笠間神社@茨城県笠間市 [ 神社仏閣]
ただし「三大稲荷」というのは正確には存在しません。
総本宮の伏見稲荷と有名な豊川稲荷などに自社を加えて三大稲荷と称する神社がたくさんあるんです。
「三大**」って、そういう自称がよくありますよね。言った者勝ちだから。
笠間稲荷の「門前通り商店街」を南側から見たところ。
笠間稲荷神社の参道入り口。
入り口にキツネのオブジェがあります。
不思議なことに鳥居がありません。
というのも東日本大震災で壊れたようで、一の鳥居のあったところに縄が張ってあります。
すし切り祭りの下新井神社と物部氏の関係 滋賀県守山市 [ 神社仏閣]
滋賀県シリーズ最終回は、とんちゃんが立ち寄った、とある神社のことです。
滋賀県の有名な郷土料理に鮒寿司があります。
琵琶湖のニゴロブナのなれずし(熟れ鮨)で、乳酸醗酵していて臭い。
いや醗酵したチーズが好きな人には、大変に美味です。\(^▽^)/
その鮒寿司を古式にのっとる作法で神に献上する「すし切り祭り」が行われる神社があります。
野洲川左岸の守山市幸津川(さづがわ)町にある下新井(しもにいかわ)神社です。
裃(かみしも)姿に脇差を差した若者2人が真魚箸(まなばし)という鉄製の箸と包丁を両手に持って、まな板に載せられたふなずし10尾を切り分ける、というもの。古式の包丁式ですね。
その後に行われる「長刀振り」「諫鼓(かんこ)の舞い」とともに国の無形民俗文化財に指定されているそうで、その祭り全体は「ケンケト祭り」という変わった名称がつけられているそうです。
祭りは5月4、5日に催され、すし切は5日の正午に行われるそうです。
ことしの祭りはもうすぐです。ご興味のある方はお急いぎください。
守山ガイド:http://www.moriyama.gaido.jp/kankou/maturi/susikiri.html
下新川神社。
「下」ということは「上」があるんだろうか・・・。 はい、あるんです。それは後ほど。
さすが立派な鳥居です。
参道の砂利もきれいに整備されている。
【由緒略記】によると、主祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)と新川小楯姫命(にいかわこたてひめのみこと)。
豊城入彦命は崇神天皇の第1皇子、新川小楯姫命は近江の国神で地の司水神とのこと。
この祭神のことも後ほど書きます。
由緒によると、祭神の豊城入彦命が東国平定のために湖西から丸太のイカダで渡ってきて、この地を平定し、幸津川の里と命名したとあります。
そのときに、鮒寿司を献上したところ大層喜んだ、という故事が鮒切り祭の起源とされています。
霊亀元年(715年)に小さな祠が建てられたのが神社の始まりらしい。
例大祭はその5月4、5日です。
参道の突き当たりに倉があって、そこを左手へ曲がると社殿があります。
入母屋造の大きな拝殿があって、その後方に本殿があります。
手前に中門があって、垣の中に本殿があります。
檜皮葺の大きな覆屋根。
中門から本殿を覗いたところ。
市の指定文化財が3つあるそうです。最後にすしきり祭りのことが書いてあります。
この神社の由緒について調べてみました。
ここは下新川神社ですが、同じ守山市立入町には新川神社という神社があります。
しかも野洲(やす)川を挟んだ対岸の野洲市にも新川神社がありまし
2つの新川神社は野洲川を挟んでまさに向き合ったような位置関係です。
ここ下新川神社と合わせて3社はどういう関係なのでしょうか。
下新川神社はこの記事で紹介した神社ですが、上新川神社はどっちの「新川神社」なのか。
そもそもなんでて上・下の新川神社ができたのか。
守山市立入町の新川神社の社伝によると、霊亀二年(716年)に大新川神霊を野洲・幸津川二邑に分祀する、とあるそうです。
新川神社(守山市):http://www.genbu.net/data/oumi/niikawa2_title.htm
こういう記述もありました。
野洲川下流域には3つの新川神社があります。すなわち、野洲町野洲の新川神社、守山市立入町の新川神社(上新川神社)、すしきり祭で名高い守山市幸津川町の下新川神社です。3神社は9世紀の『日本三大実録』にその名がみられ、暴れ川野洲川を鎮める司水神をまつった古社です。上新川神社の社伝によれば、霊亀2年(716)野洲川が大氾濫し、新しい流路をつくったので神霊を対岸の野洲と下流の幸津川に分祀したと伝えています。
