二木の松と竹駒神社@宮城県岩沼市 [ 神社仏閣]
岩沼市街にある名所へ向かいました。
ついでに歴史もいろいろ紐解いてみました。
二木の松史跡公園。
この奥に何かがあるんじゃなくって、この門の脇にあるんです。
この2本の松です!
その根元を見ると・・・
2本の松が1本になっている!(*゚Д゚*)ェ…
これが「二木(ふたき)の松」です。
「武隈(たけくま)の松」というのが本来の名。
1689年に松尾芭蕉がこの松を訪れて、句を詠んだそうです。
「櫻より松ハ二木を三月越シ」
”桜にもまして、見たいと思っていたあの二木の松を江戸を出て三ケ月越しに見ることができた”
ただし現在ある松は芭蕉が見たものではなく、1862年に植えられたものだそうです。
「武隈の松」とあるように、この地はかつては「武隈(たけくま)」と呼ばれていました。
市内には阿武隈川がありますが、平安時代の頃には「阿武隈」と言われ、後に「阿」の文字が取れて「武隈」になったものだそうです。
岩沼市「岩沼のはじまり」:http://www.city.iwanuma.miyagi.jp/kakuka/011000/iwanumahan4.html
ところで、この武隈の松は藤原元良(元善)が陸奥国司として着任したとき館の前に植えたのがはじまりとされています。
陸奥国府は、最初は仙台郡山にあって、724年に多賀城に移ります。
藤原元良は937年に没しますから、彼が赴任したときの国府は多賀城にありました。
では岩沼にはいったい何があったのか?
かつて国府があったという説について、wikipedは否定していますが・・・・
こんな説があります。
869年に貞観津波があったことは有名ですが、それ以前の660~690年のどこかで大津波があった、というのです。
飯沼勇義氏はそれを仙台沿岸津波と命名しています。
仙台郡山の国府がその大津波のために消失してしまった。
発掘調査によると、郡山官衙は7世紀半ば~末のⅠ期と7世紀末~8世紀初めのⅡ期の2つに分けられるそうです。
これを分かものが大津波であり、そして国府を多賀城に移したのも津波に要因があった。
飯沼勇義『仙台平野の歴史津波』:http://www.hondainsatsu.co.jp/pg113.html
そして、国府が津波で流されたため、岩沼に国府武隈館(たけくまたち)を造った。
場所は千貫(せんがん)山麓(長谷城址)です。
藤原元良は、その武隈館の前に松を植えた、ということになります。
飯沼勇義「国府多賀城、国府武隈館(たけくまたち)の歴史津波」:http://www.hondainsatsu.co.jp/_userdata/nipponjishinkougaku_08.pdf
泊まったホテル近くの神社を散歩がてらに見学しました。
岩沼駅の南東にある神社。
竹駒神社。【日本三大稲荷】だそうです。
日本三大稲荷と自称する稲荷神社は全国に数多くありますが、ここもその1つです。(^-^)
竹駒神社は、伏見稲荷、笠間稲荷と自社が三大稲荷だと自称しているようです。
鳥居の壁額に「竹駒神社」の銘。
「竹駒神社」が現在の名称ですけど、かつては「武隈神社」という名称でした。
境内の奥にあった【竹駒神社由緒】。
平安時代の842年に、小野篁(おののたかむら)が創建した神社。
祭神は、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)となっています。
倉稲魂神は日本書紀での記述で、古事記では宇迦之御魂神で、伏見稲荷大社の主祭神です。
ちなみに稲荷神は、元々は京都一帯の豪族であった渡来系の秦氏の氏神です。
保食神は日本書紀に登場し、宇迦之御魂神と同一視されています。
稚産霊も穀物の成育と深く関わる神で、これも祭神になっちゃってる。
【奥の細道】の杭があります。
松尾芭蕉がかつてここに立ち寄った、というかさっきの武隈の松を見に来たんです。
一の鳥居の手前にある石灯籠は、二木野、武隈、陸奥冠の醸造元が奉納しています。
朝から蔵元の名前を見ると、夕方まで待てなくなって困るのですが・・・
「武隈(たけくま)」は小野酒造店の酒、「陸奥冠(むつかんむり)」は相傅商店ですが、「二木野(ふたきの)」は今はありません。
立派な楼門です。
1812年に建築の入母屋様式の総けやき造りの門。
随身門とも呼ばれている。
楼門の脇にいくつかの建物。これは倉でしょうか。
中に白馬の像があるんだけど、その収納庫かな。
楼門の奥に進みます。
これも立派な唐門。
楼門より遅れて1842年に建築されたもの。
創建先年を記念して建築されたものだそうです。
本殿の前にある拝殿。
本殿の先に摂社がいくつもあります。
立派な造りをしているのは出雲神社。 出雲大社本殿の立派なミニチュアです。
祭神は当然、大国主神ですけど、蛭子神も祭ってある。
蛭子は、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神だけれど、不具だっために葦の舟で流されてしまいます。
その蛭子はヱビス神に同一視されていますが、大国主の子とされる事代主と同一視されてもいる。
この出雲神社に蛭子神が祀られているのは、事代主→ヱビス→蛭子という取替えがあったのでしょうか?
