札幌というとスープカレーが今や有名なんですね。
とんちゃんも「スープカレー」をいただきました。実食の様子は昨日の記事をご覧ください。
実はとんちゃん、札幌スープカレーってこれまで一度も口にしたことがなかったんです。
というのも「スープカレー」という名をつけた料理が札幌で登場したのは1990年代のこと。
そのとき、とんちゃんはもう札幌にいなかったんです。
とんちゃんにとってスープカレーは、ソウルフードでも、ふるさとの味でもない、全くの新参者。
今回は、「札幌でぜひスープカレーを食べて、感想を聞かせてくださいね。」というわが社の美女K子さんのたっての願いから、初めてスープカレーをいただくことにしました。
さてそこで問題です。
初めてスープカレーを食べるなら・・・・やっぱ、ルーツからでしょう!
ってことで、スープカレーのルーツ店を探しました。
「スープカレー」というメニューを初めて売り出した店は1993年創業の「マジックスパイス」だというのは知っていました。
ところが!
よく調べてみると、スープカレーのルーツは、マジックスパイス以前にあるんです。
その店の名は「アジャンタ」。
wikipediaの「スープカレー」にはこうあります。
1971年に札幌市の喫茶店「アジャンタ」が発売した薬膳カリィがオリジナルとされる。
アジャンタ薬膳カリィ店:スープカレー店の多くの店主が「大きな影響を受けた店」として名前を挙げている店である。店主の辰尻宗男(1934年〜2009年)は薬売りの行商で有名な富山県の生まれで、幼少時に札幌に移り住んだ。1971年に喫茶店を開店、家に伝わっていた漢方の薬膳スープと、インドのスパイス料理を融合した「薬膳カリィ」を考案し、一日20食限定で出したところ、口コミで評判となった。はじめは具無しだったが、1975年に「もったいないから出汁に使った鶏肉も出して」という客のリクエストにより具入りとなったという。
「薬膳カリィ」ってなんだ?興味をそそりますよ。
ともあれググってみると・・・
薬膳カリィ本舗・アジャンタ総本家:http://www.ajanta.jp/
このお店がすぐに発見できました。
東区北23条東20丁目にあるお店です。
ここがルーツか?
しかし!
「アジャンタ」の名がつくお店がもう1つあるじゃないか!
もう1つの「アジャンタ」とは、中央区南22条西7丁目、電車通りにある「アジャンタ・インドカリィ店」。
さっきの「薬膳カリィ本舗・アジャンタ総本家」は故辰尻宗男氏の店で、現在はその弟子が継承している。
「アジャンタ・インドカリィ店」は、なんと、辰尻氏の元妻・南美智子氏が経営する店なんです。
当然ですけど、元々はお二人でお店を経営していたはず。
2つの店はどういう関係なんだ?
さらに興味をそそります。
ということで、札幌スープカレーのルーツ・薬膳カレーのお店が今回のテーマ。
調べてみると、さっきのwikipediaの記述は正しくないことも判明しました。
◆2つのアジャンタまずは、2つのアジャンタの歴史について紹介しましょう。
薬膳カリィ本舗・アジャンタ総本家のHPから
「アジャンタ総本家の歴史」:http://www.ajanta.jp/history.html
辰尻宗男氏の対談「スープカレーの元祖おおいに語る」:http://www.ajanta.jp/special.html
(対談は『カレー賛昧(ざんまい)2005 至福のスープカレー』(ティーツーワイジャム)掲載の対談記事の一部。)
・辰尻さんがインドへ数十回訪れ、スパイスと漢方の融合というアイディアが芽生える。
・札幌の漢方薬店から漢方薬の基本を伝授してもらい、独学、試行錯誤の末に薬膳スープカレーの原型が完成した。
・薬膳カリィは自分のための食べ物だったが、常連客に聞かれて食べさせたのが始まりで、当初は限られた常連だけに出していた。
・喫茶店で最初に薬膳カリィを出したのは1971年。
・1971年当時のカレーは具が入らず、スープにご飯を添えるだけのものだった。
