福島県 は、太平洋側の浜通り、中央部の中通り、西部の会津に分けられます。
東日本大震災で、浜通り地区は津波による甚大な被害を受け、中通りと浜通りは原発事故の被害を受けました。

その浜通り北部にある相馬市から南相馬市を通って飯舘村に行きましたので、南相馬市の様子を2回に分けて記事にします。

南相馬市は2011年に東日本大震災で地震と津波被害を受けたのですが、それ以上に問題なのは福島原発事故の被害です。南相馬市は福島第一原子力発電所から約10~40キロに位置しているからです。


http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu.html#shijiより引用。

現在の避難区域は、汚染度に応じて「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」が設定され、20キロ圏内も「避難指示解除準備区域」となっています。
どれも居住できない地域です。(詳しくは明日の記事で説明します。)

南相馬市の南部と西部に避難区域が指定されています。

しかし指定されていない白い区域が広くあります。
白の地域では居住できるわけで、その点では北に隣接する相馬市と同じです。
相馬市では農地が復旧されたところから営農活動が再開されています。
福島県では出荷されるコメの全袋検査が行われているので、安全性が確保されています。

ところが南相馬市ではそうではないことに驚きました。
農地の現状はこんな様子だったのです。

雑草は刈り取ってあるのですが、何も作っていないんです。

作付けされている田んぼはほとんど見当たらない。

野菜を作っているところが一部ありました。

なんで、こんな状況なのか?
南相馬市では市内全域での作付の自粛を行っていたのです。
正確には昨年までは全面自粛で、今年からは作付再開なのですが、まだほとんど再開されていないようです。

それはなぜなのか?
この点については長くなるので明日の記事にします。     

黒いビニール袋が並んでいます。除染用に剥ぎ取った土、あるいは雑草が入っているのでしょう。
ここは海に近い所で、行っている作業は後に白く見える消波ブロックの置き場の造成で、その過程で除草した雑草等をフレコンバッグに詰めたのじゃないかと思います。

この地域は居住できるレベルの汚染ですが、追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト以上(放射線量が1時間当たり0.23マイクロシーベルト以上)の地域では除染が行われているために、仮置き場が必要になります。



海岸近くにまだガレキが山積になっています。
避難区域内の震災ガレキだろうか?その処理が遅れているということでしょうか?
正確なところはわかりませんが、こうしてまだガレキ処理が残されています。

そんな一方で、「南相馬ソーラー・アグリパーク」という施設もありました。
HP:http://minamisoma-solaragripark.com/

 

ドーム型の野菜工場。

そして太陽光発電。

市が買い上げた津波被災地(市有地)を活用して太陽光発電所と植物工場を結びつけ、さらに子どもたちに体験学習をしてもらおうという施設です。

明るい話題なんですけど、これが将来の事業モデルになるのかどうかは、わたしにはよくわかりません。