国土交通省 近畿地方整備局琵琶湖河川事務所「野洲川風土記」
http://yasu.biwakokasen.go.jp/kurasi/inori/jinjya/
野洲川の氾濫で分祀されたようです。
時期は霊亀2年(716年)で、下新川神社の由来にあった霊亀元年(715年)と1年違い。
このあたり一帯はもともと立入庄と呼ばれた古郷であり、野洲川の氾濫によつて立入庄が二分されて、一方は野洲町に、一方は旧守山町に分離したのである。おそらくその折に、分割された方の立入庄にもとの鎭守神たる新川社を奉祀した(当社)ので、結果として新川神社は河を挟んでの二社を存することとなった。http://www.geocities.jp/engisiki/oumi/bun/oum220406-02.html
新川神社は立入庄にあったのですが、野洲川の氾濫で立入庄が二分されてしまったので、分離された方に新たに新川神社が分祀され。さらに野洲川下流の幸津川邑にも分祀され下新川神社になったということのようです。
次に祭神について。
安芸の宮島と厳島神社 [ 神社仏閣]
桜がいまだ咲かないころの広島でのこと。
広島には世界文化遺産が2つあります。
1つは原爆ドーム、もう1つは安芸の宮島。
原爆ドームは行ったことがあるけど、宮島には行ったことがなかった。
暗くなるまで少し時間があったので、初めて宮島に行ってみました。
広島駅から宮島口駅まではJRで約25分の距離。
宮島口桟橋からフェリーに乗ります。
フェリーはJR連絡船と松大汽船が運行しているけど、JR連絡船に乗りました。
JR連絡船に乗り込み。
改札口みたいなものがなくて、スーッと船に乗り込んじゃいます。
三宅島の神社:雄山の神・富賀神社 [ 神社仏閣]
今回と次回は神社編です。
三宅島の神社にちょっとだけ寄りました。
富賀神社。
噴火で被災したけど再建されました。
突然ですが、静岡県三島市にある三島大社をご存じでしょうか?
実はこの富賀神社は、なんとその三島大社の本宮だとされているんです。
うっそー!と思うほどの偉い神社なんですって。
そんな富賀神社と三島大社のことを紹介します。
謝国明の力と山笠が奉納される理由 承天寺@福岡 [ 神社仏閣]
今回も博多の観光ネタ、というかお寺めぐりです。
食べものネタ期待の方は、しばらくお休み下さい。(笑)
博多にある承天寺(じょうてんじ)、ここは臨済宗のお寺です。
「博多駅前1丁目」という住所です。
手前が山門。その向こうに、もう1つ門があります。
ほぉ・・菊の紋がついた門です。
天皇家と関係があるってことですね。
博多山笠が奉納されるわけがありました 東長寺@福岡 [ 神社仏閣]
食べ歩き福岡編は前回でおしまい。
食い物ネタ期待の方は、しばらくお休み下さい。(笑)
また観光ネタです。っていうか、お寺めぐりです。
地下鉄祇園駅の1番出口を出た所にある東長寺。
正式名称は南岳山東長寺。
「九州八十八ヶ所第一番霊場」の看板が掲げられています。
櫛田神社の由来、山笠は祇園神社から [ 神社仏閣]
福岡観光ネタの2回目。
前回紹介した地下鉄祇園駅近くにある「櫛田神社」。
今回はこの神社の誕生について、正確に理解しようと思って主にネットで調べた結果をアップします。
だから、興味のない方はぜひパスしましょう。(笑)
※わかりにくい、という評価をいただいたので、書き換えましけど、まだやっぱりわかり難いかも。
櫛田神社の祭神は、櫛田宮が大幡主命、大神宮が天照皇大神、祗園宮が素戔鳴尊(スサノオ)。
この立て札を注意して見ると。
櫛田神社に3つの祭神がいるんじゃなくて、櫛田宮、大神宮、祗園宮って書いてあります。
宮=神社が3つあるってことなんです。
そしてそれぞれの神社に大祭があります。
これって、ちょっと変わってます。
どうして3つの神社がいっしょなのか。
これが<第1の謎>です。
本殿に進むと、中央が櫛田神社、右が天照大神、左が須佐大神が祭られています。
それぞれに階段があって祭壇があるんです。
確かに神社が3つある。
そして2つの「大神」を左右に従えて中央に「櫛田神社」があるんです。
これも、あれ?って思います。
櫛田神社の祭神・大幡主命は天照や素戔鳴尊より偉いんだ!なんて思ちゃう。
櫛田神社の神様はなんでそんなに偉いのか?
これが<第2の謎>です。