・スープを取るため大量の野菜と鶏肉丸ごとを使ってダシを取り、ダシガラを捨てていたが、常連客からの「捨てるくらいなら食べさせて」と言われて具にしたのは1975年頃だ。
・1975年に「薬膳カリィ本舗アジャンタ」の看板を上げた。
アジャンタ・インドカリィ店に南美智子さんのインタビュー記事が貼ってありました。
一昨年、辰尻宗男さんが死去したとある。辰尻さんは2009年に亡くなったので、2011年の記事みたい。
(記事当時に39歳の娘さんの年齢から時期を特定します。)
内容の要点はこういうこと。
・札幌の街中で喫茶店をやっていた。
・子どもが生まれたので当時の北海道教育大学近くに移転した。(1971年頃)
・その店でサラサラのインド風チキンカレーを出したら、学生に好評だった。
・2度引越しをして現在の店に落ち着いた。(1977年頃)
・この間、辰尻宗男さんはインドにのめりこむ。
・宗男さんの父が体調を崩し、父のために香辛料と漢方薬を勉強した。
・薬膳カレーの原型ができる。(1980年頃)
・その影響を受けていくつかの店がスープカレー作りを開始した。
以上2つの内容は、かなり重要なところで、齟齬がある。
辰尻さんは、1971年に薬膳カリィを出したとしている。
でも南さんは、1971年に喫茶店を旧北海道教育大学近くに移転してインド風チキンカレーを出したとしている。
時期については南さんの記事の方が正しいと思います。
◆アジャンタと薬膳カレー
食べログの記事も参考にすると、こういうことのようです。
ご夫婦で喫茶店を始める(時期、店名は不明)。
1971年頃に旧北海道教育大の近くに移転して、学生相手にインド風チキンカレーを出し始める。
これはサラサラのカレーです。
その後、宗男さんがインドに数十回通うようになる。
宗男さんの父の病気があり、香辛料と漢方薬を勉強して父のために具の入らない薬膳カレーを作る。
その薬膳カレーを常連に出す。 (インド風チキンカレーもメニューにある。)
常連の意見で、出汁用のチキンレッグを具にする。これが1975年頃。
1977年頃現在の「アジャンタ・インドカリィ店」の場所に店を移転する。(それ以前はすぐ隣の店舗。)
このときはまだ喫茶店だったようです。
その頃、カレーの人気投票で1位になったことから、行列店になる。
カレー専門店「アジャンタ・インドカリィ店」になったのはその後でしょう。
そして薬膳カレーの原型ができる。(1980年頃)
そんなわけで、「1971年に喫茶店を開店」とか「1971年に薬膳カリィを発売」、さらに「家に伝わっていた漢方の薬膳スープとインドのスパイス料理を融合した「薬膳カリィ」を考案した」というwikipediaの情報は誤りでしょう。
◆その後
ご夫婦で喫茶店を開店して、薬膳カレーを出して有名になり、スープカレーのルーツになったアジャンタさん。
しかし現在、アジャンタは2店あります。これはなぜか?
※追記:以下の部分にはスープカリー大好きさんからコメントがありますが、文章は原文を残しておきます。
プライベートな話ですけど、ご夫婦の離婚と関係があるらしい。
先の雑誌記事では、記事の10年前、すなわち2001年頃、お二人が離婚したとあります。
そして辰尻さんが「薬膳カリィ本舗アジャンタ総本家」を開店し、「アジャンタ・インドカリィ店」は南さんが引き受けた。
こうして2つの店になったようです。
現在、「薬膳カリィ本舗」は辰尻さんの弟子が経営しています。
「薬膳カリィ本舗」は「加盟店オーナー制度」をしていて、加盟金や毎月のロイヤリティを徴収している。
HPで「類似店名にご注意下さい」なんてあるのは、それとの関係からでしょう。
「総本家」という店名にしたのもこの制度と関係があるのでしょう。
この制度がいつからなのかは知りません。
アジャンタの創業者・辰尻さんがこの制度を創設したのか、あるいは経営継承した弟子が創設したのか。
このことを云々するのはやめておきます。
辰尻さんが亡くなった現在、よりルーツに近いのはどちらの店か。
「アジャンタ・インドカリィ店」じゃないか、わたしはそう判断したわけです。