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富山市の路面電車、北前船で栄えた岩瀬を観光 [旅行先]

富山市に行った時のことです。

元祖の味に最も近い富山ブラックラーメンを「喜八」さんでいただいてから、少し観光。
江戸時代に北前船で栄えた港町・岩瀬へ向かいました。
いつもなら写真をバチバチ撮るんですけど、カメラの電池が切れそうなので、節約気味に撮ってます。

カッコイイ市内電車

 

富山市内では、カッコイイ電車が走っています。

1つは富山ライトレールという第3セクターによる「ポートラム」。
もう1つは富山地方鉄道による路面電車で、新型のセントラムと懐かしい車両が走っています。

ポートラムは、富山駅から富山港がある岩瀬までの総延長7.6kmに13駅がある富山港線です。

愛称は「ポートラム」。
港の「ポート」と電車の「トラム」を組み合わせた命名です。


昨日の記事で紹介した富山ブラックラーメンの「喜八」さんの最寄り駅である「奥田中学校前」と富山駅との間は路面電車になっていて、そこから終点の岩瀬駅までが専用線になっています。

元は国鉄線、その後、JR西日本の鉄道線だったものを引き継いだものです。 

その前身は、1927年に開通した富岩(ふがん)鉄道
現在の富山港は、当時は東岩瀬港と呼ばれ、江戸時代には北前船の港、その後は商業港として栄えていました。

その岩瀬から富山市内に向かって富岩鉄道が敷かれたのです。

Toyamako-LineRouteMap2015
(wikipedia「富山ライトレール富山港線」より。)


車両はどんな風にカッコイイかというと・・・

こんな感じです。

P1230119
車両はLRV(Light Rail Transit)、日本語では「低床式車両」。
床が低くて、ホームから段差なしで車両に乗ることができます。
2車体連接の車両で、この車両は赤い色ですけれども、全部で7色あるそうです。

ついでに、いくつか紹介します。

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帰りに乗ったのは、これ。

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青いポートラムです。

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電車の中はこんな感じに細長いです。

富山地方鉄道の方の路面電車も、カッコイイです。

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新型のセントラム。
これもLRV(Light Rail Transit)です。

こういうモダンな車両もいいですが・・・

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こんなレトロな電車もカッコイイです。

 

岩瀬の街並み

 

さて、最初の赤いポートラムに乗って、北前船で栄えた岩瀬へ向かいました。

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終点・岩瀬浜の2駅手前の「東岩瀬」で下車。

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そこから歩いてかつての街並みを観光しようというわけです。

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降りたところに、東岩瀬駅のかつての駅舎があります。
(駅舎の写真はパス。)

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観光マップには載っていない「富山市立岩瀬小学校」。
看板が実にユニーク。これ、子供がつくったらしいです。

以外に古い建物があったりして・・・なんて思って敷地内に入ってみると・・・

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えっ!なにこれ!w(*゚o゚*)w

「樵夫」(しょうふ)と台座に書いてある。
樵=きこりです。

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マサカリを持った、力強い姿の木こりのリアルな像です。

いったい誰が創ったものでしょうか?

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作者は岩瀬出身の高桑文雄
彫塑家小倉右一郎に師事し、昭和7年(1932年)第13回帝展(現・日展)にこの「樵夫」を初出展して入選。翌年、それを岩瀬小学校に寄付しました。
1934年に「円盤」を第15回帝展に出展して再入選。
1935年に第三部彫刻展に「投槍」を出展して特選第一席を得る。
しかし1936年に、26際の若さで急逝した。


1933年に小学校に寄贈され、1996年にこの像が鋳造されたそうです。 
実物は校舎内にあるのかもしれません。
ちなみに「円盤」は京都大学に、「投槍」は富山県森林水産会館にあるそうです。

意外なところで、意外なものを拝見しました。

では岩瀬の街を見ましょうか・・・

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食堂天保」さん。昭和26年(1951年)創業という、えらく古い食堂です。

築200年の土蔵を使っているそうで、白エビの料理が美味しいってことを後で知りました。(残念)

 

