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茨城県南で最も古い土浦市・小林パン店の歴史を推測してみる [ 茨城県]

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昨日の記事で、土浦市で最も古いパン屋さん「小林パン店」を取り上げました。
県南一古いパン屋さんのパンはやさしい味わい 小林パン店

今日の記事は、その小林パン店にまつわる歴史についてです。

前半は、小林パン店の店内で展示されていた歴史的なものたちの紹介。
後半は、ググってわかった、小林パン店に関する歴史です。



小林パン店の店内あるショーケースや、後ろの壁には、お店の歴史を語る品々が展示されています。それについて紹介します。

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上は、海軍航空隊の祝紀元節。その祝いに配られた品の包装紙と思います。
ちなみに「紀元節」とは、日本初代の天皇とされる神武天皇が即位した日(2月11日)を明治政府が祝日としたもの。神武天皇は、もちろん神話上の人物で、実在などしない。それが現在は建国記念日となっています。

下は、土浦名物「海老煎餅」の包装紙(?)。
霞ケ浦名物の手長海老を使った煎餅を作っていたんでしょうね。

注目すべきは店名。創業当初の店名は「小倉庵小林」だったんです。
ほかにも土浦名物として、風景菓子さくら羊羹を製造販売してたようです。

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これも海老煎餅ですが、博覧会や共進会で受賞していた、という宣伝が書いてあります。
土浦名物のお菓子には、風景菓子、さくら羊羹に加えて木の華があります。

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上の面はなんだろ? わかりません。
下は「木の華」。繭(まゆ)をイメージしたお菓子みたいです。

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左上は、小倉庵小林の「さくら羊羹」の包装紙。    
下は、小倉庵小林を「和洋御菓子舗」「精良麺麭各種」としています。
英語では「confectioner & baker」と書いてます。
「麺麭」(麺包)とは「パン」のこと。だからbakerなのね。
「小倉庵小林」の時代にパンを製造していたってことですね。

そして右上は、土浦駅で販売していた「あんパン」。
このときには店名が「小林パン」となっています。

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「閑院宮殿下献上品製作場」と書かれたところで何か作業をしている写真。
載仁親王は、1912年陸軍大将、1919年に元帥、1931~1940年に参謀総長だった人。
彼が、海軍航空隊ではなく、陸軍の施設を視察したときに、パンかお菓子を献上したようです。



以上の資料から、創業当初は和菓子店「小倉庵小林」でしたが、パンを製造するようになり、「小林パン店」となった、ってことがわかります。

さらに小林パン店の歴史について、ググってみました。

明治時代後期に創業し、東京からパンを購入して販売もしていましたが、1932年(昭和7年)から海軍航空隊へ納めるパンを焼き始めました、と紹介されています。(「観光いばらき」より
明治後期の創業は、先述したように和菓子店「小倉庵小林」の創業です。

小林パン店の創業については、『パンの明治百年史』(パンの明治百年史刊行会)によると、1921年(大正10年)となっています。

明治時代後期に創業した和菓子店「小倉庵小林」が1921年に、パン屋となった、というより和菓子店がパンも製造するようになった、ということだと思います。

霞ヶ浦海軍航空隊が阿見町の霞ヶ浦飛行場に開隊したのは1922年(大正11年)で、1939年(昭和14年)に予科練習部が設置されました。
したがって、小林パン店がパン屋を製造開始した時期は海軍航空隊が開隊したころです
これは関係があるのでしょうか?

先述の情報では、海軍航空隊へ納めるパンを焼き始めたのは1932年からとなってますが、
その理由について、海軍航空隊に指導に来ていた英国人のため、という情報があります。いずれも小林パン店の方の発言が元ネタでしょう。

しかし1932年に英国から指導者が来ていたのでしょうか?
実は、帝国海軍の航空技術指導のためには、1921年9月から18か月間、センピル教育団が英国空軍から派遣されました。そしてその教育は霞ヶ浦海軍航空隊の前身・臨時海軍航空術講習部で行われました。
まさにこの1921年に、小林パン店がパンを製造開始しました。
1921年に霞ケ浦に来た英国空軍のセルピン教育団の指導者のためにパン製造を行ったことが小林パン店誕生のきっかけだった、ということでしょう。

では1932年から食パンを海軍航空隊へ収めるようになったのはどういうことか?

江戸時代以降、死に至る病である脚気は重大な病気でした。いまでこそ、その原因はビタミンB1の欠乏であること、白米食偏重への食生活の変化がその要因であることは知られています。しかし明治時代の陸海軍では多数の死者が出る重大問題でした。
そこで海軍では、脚気予防のために、明治時代から麦飯とパン食が導入され、軍隊内に製パン所を設けていたそうです。
そして軍港内では週4食、軍港外では週2食のパン食が支給(給食)されていました。しかし1931年に軍港内3食、軍港外ではパンの支給無しとなったそうです。(War Birdsの記事より)

そこで霞ヶ浦海軍航空隊では、隊内にあった製パン所を閉鎖した。しかしパン食は継続したため、小林パン店からパンを購入することに切り替えたのではないでしょうか。
だから1932年から食パンを霞ヶ浦海軍航空隊へ納入するようになったのではないかな。

ということで、小林パン店は霞ヶ浦海軍航空隊と関係しつつパンを製造したようです。


 
タグ:パン 歴史 茨城
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