SSブログ
 

相馬中村神社と相馬神社@福島県相馬市 [ 神社仏閣]

福島県相馬市では、相馬野馬追という祭りが7月に開催されます。
相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社から発した騎馬武者3軍が、南相馬市原町区にある相馬野馬追祭場地で争うという祭りです。
ハイライトは、甲冑競馬や神旗争奪戦。
2016年は7月23日~25日に開催され、 3日間で延べ約19万3千人の観客が馬追を見つめました。 

残念ながら祭りを見る機会はないのですが、その相馬中村神社を観に行きました。
3つの神社はどういう関係なのか?そして何を祀っているのか?

P1160384
広々とした参道。

P1160383
相馬中村神社
相馬野馬追の出陣式が行われるところです。

P1160382
参道を進みます。

P1160369
道が2つに分かれている。

P1160368
ここが、相馬中村神社
旧社号は妙見大明神だそうです。
この祭神については、また後ほど。

P1160365

見取り図によると、さっきの写真の右手の小道が社務所、左が参道でその奥右手に本殿があるそうです。

P1160366
参道入り口には御神馬が立っています。

P1160367
左右の御神馬はそれぞれ反対側の前足を上げています。

P1160353
その脇に本物の馬が繋がれています。
どこの馬だろ・・・。
相馬野馬追に使われる馬だそうですが、それはまた後で。

P1160354
相馬中村神社の歴史
相馬氏の名は、下総国(現在の千葉県・茨城県)の相馬郡相馬御厨を相続したことに始まります。
相馬御厨は、1130年に千葉氏が伊勢神宮に寄進してその荘園としたことから、「御厨」の名がついた。
その後、家督争いがあり、6代目・重胤が陸奥国行方郡(現在の南相馬市、飯館村)に入り、陸奥相馬氏と下総相馬氏に分かれる。
居城は現南相馬市の太田、さらに小高へうつり、江戸時代の1611年にここ相馬市の中村に移されます。

城の移転と併せて、相馬氏の祖である平将門が猿島郡に建立した妙見社を太田、小高、中村に勧請したそうです。
平清盛が建立したという猿島妙見社の場所は不明(茨城県境町か岩井市か)。
実際には、相馬初代相馬師常が下総国相馬郡に築城した守谷城(茨城県守谷市)に妙見社があって、そこから遷座したものでしょう。

というわけで、相馬氏が祀った妙見社が元です。
それがどんな神様なのかは、後ほど。

P1160355
さて石の馬と本物の馬を眺めてから、参道を奥へ。

P1160356
右側に神楽殿

P1160357
その先にあるのは北野天満宮。

P1160359
その脇には、八坂神社(左)と諏訪神社(右)。

P1160360
池の脇を通ると・・・

P1160361
手水舎があります。

P1160362
相馬中村神社の祭神は天之御中主神の看板。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は「古事記」の冒頭に登場する神です。
「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)。」とある。
まさに一番最初の神です。
その名は「天の中心の神」で、何かの実在を背景にした神と言うより、神話の最初の神として創作された神様です。
しかも古事記でも、ここ1回しか出てこない神様です。
「古事記」のために創作された神様だから、それを祖神として祀る神社もありません。

それがなぜこの神社の祭神になっているのか?
それと「妙見社」とはどういう関係なのか?
なかなかややこしいことになっています。

「妙見」とは、仏教の北辰妙見菩薩のことで、北辰とは北極星のこと。
だから元々は仏教の菩薩信仰があり、それが中国で道教の北極星信仰と習合して、北辰妙見菩薩になってしまった。
だから「妙見様」は神様じゃなくて、仏様
「妙見社」はその北辰妙見菩薩を祀ったお寺なのです。

その妙見菩薩が日本で、天之御中主神と習合してしまう。
天之御中主神はも「天の中心の神」だから、北極星の妙見菩薩と習合しちゃうのもわからなくもない。
仏様と神様が習合する、神仏混淆ということですね。

そういうわけで、この神社は、元は神仏混淆した妙見社だったのです。
しかし明治政府の神仏分離令によって、祭神を仏教の妙見菩薩から天之御中主神に改め、神社の名も相馬中村神社としたのです。

さて、いよいよこの先に本殿がある。

P1160364
鳥居のところに邪魔者あり。なんだこれ・・・

P1160363
じぇじぇ!(◎_◎;)
本殿が工事中です。ここまで来て・・・残念。 

P1160377
先ほど見た馬のところにこんな案内板がありました。

P1160378
【馬場案内】
相馬中村神社への参道からすると、右後ろの方向です。

P1160381
そちらに向かうと・・・おや。

P1160380
【相馬神社】の石の看板。
【日本百名城】とも書いてあります。
日本百名城とは、財団法人日本城郭協会が名城と呼ばれる城郭を公募して2006年に定めたものだそうです。
その中には、福島県から二本松城、若松城、白河小峰城が入っていますが、相馬城は入っていません。
応募したってことだろうか・・・

その道を進むと・・・

P1160376
「相馬中村神社馬場」の案内板。

P1160375
おや、厩舎があります。

P1160374
お馬さんたちがいらっしゃる。(*^^*)

P1160373
さらにその奥に花が馬場がありました。
野馬追に使う馬なのでしょうが、誰がどうやって馬を飼育しているのかはよくわかりません。

一度戻って、さっき看板があった相馬神社へ行きました。
ただしその道はどうも裏側みたいなので、表の方から行ったことで紹介します。

この記事の冒頭に、相馬中村神社の鳥居があったところ。
あそこから再スタートしましょう。

P1160385
こちらが城への道。

P1160386
「相馬神社」の石柱。

P1160390
城壁の脇に広い坂道。

P1160389
真っ赤な橋を渡って・・・

P1160388
石段を登っていく。

P1160387
【相馬城址】
です。

P1160372
1879年(明治12年)に、相馬家の始祖相馬師常を祭神として建立された神社です。

P1160370 

P1160371
とんちゃんの興味からすると、相馬中村神社はかなり新しい、相馬神社に至ってはさらにそう。
おっと失礼、これはあくまでも古代史が好きというわたしの好みの問題で、宗教上のことではありません。


 
nice!(15)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 15

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。