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福島県浜通りのいま~南相馬市(2) [3.11以後]

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福島県浜通り北部にある相馬市から南相馬市を通って飯舘村に行きましたので、南相馬市の様子を記事にしています。
昨日は通りすがりに見えた様子を紹介したのですが、今日は少し解説をつけてみます。

南相馬市は2011年に東日本大震災で地震と津波被害を受けましたが、それ以上に深刻なのは福島原発事故の被害です。南相馬市は福島第一原子力発電所から約10~40キロに位置しているからです。


http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu.html#shijiより引用。

避難指示は、当初は同心円で出されましたが、しかしそれは科学的、客観的な根拠のないものであることが後に明らかになりました。
現在の避難区域は、汚染度に応じて「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」が設定され、20キロ圏内も「避難指示解除準備区域」となっています。
避難指示区域の変化は福島県HPにあります。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11050a/hinanchiiki-kuiki.html

帰還困難区域は、「5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域」であり、引き続き避難が継続される。この区域では、住民の一時立入りの際にはスクリーニングを確実に実施し、個人線量管理や防護装備の着用を徹底する。

居住制限区域は、「年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあり、住民の被ばく線量を低減する観点から引き続き避難の継続を求める地域」であり、帰還に数年以上を要するとみられる区域で、住民の一時帰宅(宿泊禁止)、通過交通、インフラ復旧など公共目的の立入りは認められている。

避難指示解除準備区域は、「年間積算線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域」で早期帰還を目指す地域であり、主要道路における通過交通、住民の一時帰宅(宿泊禁止)は柔軟に認められている。また、一時的な立入りの際には、スクリーニングや線量管理などの防護措置は原則不要となっている。

 

「避難指示解除準備区域」は、立ち入りや一時帰宅は可能ですが、避難指示は継続しているという理由から、自宅に夜間泊まれない。だから実際には「居住制限地域」とあまり変わりません。

南相馬市では、南部と西部に避難区域が指定されていますが、指定されていない区域、要するに居住できる区域が広くあります。

次に福島県のコメの生産ですが、作付け制限などが行われています。
 農水省「避難指示区域等における26年産米の作付に係る取組について」 より。
 http://www.maff.go.jp/j/press/seisan/kokumotu/140307.html

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2013年産米は、帰還困難区域は「作付制限」、、居住制限区域と避難指示解除準備区域は「作付制限」と「作付再開準備」の両方があります。
さらに「2011年産米で500 Bq/kg等を超える放射性セシウムが検出」された地域、「2012年産稲の作付制限が行われた地域」と「作付を自粛した地域」は、「全量生産出荷管理」になっていました。

「全量生産出荷管理」の地域では、水田の吸収抑制対策を徹底した上で生産される米の全量を管理し、全袋検査を行うことになっています。
ただし福島県は、この「全量生産出荷管理」の地域指定の有無にかかわらず、米の全袋検査を行っています。
だから販売されている米の安全性は確認されています。
福島県産の農産物は全て食べられない、というのは誤りです。

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2014年産米は、居住制限区域の一部が「作付制限」から「農地保全・試験栽培」になりました。
また「全量生産出荷管理」の地域が大幅に縮小しました。
ただし先にも書いたように、福島県は「全量生産出荷管理」の地域指定の有無にかかわらず米の全袋検査を行っているので、指定解除されても実際には全袋検査が行われます

 

南相馬市では、2013年産米は「作付制限」と「作付再開準備」でした。
避難指示区域の図を見ると、南相馬市は一部地域が「居住制限区域」や「避難指示解除準備区域」ですが、それ以外の地域は避難指示がされていません。
しかし市は、避難指示解除準備区域は「作付再開準備」となるところを「作付制限」にし、指定のない地域を「作付再開準備」にして、全域で稲作を自粛していたのです。 (もちろん市が勝手に指定したのではなく、農水省と協議してそうしたわけですが。)
そうして作付を制限した結果、東電の休作賠償金が支払われていました。

今年の2014年産米については、「作付再開準備」地域が「全量生産出荷管理」になりました。
避難指示の無い地域が「全量生産出荷管理」になったわけです。

その準備として2013年に実証栽培が行われ、2014年には避難区域を除いて本格的にコメ作りを始めました。
ところが、市の作付け目標面積500haに対して実際の作付面積はわずか約94haにとどまりました。
目標の僅か2割です。ほとんどの農家は、米を作らなかった。
なぜそんなことになるのか。

福島民友「コメ作付け“農家苦悩” 南相馬で本格再開、セシウム不安」にこういう記事があります。
http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/serial/140511/news1.html

背景には作付け時の収入が、市の補助金を加えても賠償額を下回るとの試算もあり、セシウムへの不安も拭えないままだ。
同市では昨年、流通を前提にした実証栽培が行われた。農家には作付けの有無にかかわらず東電の賠償が支払われたほか、作ったコメを売れば収入も得られた。しかし今年は稲作を自粛すれば賠償は継続し、作付けすれば賠償は打ち切られることになった。
収入の差を埋めるため、市は主食用米を作付けした農家に10アール当たり2万円、政府備蓄米を作ればさらに1万円の補助を決めた。しかし作付けを自粛した場合の賠償額は主食用米の収入を上回る見通しで、政府備蓄米を作った場合とも大差はない。
作付けを見送った原町区の農家男性(67)は「除染も進まない状況で労力を考えれば、賠償をもらえるうちはコメは作らない」と心情を明かす。昨年、旧警戒区域に近い原町区の旧太田村産米から食品の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超えるセシウムを検出しており、農家男性は「うちのコメから(基準値超の)セシウムが出れば、ほかにも迷惑を掛ける」と複雑な思いを吐露する。

別の記事によると、「震災前まで稲作の実績があれば、賠償金は10アールあたり5万7000円が支払われている。10アールの水田から上がる売上は多くて10万円、粗利は数万円という。」
 WEDGE REPORT「震災復興を加速させるために(1)一向に進まない農業復興・南相馬市」:
 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2633

10アール当たりで、粗利益数万円に3万円の助成を加えても休作賠償金に及ばない。
経営規模が小さい農家ほど単位面積あたりの粗利益は小さいでしょうから、小規模農家ほど作付しないインセンティブが大きいでしょう。
全市でコメ生産の自粛を行った結果、働いて得る収入よりも、働かないで得る収入の方が多いから、賠償金に依存する構造になってしまった、という問題が指摘されています。
そうした構造を作り出したそもそもの原因は原発事故にあるのだと思います。
助成金をつけて生産を促すだけでなく、これからの農業のあり方を計画して、生産再開を果たして欲しいです。

なお記事中の「セシウムへの不安」についての評価には異論があります。
生産者がそうした不安を抱くのは無理からぬことと思います。
しかし、福島県は全袋検査を行っているので、汚染された米が市場に出回ることは決してない。
だから「迷惑」のかかる心配はないはずです。

もちろん、セシウムが検出され、それで風評被害が出ることはありえますが、それはまさに「風評」。
実際には全袋検査が行われていて、セシウムが検出された米は出荷されない
むしろ検査によって安全性が確認されることになっているのです。

そうした風評被害の問題については、セシウム汚染は限りなくゼロでなければならない、という「ゼロベクレル神話」とも係わって、放射性物資汚染の現状を理解しないといけなく、そうしたことを記事にしたいと思っています。


 
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