「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」(本編)予告編
この映画の特徴の第1は、堀切さんが避難住民に寄り添って撮っていることです。
その1つの例は避難所生活空間の描写です。
騎西高校は避難所ですから、仮設住宅のような個室はない。
各教室でダンボールで仕切った空間で生活する、まさに避難所生活です。
そこでの生活の様子は、教室の中の段ボールで仕切られた空間に各家族のスペースがある、いかにもプライバシーのない悲惨な様子がテレビでもよく映し出されます。
しかしこの映画では、そういう場面が出てこないのです。
段ボールで仕切られた教室を俯瞰する映像は、それだけで避難者の悲惨さを訴えます。
しかし堀切さんの意図はそこにはありません。
避難所ではあれ、そこには双葉町民の生活があります。
長期にわたって生活する中で「ここのみんなは家族なんだ」と言う人がいる生活の場を俯瞰して撮り、悲惨な空間として見せることは上から目線なのだと思います。
映画の中で、まさにその上から目線を批判する場面があります。
埼玉から福島に戻った田中さん一家の長女が幼児を抱えながら語ったことです。
避難先のさいたまアリーナでのこと。
ボランティアの人たちが働いてくれているのだけれど、ダンボールに囲まれて座り込んだ自分たちを上から見おろされて「何ともいえない屈辱」を感じた、「すごくみじめで、情けない気分」だったと話します。
だから教室内の段ボールで囲まれた空間を上から見下ろす描写はないのでしょう。
もちろん段ボールで囲まれた空間で双葉町民が語る場面はあります。
しかしそのとき、堀切さんは相手とともに床に座り、相手の目線で(あるいはそれより下から)の映像を撮っています。
だから段ボールの壁とはいえ、それが一定の仕切になっている。
段ボールの壁は低く、その向こうには教室の壁が見えます。でもそこは相手の暮らす生活空間であり、それを悲惨だと見下す印象はもたらしません。
もう1つの例は書家の渡部翠峰さんの姿です。
翠峰さんは、この記事の冒頭にある「原発の町を追われて」という筆字タイトルを書家です。
翠峰さんは、騎西高校の視聴覚室で書道教室を始め、大人や子どもの生徒たちと楽しく暮らす個性豊かな人物です。
避難所生活だけれども、書道教室にいる間は、そこが避難所であることを忘れて字を書いている、と飴玉をしゃぶりながら堀切さんに語ります。
仕事がない中で、生き甲斐もなく避難所生活を送ることは人として大きな苦痛だと、何人かの人は映画の中で話しています。
それと対比するように、避難所であってもそこには1つの生活があるし、生き甲斐を持って生活しようとしている姿が静かに描かれていると思います。
この映画の第2の特徴は、そうした避難住民の葛藤と分裂を描き出していることです。
騎西高校に避難した人たちは、しだいに市内の借り上げアパートや個人のアパートに移ったり、福島に戻る人たちも出て来る。そういう避難者の中には意見の相違がある。
原発に関する考え方、町内・県内帰還に関する考え方、補償問題など、その相違と葛藤がリアルに語られています。
その1つが、家族10人で埼玉に避難してきた田中さん一家。
避難所を出て福島県内で暮らすようになり、その移転先でのシーン。
田中さんの義理の息子は東電で働いていた。
事故が発生のとき所長が、職員に現場を離れてもよいと指示を出して、80人の社員のうち10人が現場に残った中の1人が、その義理の息子だった。
責任感を持って作業を続けた息子を誇りに思う、と田中さんは涙を浮かべながら語る。
「特攻隊だったんだよ」という言葉が印象的です。
その父は原発に批判的な風潮に「(放射能があるにもかかわらず)これまでも住んできたんだ」「わけわからず騒ぐのはいちばん困る」と発言する。
父は原発建設を認めて土地を手放した人で、今も原発を容認している。
しかしこうした発言を単に原発容認派として括るだけでは済まされない。
制作者の堀切さんはこう語ります。
「田中さん一家はずっと東電で働いてきたので、事故の後始末を自分たちがやらなければという気持ちもあったのだと思います。福島に引っ越した後の仕事は、福島第一原発の構内の草刈りや一時帰宅する人の受付の仕事。やっぱり東電の復旧作業を何らかの形で手伝わなければいけない。事故を起こしたから「さようなら」ではないんですね。」http://actio.gr.jp/2013/09/30114235.html
望郷の念だけでなく、東電といっしょに暮らしてきたという思いがある。
福島を捨てずに、福島のために復旧に関わらないわけにはいかないと思うのでしょう。
しかし、やはり放射線に対する過小評価があると思います。
「だちに影響はない」と言って誤魔化した以後も適切な情報や方策が出されているのだろうか。
逆に故郷である福島を離れ県外へ避難している人への避難もあります。
騎西高校を出て、埼玉県の借り上げ住宅に住む女性が語るシーン。
「県外に避難した人は、いまでも福島では非国民扱いだ」「避難?バカじゃないの?と言われた」と語る。
こうして県外避難者と県内避難者との2つに分断されてしまっています。
続編では、県外避難についての対立が厳しく描かれます。
騎西高校には双葉町役場もあったが、避難生活2年目には役場を福島に戻すべきだという声が町民から出て来る。
井戸川町長は、県外にいた方がいいと主張する。その理由は、放射能から逃れるためにもあるが、福島県内にいては正確な情報、正確な判断がえられないという考えからでした。
町議会で町長に対する不信任案が出る。
その3回目、2012年12月20日、町長不信任決議案が議員8人の全会一致で可決される。町長は町議会を解散するが、2013年1月23日に町長辞職を表明し、2月12日に退任する。
その辞職の直前に、県内(いわき市?)で開かれた町民説明会が続編で映し出される。
なぜ福島県内に役場を移動させないのか。
仮設住宅にいる自分たちは水光熱費を払っているのに、加須市の避難所にいる連中はそれも払わずに良い思いをしているんじゃないか。
などという意見も出てきて、説明は紛糾する。
(堀切さんはいたたまれずに、町長を擁護する発言をして、その会場から排除されたために、説明会の映像は途中で中断されている。)
こうした町民間の分断こそ、実は原発による被害の結果です。
映画はそういうこともまたリアルに映し出していると思います。
2012年末、国は全国自治体に新たな県外避難援助を打ち切るよう通達しました。
そして2013年12月27日、旧騎西高校の避難所は閉鎖されました。
しかし町民間に存在する分断の問題はいまも解決されていません。
上映会のチラシを掲載します。(リンク先は脱原発ネットワーク茨城)