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日台の戦没者慰霊碑を忘れないで 宝覚禅寺@台中市 [ 神社仏閣]

カミサンと台湾ツアー。
台中のホテルを出発して、台中市内を観光。

今回は、ネットでほとんど紹介されていないことをかつ正確に、記事にします。
それは日本と日本人にとって非常に大切なものです。

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宝覚禅寺
昭和3年(1928年)に建立された日本由来の臨済宗妙心寺派のお寺

 

このお寺は金の大仏で有名で、そのことは前回の記事で紹介しました。
それは多くのネット情報でも紹介されています。

「大切なもの」とは、先の戦争で日本人、日本人として亡くなった台湾人の慰霊碑がいくつもあることです。

まず1つめ。

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立派な慰霊碑

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中部地区 日本人遺骨安置所
1961年に、当時はまだあった日本大使館によって建立されたものです。 
ここには、戦前・戦中に台中近辺で亡くなった日本人の遺骨約1万4千人が納めています。

 

2つめは・・・

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こちらは、東部・北部 日本人遺骨安置所
ここには約3千人の遺骨が納められています。

戦前、日本統治下時代の台湾には約50万人もの日本人が住んでいました。
しかし敗戦後、戦前・戦中に亡くなった多くの日本人の遺骨が台湾に残されました。
それが戦後になってある人の献身的な努力で約2万人の遺骨が収集されました。
その一部がここにあるのです。


そうした事情については、次回の記事で紹介します。
ともあれ、ここには1万4千人ではなく、1万7千人の遺骨が埋葬され、慰霊されています。

 

3つめは・・・ 

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台湾人を慰霊した観音堂と慰霊碑もあります。

第二次大戦には20万7千人もの台湾人が、日本の軍人・軍属として参加しました。
台湾は日本統治下にあったので、台湾人も日本軍に参加したのです。
そして3万3千人もの台湾人が亡くなりました。
それを慰霊したものです。 

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右にある観音堂は平和英魂観音亭
1990年建立で、台湾人の日本軍人・軍属戦死者約3万3千人の霊を祀っています。

ここでは毎年春秋2回、慰霊祭が開かれているそうです。

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左には「霊安故郷」と刻んだ慰霊碑
1991年建立。
揮毫は、台湾人として初めて総統になった李登輝氏(当時現職)によるもの。
本人と兄も日本軍に従軍し、兄は戦死しています。

ところで、これらの慰霊碑は戦後45年も経てから建立されています。
なぜ、建立までにそんなに長期間かかったのか?

第二次大戦後、台湾は日本統治から中華民国に返還されました。
その後、共産党との内戦に負けた国民党政府が、1949年に台湾に移転します。
しかも内戦を口実に、台湾に戒厳令を布告して、それはなんと1987年まで継続しました。

戒厳令が敷かれていた期間、言論、出版、集会、結社の自由は制限されます。
しかも日本との抗日戦を戦った中華民国政府にとって、日本軍に参加した台湾人は「英霊」どころか敵国人ですから、それを慰霊する活動など行えない。
1987年7月に戒厳令が解除され、民主化が行われるようになって、やっと慰霊碑建立の活動が行えるようになったのです。


この頃、日本側でも動きがありました。遺族に対する補償問題です。

日本政府は、日本人の戦死者遺族には軍人恩給(年金)を支給しています。台湾人も日本人として戦争に向かいました。
しかし日本政府は、中国籍にもどった台湾人には請求権はないとしました。
1987年9月になって、「台湾住民である戦没者の遺族に対する弔慰金等に関する法律」が超党派の議員立法として成立して、やっと遺族と重傷病者にお見舞金(年金ではない)が支払われました。


日本のこの動きは、戦後しばらくたって、元軍人が生還したことと関係します。
1972年1月にグアムで横井庄一氏んが、1974年3月にフィリピンのルバング島で小野田寛郎氏が、発見され、帰国しました。
そして1974年12月に台湾人日本兵・李光輝(日本名:中村輝夫)氏がインドネシアのモロタイ島で発見されます。
李氏の発見をきっかけにして、台湾人日本兵の軍人給与が未払で、補償もないことについて世論の批判が起こったことが、先の立法の背景です。

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地元台湾人の納骨堂もあります。
宝覚禅寺の現在の信徒の方々の遺骨が納められているんですね。

次回の記事では、日本人の遺骨収集と慰霊塔のことについて紹介します。 


 
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