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煙突のある、この古い建物は・・・

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満寿泉」の蔵元・桝田酒造店です。

この蔵元は、岩瀬から北海道旭川市に渡って酒造業を興し、1905年に岩瀬に戻って醸造を続けているそうです。
北海道由来の蔵元だというので、興味深いです。

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せっかくだから、ここで満寿泉を購入・・・とも思ったのですが。
荷物が重たくなるので止めました。(軟弱です)

 

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通りには古い商家がずっと並んでいます。
一番手前は旧岩瀬銀行(現北陸銀行)。
実はビルなのですけど、通りに面した部分は、昔の様子を再現しています。

 

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酒屋の「田尻本店」さん。

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大きな冷蔵室に、日本酒がズラリと並んでいる。

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各年の満寿泉がいっぱい!

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平成16年醸造の純米大吟醸は1升で2万3千円!( ̄□ ̄;)

 

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一般開放されている商家があります。

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【回船問屋森家】

「森」を名乗ったのは明治になってからのこと。
江戸時代には「四十物屋」(あいものや)を屋号にして、代々仙右衛門を襲名。
四十物屋は、北前船船主で商人でもあった回船問屋で、明治時代には金融業に進出したそうです。

明治6年の岩瀬大火で建物が焼失し、現在の建物は明治11年に再建されたもの。
だから森家の屋敷。
現在は富山市所有の国の重要文化財です。

「大正時代までは家の裏に神通川の船着き場があった」と解説してあります。
現在の富山港、かつての東岩瀬港は、神通川の河口にできた港で、神通川が港に注いでいました。
しかし河口にあるために、川が運ぶ土砂で港が浅くなるため、神通川の河口が付け替え。
そのおかげで港に大型船が接岸できるようになりました。

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床の間の脇に大きな金庫。

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写真がぶれていますけど、立派な金庫です。

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東京大倉製とあって、当時の東京大倉組が作ったもの。
大倉土木(今の大成建設)やホテルオークラを経営した大倉組のもの。

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広間の床の間に版画が掲げられています。
作者は、あの棟方志功です。

倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現・クラレ)の二代目・大原総一郎が、戦後にこの建物を購入したときのことです。

1950年に倉敷レーヨンが東岩瀬に富山工場を建設し、ビニロンの製造を行いました。
そのとき大原総一郎がここを気に入って宿舎として購入しました。
ビニロン製造に社運を賭けた総一郎は、「神通川」の読みが「陣痛」に通じることから、ビニロン工業化の「安産」を願って、ここを「晏山寮(あんざんりょう)」と命名しました。
そして親交のあった棟方志功に依頼して作成したのがこの版画で、「美尼羅(ビニロン)版画柵」と名付けられています。
そして版画には、総一郎の依頼でニーチェの『ツァラトストラ』の冒頭の文が刷られています。

その後、1978年にクラレが富山工場を閉鎖し、屋敷は富山市に無償譲渡され、現在に至っています。
(クラレ富山工場は現在、富山化学工業(株)富山事業所 富山第2工場)

そして版画は、倉敷市の大原美術館に移され、ここで展示されているのはそのレプリカです。

 

さて、町並みを眺めてから港の方にも出てみました。

すると・・・・

あれは、なんだぁ?

船です。

でも、ただの船じゃない。

海に浮かんでないんです。

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船ですけど・・・沈んでる。

近くにあった消防船の人に伺ったら・・・台風21号で座礁したんだそうです。

あらまぁ・・・。

10月23日未明、係留中の西アフリカ・トーゴ船籍の貨物船「REAL(リアル)号」(1798トン)が岸壁も結んでいたロープが切れて流され、消波ブロックに衝突して船体に穴が開き、エンジンルームが浸水したそうです。

解体して、撤去されるのでしょう。
※調べてみたら解体ではなくて、船底にたくさんある穴を塞いで船を浮かし、熊本県まで曳航(えいこう)するそうです。
2018年1月20日ころの予定だそうです。

予期せぬショッキングな現場に遭遇してしまいました。

 

さぁて、このあと、もう1つ行きたいところがあるんですよ。
観光するところ・・じゃなくって、食べるところ。( ^∇^)
そのための腹ごなしに、町並みを眺めながら歩いてみたんです。


 
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