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徹底的に本格再現されている佐賀城本丸、さすが佐賀人! [旅行先]

「佐賀者(さがもん)が歩いた後は草も生えない」などと悪口を言われる佐賀県。
なんでそんな言われ方をするのか?
佐賀県人はそんなにケチなのか?

そんな県民性があるのかないのかは知りませんが、そう言われるようになる歴史的理由があるようです。
それを探しに佐賀城を観光しました。

というのはウソで、佐賀城がかなり本格的に復元されているから見学に行ったんです。
そしたらさっきの悪口の理由が少しわかったんです。

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まずは鯱の門。
天保9年(1838)当時のものだそうです。

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門をくぐると、本丸御殿が見えてきます。

「城」というと石垣の上にそびえたつ天守閣を想像しますよね。
でも佐賀城には天守閣がないんです。
お城としてあるのは、本丸の天守閣ではなくて、この御殿だけ。しかも平屋。

天守閣は権力を象徴する建物で、そこで藩主が実際の政治を行っていたり生活をしていたところではありません。
執務や生活をしていたところ、それがこの本丸なんです。

1611年に完成した佐賀城ですが、それには天守閣がありました。
1726年の火災で天守閣をはじめ建物のほとんどが焼失。
その後、城を再建するのですが、天守閣造営の許可が幕府から出なかったようです。
佐賀藩は二の丸のみを再建するも、それがまた焼失。
1837年に当時の藩主鍋島直正が再建したのが、この本丸です。

おっと、言い方が間違っていました。
直正が再建した本丸は現存しません。
今見ているのはその復元です。

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玄関も含めてこの建物は復元されたものです。
1999~2001年度にかけて佐賀県教育委員会が発掘調査を実施し、その後復元工事が行われて2004年に完成したそうです。

ところがその復元の仕方がすごい。
外見を似せて、実は中味は鉄筋コンクリート、みたいなものじゃないんですよ。

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この玄関からしてを見てもわかるように、実に本格的な復元になっています。
そして中を見ると、さらにその本格さに驚かされます。

復元完成写真
これが建物の実物。(佐賀城本丸歴史観HPより)

復元された本丸御殿の中を見学しました。
以下は、見学した中でとんちゃんが気に入ったところだけご紹介しましょう。

1階フロアマップ
佐賀城本丸歴史館HPより

ボランティアのガイドの方がいらっしゃって、見学者の時間に合わせてガイドをしてくださいます。

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館内で最初に見るのがこの廊下。
45メートルも続く廊下は、廊下のくせに板敷きではなく、なんと畳敷き

なぜ?

江戸時代は、どの藩も財政的に困難だったのですが、佐賀藩は困った出費があったんです。
江戸時代に唯一、外国貿易を行っていた出島。
その出島を含めて長崎は幕府の直轄領地ですが、長崎の警護を佐賀藩と福岡藩が交代で勤めていたのです。
これが藩財政を圧迫する。

で、藩主直正は藩の財政立て直しを図ったそうです。
この本丸が出来る前の1830年、17歳で藩主になったばかりの直正は粗衣粗食令を出して、倹約に努めます。

その内容は・・・
「衣類は木綿にする。食事は朝が汁と香の物二品、昼は魚と香の物、夜は味噌(みそ)・塩の副食物と決める。」
というもの。
領民にそうさせただけでなく、なんと自らもそういう生活をしたらしい。
江戸藩邸や参勤交代の人員削減、正月の行事をやめ、贈答品を中止するなど藩主の交際費も削減したそうです。

そんな節約の姿勢がこの建物にも現れているんです。

そのひとつが、先の廊下なんです。
どういうことかというと・・・

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左の障子の向こうにはこんな320畳の大広間が広がっています。
そして廊下との間の障子を開けると、畳敷きの廊下も広間になる
要するに廊下の分を節約したってわけです。

そして大広間のフスマには絵が描かれていない。
これも倹約の1つ。

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廊下にあるフスマは板を張ったものです。
そして鴨居には釘隠しも使われていない。

いろいろと倹約しているってわけですね。

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御座間(ござのま)。
藩主鍋島直正の居室だったところで、これは江戸時代の天保期の建物ですって。
手前に白線が描かれたところがありますけど、これは「遺構表示」というそうで、今回復元しなかった建物遺構の一部を表示してあるそうです。
そのうちに復元するのかもしれません。

この建物の復元の仕方は実に面白い。
というか、余りにも本格的で、余りにも凝っているんです。

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天井裏が見えています。
どうですかこれ?
本格的な木組みが昔のままに再現されているんです。

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木組みの模型が置かれていますけど、見えないところでもこういう造りをわざわざやっている。

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そして壁。
本格的な土壁をこれまたしっかり再現している。

表からは見えないところでも、しっかり本物を再現しているんです。
これはもう、ムチャクチャな凝りようです。
一切の手抜きがないってところです。

そしてこれ。

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床下が見えるようになっているところ。

P1120854 - コピー
江戸時代の本物の礎石の上にコンクリートの地盤があって、その上に復元された建物の礎石が載っているんです。

これ、どういう意味だかわかりますか?

かつての本丸があった全く同じ位置に建物を再現しているんです。
しかも遺構の礎石をそのまま残して、それをしなければいけない。

というわけで、こんな工法を使っています。


佐賀城本丸歴史観HPより)

遺構の礎石の上に厚さ10cmの砂のクッションを敷き詰め、その上に厚さ30cmの耐圧盤を敷いて建物の荷重を均等に地面に伝達するようにして、その上に建物を復元しているのです。
これまたずいぶんと凝った造り方ですよね。

 

「佐賀もんが歩いた後にゃ草も生えん」などと言われる佐賀。
直正自らが行った倹約精神が行き渡ったせいかもしれない。
司馬遼太郎が言うように、山がない佐賀平野では、山から燃料の薪をとったり、堆肥にする草を得ることが困難だったため、道端のわずかな雑草でも堆肥の材料として貴重だったからかもしれない。

そして、勤勉で頑固な佐賀人。
その頑固さが、この復元本丸の徹底した本格さに現れているように思います。


 
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