日本人のルーツ・縄文人の文化を宮戸島で感じる 里浜貝塚@宮城県東松島市 [旅行先]
宮城県東松島市にある宮戸島の漁師民宿に泊まった翌朝。
朝食前に散歩に出たところ、貝塚があるというので見に行きました。
民家の角を左に曲がって進むと貝塚の公園がありました。
国史跡の里浜貝塚。
さとはま縄文の里史跡公園になっています。
日本人のルーツは縄文人で、そこに中国大陸・朝鮮半島からの渡来系弥生人が混血して、現代の日本人が形成された。
そんな原日本人である縄文人の血は、アイヌ、蝦夷(北東北)、琉球の人たちに強く残っているようです。
さとはま縄文の里史跡公園全体の地図。
貝塚は西貝塚群、北貝塚群、東貝塚群の3つがあるそうです。
地図の右手には奥松島縄文村歴史資料館があります。
奥松島縄文村歴史資料館では、これら貝塚の出土品や詳しい歴史を知ることができます。
また、縄文文化を知るいろんなイベントも開催されています。
→奥松島縄文村歴史資料館:http://www.satohama-jomon.jp/
里浜貝塚の地図と説明書き。
里浜貝塚は縄文時代前期(6000年前)から弥生時代中期(2000年前)にかけてのムラの跡。
東西640m、南北200mという日本最大級の貝塚です。
里浜人は数百年から数千年ごとにムラの場所を移していて、遺跡は3つの貝塚群からなっています。
浜辺には塩づくりと貝剥きの作業場跡もあるそうです。
ところで、「貝塚」ってどんなになってるか、ご覧になったことありますか?
上の地図で【現在地】とあるところの貝塚がこれ。
草を刈り取った斜面に畑かな?なんて思いますが。
地面に貝殻がいっぱい。これが貝塚です。
縄文人が貝殻をたくさん捨てたところが貝塚。要するにゴミ捨て場ですね。
ここにはそんな貝殻がなんと7mも積もっているそうです。
塩づくりをしていたという浜辺がここ。
小島が見えるのどかな景色。
縄文人たちもこの景色を眺めていたんですね。
こんなに海が近いということから推測できるように、東日本大震災で津波被害にあいました。
ここは自然環境が長期間変わらなかったので縄文人が住み続け、日本最大級の貝塚が残されたそうです。
そんな里浜縄文人の生活の様子が解説されています。
春は、海からはアサリ、イワシ、フグまで食べている!
野山からはワラビ、ゼンマイ、コゴミやノビルを採取していた。
夏は、外洋でマダイ、クロダイ、スズキ、マグロを釣り、浜辺では塩を作っていた。
秋は、海でアジ、サバ、山でクリ、トチノミを取っていた。
冬は、シカやイノシシ、そしてウミウ、ガン、カモをとっていた。
なかなかグルメな生活だったようです。
景観を壊さないようにひっそりと「あずまや」がある。
ここは「縄文工房」と名付けられ、土器や勾玉(まがたま)作りが楽しめるそうです。
でも鍵が閉まっていて中には入れませんでした。
段々畑に何かを干してあります。
ハサ掛けにしてあるものは、なんだろ?
後で宿の女将さんに聞いたら、菜の花ですって。
この段々畑で黄色い菜の花が咲いて、それを燥させて種を採取するそうです。
この後には、ソバ畑になるそうです。
小道にキジがいました。
綺麗だなって思うか、旨そうだなって思うかは、ひとそれぞれ。
里浜貝塚
いつも近くまで行くので、貝塚見てみたいのですが、子供が全く興味を示しません。
「家の裏に、食べた貝捨てれば貝塚になるんじゃね?」っていう話に落ち着いてしまいます(T T)
by ぺこりん (2016-07-25 12:48)
> ぺこりんさん
ここ自体は単なる原っぱだから、楽しめるものはないかな。
縄文村歴史資料館の方がいろいろな出土物があります。
でもそういうことに興味がなければ、あんまり面白くはないですよね。
イベントもあるみたいで、そういうのは楽しいかもしれませんね。
by とんちゃん (2016-07-26 05:20)