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北一硝子で逸品の醤油差し購入@北海道小樽市 [お土産]

年末年始に札幌に帰省したときのことです。
小樽に泊まって、少し観光。と言っても、行ったのは北一硝子。
カミサンに買いたい物があったんです。

10年以上前に北一硝子に来たときに、小さな醤油差しを買いました。
北一の醤油差しは30年前からの商品ですけど、液垂れしない優れ物なんです。
当時もテレビ番組で紹介されて、静かなブームが始まりかけていたときです。
それ以来、わが家ではその小さな優れ物の醤油差しを使い続けていました。

しかし数年前、わが家に来た友人が、その醤油差しにいたく感動したものだから、カミサンがその友人にあげてしまいました。「うちはまた小樽に行ったときに買えばいいからさ」なんて言ってね。

それから数年、わが家では別の醤油差しをいくつか買い換えて使っていました。
しかし醤油差しって、見た目の良さでは、その性能が全く分かりませんね。
液垂れしたり、出過ぎたり、穴がすぐに詰まったり、なかなかいい物がないんです。

だから・・
小樽に来たんだから、北一硝子の醤油差しを買おう!
カミサンはそう決心したんです。

小樽運河脇を通る臨港線には、大きなお店が並んでいます。
その西側にある細い堺町通りは、レトロなお店が並ぶ商店街です。
その2つの通りに挟まれるかたちで、北一硝子のお店が並んでいます。

とんちゃんたちはレトロな堺町通りを歩いて北一硝子に向かいました。
と、「北一硝子 さしすせそ」という小さなお店がありました。
【調味料入れ専門店】ですって。
あらまぁ、醤油差しなんかの専門店が出来たんですね!

お店に入って陳列されている商品を見てみました。
でも、どうも今ひとつしっくり来ないでいると・・。
「このお店の裏手に、もっとたくさん置いてある本店がありますので、そちらもご覧下さい。」
とアドバイスされる。
あら、そうですか!

臨港線側に回るとありました。
「調味料入れ専門店 さしすせそ」。本店です。

【噂の醤油差し】と宣伝しています。
中国語がすごい。【在日本非常人気的醤油瓶】です。
こちらの本店は、北一硝子のお醤油差しが全種類揃っているそうです。
店内には確かにいっぱい並んでいます。

醤油差しのデザインはいろいろ。
値段も安い物から高い物までいろいろ。

かつて夫婦で買った醤油差しのモデルは、今はもうないみたい。
でもそれに似た醤油差しを買って帰りました。

【洋燈(ランプ)と手作り硝子(ガラス)】と書かれた包装紙。
石油ランプから始まった北一硝子の歴史は最後に書きます。

これが今回買った醤油差し。高さは11センチくらい。
正面にはラベンダーの絵が2つ描いてあります。

左右にはラベンダーが1つずつ描いてあります。
かつて買った醤油差しは、正面にだけラベンダーが描かれている、もっと小さな醤油差しだったんです。
でもあんまり小さいと、醤油をすぐに使い切ってしまうので、今回は少し大きめのものを買いました。

この醤油差しの特徴は、色が変わることらしいんです。

「ネオジュウム」が入っているので、日光や白熱灯の下では淡い紫色、蛍光灯の下では淡いブルーに変化する、ということです。「ネオジュウム」は化学用語では「ネオジム」と呼ばれる希土類の金属です。

このネオジムは、黄色の吸光率が高いんです。
そのために、日光や白熱灯などの赤色が強い光では、赤い光と青い色の混色であるマゼンダ(紫)色に見え、蛍光灯では青色と緑色が強いのでシアン(水)色に見えるそうです。

【醤油さしの栞】が入っていました。
使用方法についていろいろと説明がある。
最後に【蓋が抜けなくなってしまった場合】の対処方法が書いてあります。
ネットでは、北一硝子の醤油差しの蓋が取れなくない場合の対処法の質問と回答がいくつもあります。
きっとユーザーからの質問も多いんでしょう。
わが家でもそうなるかもしれないので、ここにアップしておきます。(笑)

【手作り硝子の栞】も入っていました。
ひとつひとつ手作業で制作しているから、不揃いや気泡などがあるけど、それは手作り硝子の味わい深い特徴です、と書いてあります。
工業製品しか目にしたことのない人が多いから、そんなクレームが来るってことなんでしょうね。お疲れ様です。

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最後に北一硝子の歴史について、整理してみました。
(HPやネットの情報はどうも不正確なようなので。)

北一硝子は、1901年(明治34年)創業の浅原硝子が前身。
初代・浅原久吉氏は小樽市富岡町に浅原硝子を興し、石油ランプや投薬瓶などガラス製の生活雑器を製造する。
1910年(明治43年)、ガラスの浮玉(ブイ)を開発し、ニシン漁や北洋漁業の繁栄とともに事業を拡大する。
1950年(昭和25年)、久吉の長男・浅原寅雄氏が社長に就任。
久吉の次男・久重氏が小売部門を担当し、浅原硝子店を創設した(その時期は不明)。
当時の浅原硝子店は、板ガラス、石油ランプ、浮玉などを主に取り扱っていた。
ところが石油ランプは電灯に替わり、ブイはプラスチックに替わり、業績は後退していく。

1970年、浅原硝子店社長・久重氏が体調不良で、現社長浅原健藏氏が帰省。
1971年(昭和46年)に浅原硝子店を解散、北一硝子を創設し、健藏氏が社長に就任。
北一硝子は新商品の開発ではなく、石油ランプや浮き玉を土産物用のインテリアとして販売するようになる。
1978年(昭和53年)、小樽駅の近くの小樽市花園にショップをオープンさせる。
これが評判を呼び、観光バスで観光客が押し寄せる。
そして1983年(昭和58年)に、 倉庫街の堺町に三号館を開店。
これが現在の盛況の中心になっていきました。

参考:
北一硝子HP:http://www.kitaichiglass.co.jp/
浅原硝子製作所HP:http://asaharaglass.com/
読売新聞「浅原健藏 北一硝子社長」
 上:http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/022/53.htm
 中:http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/022/54.htm
FM北海道「硝子の町、小樽」:http://www.air-g.co.jp/otaru/onair/?date=1330873200
TOMAコンサルタンツ「地域の発展と事業の再生 北一硝子の事例」:
 http://www.toma.co.jp/fswp/wp-content/uploads/2012/07/konsaru.pdf
関西学院大学社会学部島村恭則ゼミ「小樽とガラス」:
 http://d.hatena.ne.jp/shimamukwansei/20100225/1267099531


 
タグ:北海道
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