浪江町から常磐道へ [3.11以後]
今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地を巡るツアーをしました。
テレビでの情報しか知らない息子に、その目で見た方がいいよ、と言って親子の男2人旅です。
岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、石巻市、仙台市荒浜、名取市閖上(ゆりあげ)へ。
さらに常磐自動車道の南相馬市ICから南相馬市、浪江町の中を走行しました。
福島第一原発は、大熊町・双葉町にまたがってあり、浪江町はそのすぐ北、南相馬市はさらにその北にあります。
放射線量の高い地域は避難指示がされています。
2015年9月5日以降の避難指示区域は次の図のようになっていました。
各区域の意味は次のとおりです。
帰還困難区域:年間積算量が50ミリシーベルトを超えて、5年間たっても年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれがある区域。
居住制限区域:年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあって、引き続き避難の継続が求められる地域。住民の一時帰宅や、道路などの復旧のための立入りができる。
避難指示解除準備区域:年間積算線量20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域。区域の中への立入りが柔軟に認められ、住民の一時帰宅(宿泊は禁止)や病院・福祉施設、店舗等の一部の事業や営農が再開できる。
南相馬市や浪江町に、オレンジ色の居住制限区域や緑色の避難指示解除準備区域がありました。
今年になってそれらの多くが解除されました(下の図)。
私たちのツアーは、その解除直前の時期でした。
常磐道南相馬市ICから南相馬市へ、南下して原町区から小高区、そして浪江町の中を走行しました。
だから相馬市や浪江町の避難指示解除準備区域を見る、ということになりました。
避難指示解除準備区域は、区域の中への立入りが柔軟に認められ、病院・福祉施設、店舗等の事業ができます。
だから営業しているお店もあります。
しかし住民の一時帰宅はできるが宿泊は禁止なので、住宅はどこも人がいません。
(2015年11月撮影)
街はあれども住民がいない。
一部の建物は地震で壊れたままになっています。
「ゴーストタウンのよう」という表現を実感します。
もちろん営業店舗があるので、全くの無人でありません。
カメラの電池が切れそうなので、息子にスマホで写真を撮るように言ったのですが・・
あまり撮りたくないみたい。
無人の街の異様さに怖れを感じたようです。
浪江町でも除染した土をフレコンバッグに入れて積み上げた場所があります。
これは息子がスマホで撮ってくれました。
これをどうするのか、その後に、人々の生活は戻るのか。
そんなことを話しました。
浪江町を少し観てから、浪江ICから常磐道に乗ります。
インター入り口のすぐ奥は、居住制限区域になっているので、検問所があります。
検問所を避けるように、そのすぐ手前を曲がって、インターに入るかたちになります。
実は、検問所は初めて見ました。
検問所があるなんて・・・ここはいったいどこなのか?
やはり不気味さを感じます。
さて、常磐自動車道は2015年に全線開通しました。
南相馬IC~常磐富岡IC間は、震災以前には開通していなく、工事中でした。
福島第一原発事故で工事が中断し、その後、除染が終わってから工事が再開。
復興のために、工事が早められたと思います。
常磐富岡IC~広野IC間(延長17km)は2004年4月に開通し、原発事故で閉鎖、2014年2月に再開通。
南相馬IC~浪江IC間(延長18km)は2014年12月に開通。
浪江IC~常磐富岡IC間(延長14km)は、2015年3月に開通。
これで全線が開通です。
高速道路を走っていると、避難指示解除準備区域や居住制限区域から原発近くの帰還困難区域を抜けて行きます。そしてそれに応じて景色が変化します。
途中には、除染土を詰めた黒いバッグが積み上げられたところがたくさんあります。
あれは、農地の上ですね。
周囲の田んぼも綺麗に整地され、しばらくしたら営農が再開されるのでしょう。
避難指示解除準備区域や居住制限区域はこんな感じ。
でももっと放射線量が高い帰還困難区域に入ると、景色が一変します。
荒れて木が生い茂る田畑、壊れた家屋。
全く無人の荒れ果てた景色を眺めながら車を走らせますが、胸が苦しくなってきます。
高速道の車窓からしか眺めることができない、その惨憺たる景色を観るために、常磐道を走りました。
津波で家屋と街が消滅してしまい、住めなくなった津波被災地。
家はあるのに、全てが放置されてしまった原発被災地。
それらを観て息子はどう思ったのかなぁ。
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