手前は北野神社、奥は秋葉神社。
この2つの摂社は古くからあったものと思います。
北野神社は菅原道真を祀る太宰府天満宮です。
菅原道真は学問の神様なんて崇められているけど、道真を祀る天満宮が建立されたのは、そんなプラス思考からではぜ全然なくて、道真に対する恐怖というマイナス思考から生まれたんです。
「太宰府観光(1) 太宰府天満宮」http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2012-04-01-1
秋葉神社の祭神は火産霊(ほむすび)。
これは迦具土神と同一神で、後に紹介する愛宕神社の祭神と同じです。
願い絵馬奉掲場。
その奥に並ぶ摂社は・・
総社宮。
陸奥国管内の全祭神を祭っていた神社で、国司がこの社に参拝すれば、管内全社に参拝したと同じことになるということで建立したようです。ずいぶんと便利な神社ですね。
陸奥国府は、最初は仙台郡山にあって、724年に多賀城に移ります。その多賀城市には陸奥総社宮があります。
八幡神社。応神天皇(架空)が祭神です。
愛宕神社。
祭神は加具土神(かぐつちのかみ)で、市内に愛宕神社があります。
加具土神はイザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)の最後の子。
なぜ最後かっていうと、火の神なので、生まれるときにイザナミの陰部(!)に火傷を負わせてしまい、これがもとでイザナミが死んでしまうんです。
本殿の脇に鳥居があって、通路が見えます。
実はこの通路の奥に「奥宮」があるそうなのです。
建物の下の通路にある元宮跡。
以前はこの位置に祀られていたってことのようです。
赤い鳥居と狛犬ならぬキツネ。
命婦社(みょうぶしゃ)です。
命婦とは神の使者、神使のことで、稲荷神の場合にはキツネがその神使なっている。
稲荷神がキツネであるというのは間違いで、あくまでもキツネは神使なのです。
実はこの右側に奥宮があったんですけど、写真撮り忘れです。f(^^)
琴の音が聞こえてきます。
見上げたところにあるこの部屋の中で琴がつま弾かれているようです。
通路を抜けると拝殿の脇に出てきます。普通はこっちから入るんでしょうね。
境内を見学して一の鳥居へ向かうと・・・
赤い欄干の小さな橋、その向こうに鳥居が見えます。
でも通行止めになっている。
橋の上から覗いてみると、向こうには小さな神社がある。
神社の後には小さな田んぼ。
あぁ、そうだった!
と思いだして、一の鳥居を出て、小さな神社の正面に向かいます。
小さな神社の前は柵があって近づけません。
柵の奥に小さな鳥居と、ほんとに小さな神社がある。
これが宇賀神社。
竹駒神社の祭神・倉稲魂神と同じ宇迦之御魂神を祀る神社です。
さっきの田んぼは、神田「穂徳田(すいとくでん)」
コメント 0