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「板そば」の由来:板そばが盛られていた木箱は何者なのか [食文化]

※本日2件目の記事です。

本日1軒目の記事は、阿見町でいただいた山形名産「板そば」です。

ところで、なぜ「板そば」と呼ばれているのか?
板そばが盛られていたのは、板なのか、木箱なのか?
木箱は何に使っていたものなのか?

これらの疑問に答えてみようと思います。

 

「板そば」は板ではなく箱に盛られていた

 

◆wikipediaの説明

まずwikipedia「板そば」の説明から。
以下の説明はいくつかの情報をミックスしたもののようで、一貫性がないのですが、とりあえず。

板そば(いたそば)とは、山形県内陸部で広く食べられる蕎麦(そば)の一つである。

歴史と由来
大きな長い板や木箱にそばを盛り付け、農作等の共同作業や集会後に振舞ったのが由来とされている。本来は大きな木箱に盛られた山形風田舎そばを、複数の同席者で分け合って食べられていた。(後略)

板そばの特徴
ざるではなく木で作られた長方形の浅い箱状の器に薄く均一に盛られる。(後略)

 
「大きな長い板や木箱」に盛られたそばである。ネット上のほとんどの情報は、この部分を非常に安易に引用しています。

◆「長い板」なのか「木箱」なのか

しかし待ってくださいよ。
A:「大きな長い板」なのかB:「木箱」なのか、いったいどっちが「板そば」の由来なのでしょうか?

A:「大きな長い板」に盛られたから「板そば」と呼ばれた。この説明は、「板そば」の由来についてストレートに理解できそうに見えます。
しかし、それは事実なのでしょうか?
本当に単なる板の上にそばを盛って食べたのでしょうか?   
たぶんこの説明は「板そば」の「板」から由来を推測しただけのものであって、歴史的な事実を言っているわけではないと思います。

では、B:「木箱」はどうでしょう。
wikipediaにはさらに、こう書いてあります。
「本来は大きな木箱」、「木で作られた長方形の浅い箱状の器」に盛られていた、と。
大きな長い板ではなく、長方形の浅くて大きな木箱に盛られていた。
そして木箱の底は木であって、ザルや簀の子ではない。
これが歴史的な事実だと思います。

◆板そばの「元祖」?

天童市の「手打水車生そば」さんは、自店が「板そば」の元祖だとしています。

「初代が製粉業のかたわらに載せて、客にもてなしたのが板そばの始まりです。」(い~山形どっとこむ「手打水車生そば」)。


「板」とありますが、「元祖板そば」が盛られているのは木箱です。
初代とは1843年(天保13年)に矢萩家を継いだ矢萩六助のこと。その六助さんが「板そばの始まり」だということです。しかしお店のHPには板そばの元祖に関する記述がありません。
実際に元祖だったとして、それは「板そば」自体を始めて提供した、ということではなく、「板そば」という名称で提供するようになったということだと思いますが、詳細は不明です。

板そばの木箱は「へぎ」

 

「板そば」に関して、wikipedia以外で信頼できそうな情報はほとんどありません。以下の説明があります。(順不同)

「杉板で作られた長方形をした容器(板皿へぎ)に・・・盛り付けられて提供される。」(日本の食べ物用語辞典「板そば」

「「へぎ」の大箱に二~三人前のそばを薄く均一に盛ったものを「板そば」と呼びます。」(日東製粉株式会社「板そばとは?」

「山形市を中心とする山形県の内陸部では、「へぎ」の大箱に二〜三人前のそばを盛ったものを「板そば」と呼ぶ。」(川越そばの会・そばの知恵袋「そばうどん用語辞典」


木箱について「へぎ」という容器で提供されたとあります。
「大きな木箱」、「木で作られた長方形の浅い箱状の器」が「へぎ」だというわけです。

「へぎ」と聞くと新潟県の「へぎそば」を思い出す方も多いはず。
「板そば」と同じく木箱に盛られたそばですね。

ではその「へぎ」とはなにか?

