日和山から見た石巻市の様子 [3.11以後]
宮城県石巻市。
ここも東日本大震災の津波で広範囲に被災しました。
石巻市街地に、日和山という高い山があります。
昨年12月に、そこから市内の様子を眺めました。
→ 日和山から観た、いまの石巻市:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2015-12-09-2
今年6月の様子を、以前と比べながら紹介しましょう。
石巻湾に注ぐ旧北上川の河口近くの西側に小高い丘があります。それが鰐山(わにやま)。
その南東部に突き出た部分、それが日和山で、標高60mもあります。
そこから市内の様子を見てみました。
昨日の記事にチョコっと書いた「斎太郎節」。
その3番に日和山が登場します。
♪石巻サーヨー その名も高い(ハ コリャコリャ)
日和山トエー あれはエーエ エトソーリャ 大漁だエー
その日和山にある日和山公園には神社があります。
鹿島御児神社。
この神社のことは別の記事にしました。
→石巻へ鹿島・香取からの海の道 日和山の鹿島御児神社@宮城県石巻市
さて、3.11後のこと。
津波被災時の様子です。
石巻市を8m以上の津波が襲い、73k㎡もの面積が浸水し、市内の13%、平野部の実に30%に及びました。死者・行方不明者は3600人、損壊した家屋は57000棟で、全家屋のなんと77%が被災しました。
地図の赤色や青色の部分が浸水した範囲で、市街地の多くが被災しています。
うねっている旧北上川の西側は、鰐山(緑色)を残して、周囲はすべて浸水しています。
そのうち青色の部分は家屋がほとんど流出したところです。
小高い日和山からは市街地が展望できます。
<2015.12>南側の石巻港の方向を見ると、市街地が全く流出しています。
<2015.12>お寺には新らしい墓石がいっぱい並んでいるようです。
そして土盛りがされ、まだまだ整備中の状況です。
そのお寺と日和山との間にマンションが建っていました。
復興公営住宅だそうです。
かつてこの付近に住んでいて、ここに入居する方々がいるんでしょう。
石巻市の計画では、日和山公園のすぐ南側は住宅地、その南側は公園になる予定です。
ピンクのラインは道路が設置されます。
ここ日和山からは市街地がよく見えるので、何ヶ所かに震災前の写真が掲示されていて、現在との対比ができるようになっています。
東の方には北上川河口にかかる日和大橋。
かつて河口の両岸には工場や住宅が密集していましたが・・・。
<2015.12>現在は、いくつかの工場が再建されていますが、住宅は消失しています。
川の手前は公園ゾーンになるようです。
対岸にも住宅が立ち並んでいました。
<2015.12>現在は、住宅はなく、工場がいくつかあります。
対岸は工業地区になる計画みたいです。
いまも大きな変化はありません。
旧北上川を少し北に上ったところ、川に浮かぶ島は中瀬。
奥の白いドームが「石ノ森漫画館」で、家屋もありましたが・・・。
<2015.12>現在は、ビルを残して住宅は全て流出。
白いドームの「石ノ森漫画館」の建物は残りましたが、中には津波が入りました。
→漫画館ブログ:「スタッフは皆無事です!!」
津波に被災した中瀬地区の住宅は内陸へ移転します。
整地されたりビルが建ったりしています。
旧北上川の東側は工場や住宅がありました。
<2015.12>ここは浸水したけれど、家屋の流出はあまりなかったらしく、今後も居住地区になる計画です。
更地になっているところ は、移転した工場跡地ではないかと思います。
新しいマンションが建ちつつあります。
震災から5年が過ぎ、石巻市はいままさに復興の途上です。
仮設住宅は、民間賃貸のみなし仮設を含めてピーク時には13,001件32,270人が住んでいましたが、いまでは6,192件、
13,626人が住んでいます(仮設住宅は2016年5月末、みなし仮設は4月末)。
半分以下になったとはいえ、いまだ半分の人たちの暮らしの再建がいま進みつつあるということのようです。
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