弊ブログには食堂がときどき登場します。
食堂の料理は大衆食であり、また地元の食でもあり、庶民、地方の文化だと思っています。
でもそんな食堂がどんどん無くなっています。
とんちゃんも食堂で、ただ食べているだけじゃ能がないなぁ、と大衆食に関する書籍をボチボチと読んで、弊ブログでもときどき紹介しようと思いました。

ってことで、先日、遠藤哲夫『大衆食堂パラダイス!』(2011年年、ちくま文庫)を紹介しました。http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-22

今回はそれに引き続いて、遠藤氏の前著作『大衆食堂の研究』(1995年、三一書房)というスゴイ名前の本を紹介します。

大衆食堂の研究―東京ジャンクライフ

  • 作者: 遠藤 哲夫
  • 出版社/メーカー: 三一書房
  • 発売日: 1995/07
  • メディア: 単行本

ただしこの本は、とっくに絶版。
わたしは図書館で借りましたけど、著者がネットで全文公開していますので、そこで読むことができます。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

この本、グルメブームの風潮を批判して、「めしを食う」ことの意義を問うているんです。
「あとがき」でこう書いてあります。

「注文してから何分でできあがり盛りつけがどうで、味がどうで、雰囲気がどうでなどと外食を評価することは悪くはないが、めしくうということは、はたしてそれだけかということを、おれたちはもっと考えてみる必要があるのだ。」(p.219)

これに同感です。

弊ブログでは、遠藤氏が批判するそんな内容ばかりを書き連ねている感じですけど、しかしとても「同感」します。

またこうも書いてあります。

「この本でくそまじめに食生活を考えてほしい、といったら笑われるだろうか。
でもおれはくそまじめにくうことを考えていた。
どんなめしのくいかたをすべきかということについて、おれたちは何も考えなくなっているように思う。そして、こんな基準で食生活を判断することになれきっている。
  一、貧しいか、豊であるか、あるいは贅沢か。
  二、便利かどうか。
  三、新しいかどうか。
だいたいコンビニていどの豊かさと便利さと新しさが、都会的生活の象徴であり、相場になっているようだ。
そのことに異議申し立てをしようというわけではないが、食生活へはもっといろいろなアプローチがあっていいはずだ。」(p.219)

「豊富」、「便利」、「新い」が食生活の基準ではないのだ、と。
しっかり異議申し立てています。

著者が大衆食堂を取り上げたのは、そのアンチテーゼとしてなのです。

なぁーんて、書いたけど、この本自体はとっても軽いタッチで書かれています。
そうなんですけど、ちょいとマジメに内容を検討しようかなって思います。