「へぎ」とは何か?

 

「へぎ」については、弊ブログで「へぎそば」に関わってすでに詳しく紹介しました。
喉越しの良いへぎそばをしっかりいただく 十日町小嶋屋和亭

それを加筆して「へぎ」について改めて説明します。

◆「へぎ」のもとは「へぐ」

そもそも「へぎ」とはどういう意味か?

「へぎ」は「へぐ」という動詞に由来します。

「へぐ」は「はぐ(剥ぐ)」の方言だ、という説明がありますけど、それは大きな誤りです。「はぐ(剥ぐ)」は、皮をはぐ、仮面をはぐ、布団をはぐ、などのように、表面のものを取り去ることです。

しかし「へぐ(剥ぐ、折ぐ)」は、表面を薄く削り取ることで、標準語です。

◆「へぎ板」について

「へぎ板」(剥木板)という板があります。
これは、丸太を薪割りのように割り裂いて作る板のこと。

木の木口に楔(くさび)をいれ木目に沿って割り裂くのです。

※「へぎ」について興味深い記事があります。
⇒Panorame「工藤茂喜 「へぎ」というしごと
⇒沓澤製材所「へぎ板」

のこぎりが出来る以前、板はそのようにして丸太から「へぐ」ことで作っていました。
のこぎりで板を切り出すと、木の繊維を断ってしまいますが、この技法で作った板は木目が美しく立体的に現れます。

◆「へぎ」について

そのへぎ板で作った器が「へぎ」です。

元来は神社や神棚に酒や米などの神饌(しんせん)をささげる際に用いた、神事用のお盆です。今も、結納などを載せる白木の台は「へぎ」と呼ばれています。

「へぎ」は食台としても使われるようになります。
懐石料理で酒の肴とする料理を「八寸」といいますが、これは八寸(約25cm)角の杉の片木盆(へぎぼん)に由来します。

現在はいずれも、「へぎ板」ではなく、切り出した板を使って器がつくりますが、名称には「へぎ」が残っています。

※魚沼地方では蚕を育てる箱を「へぎ」と呼んでいたようですが、養蚕用具の「へぎ」については詳しくはわからなかりません。

※山形県庄内地方では、角盆入りのそばを「そねそば」、角盆を「そね」と呼びます。この「そね」は「供え(そなえ)」の訛ったものと思われます。先述の神事用の角盆「へぎ」が「そね」と呼ばれることに由来すると思われます。

板そばが盛られた「へぎ」は麹蓋

 

◆農家には普通に「へぎ」があった

「板そば」はこうした「へぎ」に盛られたものだったった、ということです。

その「へぎ」に載せてそばを食べたということは、各農家に普通に「へぎ」があったということです。
しかも何人分ものそばを盛る大きな「へぎ」があったということです。

では農家では大きな「へぎ」を何に使っていたのでしょうか?

「板そば」と「へぎ」について触れている情報の中に、この点を明記しているものは見当たりません。

◆農家は自家製麹造りのために「へぎ」を使っていた

結論から言いましょう。
各農家にあった大きな「へぎ」は、「麹蓋」です。

かつて農家はどこも自家製の味噌を作っていました。
その原料は米や大豆、麦、そして塩と麹です。

発酵にとって重要な麹(米麹)についても、農家が自分で作りました。
専門の麹屋から種麹を買い、それを蒸米に混ぜ、麹蓋という木箱に広げて、麹を作ったんです。
その麹蓋が「へぎ」なのです。
※「麹蓋」については、ここをご覧ください。
⇒沓澤製材所「麹蓋をつくりました」

麹蓋は、麹を作る1月~2月に使い、それ以外の時期には使いません。
春の田植え、秋の稲刈りの時期などにそばを盛る容器として使っても全く問題はありません。


 
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