被災地の様子:宮城県南三陸町・気仙沼市 [3.11以後]
宮城県の被災地に行きました。
宮城県の北部にある南三陸町。
リアス式海岸の町です。
海と山の間の少ない平地に市街地がつくられていました。
白っぽいのが住宅です。
(日本地理学会津波被災マップより。)
そこに津波が押し寄せた。
赤い部分が津波の浸水地域、紫の部分が多くの家が流されたところ。
街全体が浸水した。
家屋がほとんど流されて、町は壊滅的な被害を受けています。
これが現在の状況です。
ガレキや壊された建物が撤去されて、なにもない。
基礎のコンクリートだけが、かつてここに市街地があったことを静かに語っている。
南三陸町の防災対策庁舎(防災センター)跡。
津波にのみこまれ、赤い鉄筋だけが無残に立つ。
3月11日、3階建てのこの庁舎も津波にのまれた。
防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)は、2階で放送した。
「6メートルの津波が来ます。避難してください」と何度も繰り返した。
しかし津波はそれ以上の高さで防災センターを襲った。
9月の披露宴に向けて楽しそうに準備していた未希さんは、帰らぬ人となってしまった。
被災直後の防災センターの様子はここ:
【東日本大震災パノラマ Vol.45】「命の限り叫び続けた防災放送の女性職員 南三陸町」http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0401minamisanriku-bousai/
宮城県の一番北にある気仙沼市にも行きました。
写真中央が切れていますけど、元のデータがこれなんです。
真ん中が市役所がある位置です。
赤い部分が津波の浸水地域、紫が家屋の多くが流された地域。
南の半島のような南気仙沼駅周辺の地域は、気仙沼市内で最も被害の大きかった地区の1つです。
被災後の様子。
南気仙沼駅周辺の被災前の地図。
中央は南気仙沼駅、海側には魚市場がありました。
被災後の写真。
家屋が流され、壊れた建物がある。
壊れた家屋が解体され、ガレキが撤去され、今では空き地が広がっている。
南気仙沼駅ロータリーに脇に、ビル1棟残っている。
クリスタルビレッジヨシダというビル。
【大勢のお客様をはじめ、皆様方にはクリスタルビレッジヨシダを二十五年間の長きにわたり、ご愛顧お引き立て愛されまして、誠にありがとうございます。心から感謝の気持ちでいっぱいです。長い間本当にありがとうございました。】と書かれた垂れ幕がかかっている。
津波の時、このビルのおかげで助かった人たちもいるそうです。
基礎だけが残った建物の跡。
水が溜まっているのは地盤沈下のため。
地盤沈下で水が溜まっているところは多い。
しかしそんなところに仮設の飲食店街「復興屋台村 気仙沼横丁」オープンした。
HP:http://www.fukko-yatai.com/
中には飲食店や物販店があります。
がんばれ!
被災地では、復興どころか、復旧もまだまだというのが現状です。
被災地のことを忘れてはいけないと思います。
防災対策庁舎での避難放送をした女性の話は、
私も各種報道で側聞しました。
建物をみると、やはり悲惨さを感じます。
でも、痛々しくも感じますよね。
残した方がいいのか、んー・・難しい問題です。
by 式守錦太夫 (2012-12-23 22:54)
> 式守錦太夫さん
とっても悲惨で、とても痛々しいです。
原因は全く違いますけど、
原爆ドームを残した広島と浦上天主堂を撤去した長崎を想い出します。
by とんちゃん (2012-12-25 06:51)