて稼働しているようです。
震災で発生した可燃性の災害廃棄物(がれき)は、こうして現地で焼却するのに加えて、広域処理も進められている。
理由は、がれき量に対して処理量が多いことと費用の問題のようです。
処理量については「広域処理の必要なし」という報告があります。
【がれき広域処理の合理的根拠なし 合同調査チーム緊急速報】
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ1525..html
仙台市の仮設焼却炉での処理費用は、1トン当たり約4万円にとどまり、東京などの既存施設で焼却するのと同程度であるという毎日新聞記事があります。
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120710ddm001040065000c.html
他の施設の費用はどうなっているのでしょう。
放射性物質が付着したがれきを移動させることには反対です。
しかしがれき受け入れを拒否する態度に、建前では被災地への協力をいいつつ、その実は、露骨な利己主義があるようにも思うのです。
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