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千と千尋の神隠しみたいなノスタルジック世界へ 九份@台湾 [ 台湾旅行]

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カミサンと台湾ツアー。
台湾北部、新北市瑞芳区にある山間の小さな町・九份(きゅうふん)へ行きました。

「九とは、「9つに分ける」という意味。

かつてここには家が9軒しかなく、物売りに「9つ分」といつも頼んでいたことが由来だと言われています。

そんな山間地の村・九份で金が採掘されてゴールドラッシュの賑わいを迎えました。

1893年に九份で金鉱が発見、1894年には金瓜石という山でも金鉱が発見。
しかしその年から日清戦争に。
日本統治になった1896年から金が採掘され、ゴールドラッシュを迎えます。
金瓜石は田中組、九份を含む地域は藤田組に採掘権が与えられます。
1912年、藤田組の総帥・藤田伝三郎が没し、1914年に鉱山の採掘権を顔雲年に貸出し、1920年には採掘権を譲り、それ以後、顔家(台陽鉱業)が九份の所有者になります。顔家は、そのせいで台湾五大家族の1つになります。
今でもは顔家がオーナーです。
女優・エッセイストの一青 妙さんや歌手の一青 窈さんもその一族です。 


しかし第二次大戦後に採掘量が減り、1971年に閉山。
そんな九份がふたたび脚光を浴び、観光地化します。

1987年、台湾で約40年にわたって続いた戒厳令が解除
その2年後の1989年、二・二八事件を題材にした映画「悲情城市」(侯孝賢監督)がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞。台湾で大ヒット。
そのロケ地だった九份のノスタルジックな風景に魅せられ、九份ブームが起こり、観光地化しました。

二・二八事件(ににはちじけん):
1947年2月28日に台北市で発生した事件。その後、国民党政権は台湾全土で、本省人(戦前からの台湾在住者)に長期的な白色テロ(弾圧・虐殺)を行います。
5月には戒厳令を布告し、蒋介石・蒋経国親子による40年間にわたる国民党独裁政治の元でテロは続きます。二・二八事件の犠牲者は1万8千人~2万8千人とされています(1992年の政府公表)。
 ⇒「台湾で起きた228事件とは?」前編後編
 ⇒その時代を経験した台湾の方の記事:「白色テロ」


さらに2001年に公開された宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に出てくる「湯婆婆の油屋」のモデルだろう、というので、日本人観光客が押し寄せています。

以下の紹介は、バス停から急な石段の豎崎路を上り、山沿いの「基山街」に向かいます。でもこの逆のコースの方が歩き易い一般的コースのようです。

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こんな急で細い小路「豎崎路」石段だから歩きにくいです。
九份バス停から少し上ると軽便路と交差したところに広場があり、そこからお店が増えてきて、小路の両側にお店が並んでいます。

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