北一輝由縁の地:佐渡市両津湊の風景 [旅行先]
佐渡の両津に行きました。
その風景を少しだけご紹介しましょう。
遊郭あり、偉人あり、という内容です。
両津は、佐渡島の両津湾に面したところ。
日本海の両津湾と加茂湖に挟まれている両津。
両津には、北の夷(えびす)地区と南の湊(みなと)地区があります。
ここは両津湾と加茂湖にはさまれた細長い砂礫で、江戸時代に夷町と湊町ができました。
明治41年(1901年)にその両町が合併して両津町となりました。
夷町と湊町にはそれぞれ港(津)があり、それら2つの津(港)が合併したため「両津」となったとさ。
周囲17キロの加茂湖は、新潟県最大の湖で、カキの養殖が盛んな湖です。
加茂湖は、もとは海と隔たれた淡水湖でした。
ところが明治34(1901)年から出口を開削して、今は汽水湖になっています。
湊地区を少し観光しましたので、それを記事にします。
まずは湊地区にあった旅館。
老舗旅館の金沢屋さん。
戦前は「金澤楼」という妓楼、すなわち女郎屋さんでした。
さてそんな歓楽街、女郎街もあった湊地区を少し散策してみました。
旅館の裏庭からは加茂湖が望めます。
さらに湊地区の名所を少し歩いてみました。
ところで・・・
北一輝ってご存知でしょうか?
日本史に出てきた?
wikipedia「北一輝」より。
北一輝(1883~1937)は、、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
二・二六事件を起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられて死刑にされた。
そういうことはご存知かも。
その北一輝が、実は佐渡出身だったってご存知でしたか?
とんちゃんは、全然知りませんでした。
北一輝は、両津湊で酒造業を営む北家に生まれたそうで、その生家が今もあるそうです。
というわけで、向かったのはここ。
2階建ての家が連なる「連子造り」の建物。
ここが北一輝の生家です。
住まわれている方がいらっしゃるので、中には入れません。
9月下旬の地域イベント「湊いっき」ではここで「北一輝展」が開催され、内部が公開されるそうです。
そしてもう1つ。
八幡若宮社
地元では「若宮さん」と呼ばれ、この通りは若宮通り。
若宮通りには、戦前は貸座敷=女郎屋も多くありました、というのは昨日の記事に書きました。
本殿。主祭神は仁徳天皇。
八幡宮に祀られているのは応神天皇。その皇子の仁徳天皇を祀るのが若宮八幡。
どちらも架空の天皇なので、とんちゃんはあんまり興味なんです。(ゴメン)
境内には、こんなものが・・・
北一輝・北昤吉の記念碑
兄の北一輝は、先ほど書いたように思想家。
弟の北昤吉は、早稲田大学卒業、米国留学後、母校の教授となり、多摩帝国美術専門学校(多摩美大)創立に参加。
戦前・戦後の衆議院議員となったそうです。
地元の生んだ偉人だったんだなぁ・・・と感心しました。
コメント 0