2月15日(土)に「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」という記録映画を観ました。
「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」公式サイト:http://genpatufutaba.com/

会場は「つくばサイエンス・インフォメーションセンター」で、本編56分と続編26分とが上映されました。(その後、福島からの避難者との交流会があったのですけど、それには参加しませんでした。)
主催者は脱原発ネットワーク茨城:http://nonukes-ibaraki.seesaa.net/

この映画は、福島原発事故から逃れて埼玉に避難してきた、双葉町の人たちを追ったドキュメンタリーです。
その映画を観ての感想、というより映画の紹介をしましょう。

制作者は、さいたま市在住の市民、堀切さとみさん。

堀切さんは、この映画の制作によって、NPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」が毎年選んでいる「女性人権活動奨励賞(やより賞)」の2013年特別枠「期待賞」を受賞しました。
 http://www.wfphr.org/yayori/award/j_2013.html

双葉町は福島第一原発が立地する町です(大熊町にも立地)。

2011年の3・11原発事故直後、双葉町は全世帯が避難勧告を受けた。
双葉町の住民は、大熊町や南相馬市などの住民とともに、埼玉県のさいたまスーパーアリーナに避難。しかしそこは3月31日で閉鎖になる。
双葉町井戸川克隆町長(当時)は役場を機能を埼玉県加須市の廃校になっていた旧騎(きさい)西高校に移転することに決め、そこに避難所を設けることにした。
井戸川町長もその避難所で生活しました。

旧騎西高校では、最多時1400人が避難生活を送りました。
双葉町の人口約7000のうち約2割の人たちがそこに避難したわけです。

「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」の本編は避難から約1年間を記録したもの、さらにその後約1年間を記録したものが続編です。

堀切さんは、避難先のアリーナで炊き出しなどのボランティアをし、さらに騎西高校へ集団で避難した双葉町の人たちと話しをするなかで、その現実を映像として記録することにしました。

堀切さんは、山口県の上関原発建設に反対する祝島の人たちを記録した「神の舞う島」(2009)を制作した人で、本人は反原発の立場を取っています。
しかし「原発の町を追われて」は、その立場はありつつも、騎西高校に避難した人たちに寄り添って記録をしています。

双葉町から埼玉県への避難民の中には、東電関連企業で働いていた人や今も家族が働いている人がいて、原発に対する態度は色々で、今も賛成の人がいる。
しかも埼玉県等の県外へ避難した人と福島県内に避難している人との間の確執もあります。

そうした現実をそのままに描き出すことで、避難している人たちのリアルな葛藤が伝わってくる映画です。