世界で最も美しい地下鉄駅・美麗島駅 高雄市 [ 台湾旅行]
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カミサンと台湾ツアー。
2日目は、台中の宝覚禅寺、日月潭文武廟、高雄の蓮池潭龍虎塔を観光。
最後は高雄市の地下鉄美麗島駅。
なんで地下鉄の駅?って思ったら、これが意外なところなの。
世界で最も美しい地下鉄駅なんです。
アメリカのニュースサイト PolicyMic が2012年に公表した「ニューヨーカーが夢見る世界で最も美しい地下鉄駅ランキング」の第2位。
⇒PolicyMic 「8 Elegant Global Subway Stations New Yorkers Could Only Dream Of」
さらにアメリカの人気旅行雑誌CNNトラベルで、2014年アジア1位。
⇒CNN travel 「17 of the world's nicest, brightest metro stations」
という駅ですって。
美麗島駅は高雄捷運(高雄メトロ)という地下鉄の駅。
ちなみに「捷運」は英語の「ラピッド・トランジット」(Rapid Transit)の台湾語で、「捷」は「敏捷」の捷で、「速い」(Rapid)という意味。
駅名の「美麗島」には2つの意味があります。
言葉の由来は、台湾の別称「フォルモサ」(Formosa)の意訳「美麗島」から。(注1)
しかし真の由来は、ここで起こった民主化運動の弾圧事件「美麗島事件」です。(注2)
台湾は戦後ずっと、戒厳令下で言論・結社の自由がありませんでした。
「美麗島事件」とは、1979年12月、雑誌『美麗島』に結集していた民主化運動がここで大集会を行い、多くの人が逮捕され、軍法会議で有罪となった事件。
その後1990年になって、総統となった李登輝が「美麗島事件の判決は無効」としたため、やっと全員が釈放されます。
美麗島駅は、2008年に開通した東西を走るオレンジライン(橘線)と南北に走るレッドライン(紅線)が交差する乗り換え駅。
高雄のメインストリート、中山路と中正路が交差するロータリーにあります。
地下鉄出入口を横から見ると、交差点に向かって合掌するように立っている。
対角線から見た出入口は、タワーのようです。
(wikipedia「美麗島駅」より)
出入口はこんなガラスハウスのように広がっています。
出入口の中はこんなガラス張り。
長いエスカレーターを下ると・・・
駅構内の中央に「光之穹頂」(光のドーム)。
中央には2本の柱は「陰」と「陽」を表現し、青い柱は「陰(静)」、赤い柱は「陽(動)」
その支柱を中心として、直径30mのドーム状にステンドグラスが輝いています。
その数なんと、4500枚!
イタリアの著名なステンドグラスアート芸術家、ナルシサス・クアグリアータ(Narcissus Quagliata)の作。
手作業で行うため、4年半の歳月をかけて製作したものですって。
ドーム状のステンドグラスは、誕生(水)、成長と繁栄(土)、前進と希望(光)、破滅と再生(火)の4つをテーマとしているそうです。
誕生(水)。
成長と繁栄(土)。
前進と希望(光)。
破滅と再生(火)。
意味は分かり難いけど、圧倒的な迫力です。
地下鉄駅ですから切符を買えますよ。
先に目的地を選択してから料金を支払います。
日本語の表示もあるんですよ。
最後に、駅出口にあったお店。
「痔」の専門病院。
台湾も和式のトイレが普通だから、苦労されている方が多いんでしょうね。
注1:16世紀中期、ポルトガル船が台湾近海を通過した際、船員が偶然水平線に緑に覆われた島を発見し、その美しさに思わず「Ilha Formosa(ポルトガル語で「美しい島」の意味) 」と叫んだことから、台湾に「フォルモサ」の名称が付けられた。
注2:共産党との内戦に負けて1949年に台湾に来た蔣介石総統(大統領)は、内戦を口実に戒厳令を布告した(1987年まで継続)。そのため言論、出版、集会、結社の自由は制限されていました。
さらに蒋介石総統による国民党一党独裁、国会議員の選挙が行われず終身議員が占め続けるという政治が続いていた。
そのため民主化運動が行われるが、国民党以外の活動は「党外活動」として非合法活動とされていた。
1979年6月に雑誌『美麗島』が創刊され、民主化運動が結集し、11月には発行部数が8万冊になるの発行部数を記録する。
台湾人權委員会が、世界人権デーの12月10日午後のデモ開催を警察に何度も申請したが不許可となり、無許可デモを決定する。
12月9日、国民党政府は軍事演習を理由に12月10日のデモ活動の禁止を宣言。
12月10日午後6時、デモ隊は新興分局前のロータリーで集会を開催。演説が開始されると治安部隊がデモ隊を完全に包囲。(※そのロータリーが美麗島駅のあるところです。)
午後8時半、治安部隊がデモ隊に対して催涙弾の使用して、衝突が発生、午後10時前後には警察の応援部隊も加わる。
事件発生後の12月13日、政府は治安部隊を全島に展開させて台湾全島での「党外活動家」の逮捕を行う。逮捕された人たちは、戒厳令下で裁判ではなく軍法会議にかけられ、全員が叛乱罪で有罪判決を受ける。
1990年、総統となった李登輝が「美麗島事件の判決は無効」としたため、全員が釈放される。
そして彼らは、1989年に合法化された民主進歩党で活躍するようになる。
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