稲庭うどんの名店で海の幸の宴会 佐藤養助@赤坂 [ 東京飲みある記]
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4月に新人さんや旧人さんの歓迎会が開かれたときのこと。
「佐藤養助 赤坂店」さん。
佐藤養助といえば、稲庭うどんの老舗店。
そこが経営するお店です。
稲庭うどんの発祥と佐藤養助のことは、最後にご紹介します。
個室に案内されて、宴会開始です。
「八代目佐藤養助」の銘が入ったプレースマット。
コースターにも銘が入っている。
◆生ビール
スーパードライで乾杯!
【本日の御料理】と書かれたコース内容の説明。
先付からの和食コース料理です。
◆先付:炙り帆立と生湯葉、真蛸
アクセントにイクラが載っている。
一品ずつゆっくりといただきましょう。
◆前菜:春の彩 七種盛り
いっぱい盛られているなぁ。
筍の土佐煮。
旬の野菜ですね。コリっとした食感と旬の香りがいいですね。
甘海老の塩麹漬け。
プリプリの甘海老が塩麴でマッタリした味わいになってる。
こりゃ日本酒だぞぉ!(^∇^)
秋田のお酒がありますね。
刈穂をいただきました。(写真なし)
帆立の木賊(とくさ)焼き。
青のりをまぶした小さな帆立。
凝縮されたホタテの旨味に青のりの香りがいい。
おや?と思ったら、ハタハタ飯鮨。
飯寿司の中で、この鰰(はたはた)の飯鮨がとんちゃんは最も好きです。
飯寿司を肴に日本酒いただくのは、乙ですなぁ。(^^)
サーモンの手毬寿司。想像通りの旨さ。
饂飩寿司。
海苔と薄焼き卵の二重の海苔巻きと思ったら、なんと海苔と卵の間に稲庭うどんがある。
◆造り:本日の鮮魚三種盛り
タイ、マグロ、イカのお造り。美味しいです・・・(*´▽`*)
◆焼物:ハタハタ三五八漬け焼き
ブリコと呼ばれる卵が詰まったハタハタ。
「三五八漬け」は、塩、米麹、米を3:5:8の割合いで使った漬床に漬けたもの。
塩麴に似た旨みが増しています。
◆蒸物:比内地鶏の茶碗蒸し
知らずに食べたら、中に比内地鶏が入っていて、ビックリ。
上品な茶碗蒸しの中に、旨みの強い比内地鶏が強いアクセントです。
◆泡盛・残波
残波があったんで、ついオーダーしました。
このあときりたんぽ鍋があったんですけど、写真撮り忘れ!
◆佐藤養助稲庭うどん二味せいろ
2種類のつけだれがついています。
美しい佐藤養助のいなにわうどん。
醤油のつゆでいただきます。
細いけどしっかりとした歯応えと、つるりとしたのどごし。
うまいねぇ・・
◆小町アイス
秋田小町に因んだアイス。これをいただくと、いっそう美人になれるかも。
◆お土産
お土産に、佐藤養助の稲庭干饂飩をいただきました。
さらに、無料でいただける稲庭うどんの切れ端。
すごく短いけれども、これも食べれば味や食感は同じです。
秋田らしい海の幸いっぱい、そして稲庭うどんの料理。
ごちそうさまでした。
稲庭うどんの歴史について。
稲庭干饂飩の発祥は、秋田藩稲庭村の市兵衛が始めたと云わる。
文献に表れるのは1665年だそうです。
1690年、その干うどんが佐竹藩主の御用製造を仰せ付けられる。
しかし市兵衛の子孫・長太郎は饂飩製造を廃業し、製造は伝承されなかった。
吉左エ門が干饂飩製造業を興す。
1752年に藩主の御用を仰せ付けられ、御用饂飩所の看板を掲げる。
1829年に佐竹藩江戸家老から御朱印を受け、吉左エ門以外に「稲庭干饂飩」の名称使用を禁ぜられる。
そして稲庭干饂飩の技法は、吉左エ門家の一子相伝、門外不出となった。
江戸末期の1860年、七代目吉左エ門の四男が、養助の養子となり、二代目養助として干饂飩製造を創業。
七代目吉左エ門は、一子相伝の製造方法を製法断絶の防止のために伝授したらしい。
七代目佐藤養助が、地場産業を発展させるため工場生産を行い、1972年に技術を公開。
そして現在の八代目佐藤養助に至っている。
他方、佐藤吉左エ門は、現在も十六代佐藤吉左エ門として、伝統製法で稲庭うどんを製造している。
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