福島県南相馬市小高区のいま [3.11以後]
今週から仕事始め。
しかし始まったとたんに風邪をひいてしまいました。
困ったもんです。(´ρ`)
昨日の記事は、福島県南相馬市の小高区にある食堂でいただいたランチでした。
その南相馬市小高区は、現在は「避難指示解除準備区域」に指定されています。
震災当時は福島第一原発から20km圏内が一律に「警戒区域」に指定されて、全員が強制的に避難しました。
小高区もその中です。
その後、2012年4月に「避難指示解除準備区域」に変わり、日中のみ立ち入りができるようになっています。
しかし寝泊りすることはできません。
いまは、今年4月の指定解除を目指して、インフラ整備や除染が行われています。
食事がてらですけど、食堂の周囲の様子をほんの少し見ましたので、記事にします。
そして改めて考えさせられました。
区域指定について、少し説明しておきます。
2015年9月5日に楢葉町が「避難指示解除準備区域」から解除され、現在の避難指示区域は次の図のようになっています。
(経産省「楢葉町における避難指示区域の解除について」より)
各区域の意味は次のとおりです。
帰還困難区域:年間積算量が50ミリシーベルトを超えて、5年間たっても年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれがある区域。
居住制限区域:年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあって、引き続き避難の継続が求められる地域。住民の一時帰宅や、道路などの復旧のための立入りができる。
避難指示解除準備区域:年間積算線量20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域。区域の中への立入りが柔軟に認められ、住民の一時帰宅(宿泊は禁止)や病院・福祉施設、店舗等の一部の事業や営農が再開できる。
これらの区域は放射線量で決められています。
しかし避難指示解除準備区域の一部は、かつて福島第一原発から20km圏内を一律に「警戒区域」に指定したものが、いまだに残っています。小高区の場合もそれです。
昨日の記事で紹介した食堂。
双葉食堂さんは、市内鹿島区の仮説店舗へ移転しています。
居住できないんですから、住みながら営業することはできないわけです。
その空き店舗で営業している「おだかのひるごはん」さんを訪問しました。
現在、小高区で営業している食堂はここだけ。
。
近くにある「山川食堂」さん
小高区で人気のラーメンを提供していた食堂です。
でも避難を強制され、そのまま閉店してしまっています。
営業所も住宅もみな戸を閉めています。
避難指示解除準備区域では国によって、住宅周りの除染が行われています。
住宅の前には、除染した枝などの廃棄物が黒いバックに入れられて置かれています。
「屋外残置廃棄物」と言うようですが、可燃物と不燃物に分別されている。
これは後で回収されるのでしょう。
どの家も閉ざされた状態で、誰も住んでいない。
日中のみ立ち入りができるけれどもしかし宿泊はできないから当然です。
しかしその姿は、まさにゴーストタウンのようです。
原発の爆発から5年目も経ったいま。
自宅に帰れない人たちが大勢いることを改めて思い知らされ、悲しくなります。
ここは今年4月に「避難指示解除準備区域」の指定解除が目指されています。
しかし年間積算線量が「20ミリシーベルト以下」というレベル。
安全とされる基準は「年間積算線量」が1ミリシーベルトです。
「年間積算線量20ミリシーベルト以下」は決して低いレベルではない。
だから住むかどうか迷います。特に子どもがいる場合に。
自分の問題として考えた場合、自分ならどうするだろう。
避難指示解除準備区域が解除されたとしても、不安は消えません。
自分の家に住みたいのに住めない、住むべきかどうか迷う。
そんな状況にしたのは原発とそれを推進する政策です。
平穏な街を一瞬にしてゴーストタウンにし、いまもその状況にしている原発と政策。
そして原発の再稼動を進め、原発を外国に輸出しようとする政府。
こういうことでいいのか。
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