稀勢の里の横綱昇格で、地元は稀勢の里応援の一色。
18日(日)にはパレードも行われます。

いま、茨城県龍ケ崎市の「ショッピングセンターサプラ」で稀勢の里展が行われています。
稀勢の里が卒業した龍ヶ崎市立長山中学校に「稀勢の里資料室」があって、その出張展示です。

当初は1月26日(金)~2月6日(月)の予定でした。
ところが来場者数が3日間で5千人、5日間で7千人を突破!
そのため会期を2月20日(月)まで延長しましたよ。ヽ(^◇^*)/

stkさんのブログで知って、すぐに行ってきました。
でもカメラを忘れてしまい、写真を撮れなかったんです。(;´ρ`)

ところが会期が延長になったもんで、再訪
今回はカメラに収めることができました。σ(゚ー^*) 


サプラのイベントホールにつくられた稀勢の里展示コーナー


稀勢の里関もあいさつに来ていました、(ウソ!)


【出張 稀勢の里資料館】
稀勢の里、本名・萩原寛さんは、兵庫県芦屋市生まれで、2歳のときに龍ヶ崎市へ移転。
龍ヶ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校を卒業して、松戸市にある元横綱隆の里の「鳴戸部屋」へ入門しました。

それで、長山中学校に「稀勢の里資料館」があるんです。
卒業した小学校も中学校も「ショッピングセンターサプラ」のすぐ近くですよ。

ただし中学2年のときに龍ヶ崎市から牛久市に移転したため、入門時の出身地やご両親の居住地は牛久市。そのため稀勢の里郷土後援会の事務局は牛久市にあります。

でも、稀勢の里・萩原寛さんの思い出は龍ヶ崎市の小中学校生時代なんでしょうね。

そんな長山中学校の稀勢の里資料館からの貴重な資料がいろいろ展示されています。


新聞記事もいろいろと掲示されています。


野球ボールを投げる稀勢の里関。
小学校時代は龍ヶ崎ハリケーンズ、中学の時は軟式野球部で野球をしました。
キャッチャーもしたけど、エースで4番だったんです。
なんと強豪高校野球部からスカウトされたけど、それを蹴って角界に入ったんです。


産経ニュースより)
小学生のときの写真。


スポニチより) 
かなりの巨体です。


いろいろ写真。


デカいジャージに押された手形。
中学卒業の時、同級生にサインをねだられたけど、師匠から一人前になるまでサインを禁止されていたため、色紙とジャージーに手形を残したんだそうです。
持っているのは、長山中学校で2、3年時の担任を務めた若林克治さんです。


その中学時代の手形入り特大ジャージが展示されています。
これ、むちゃくちゃデカイわ!w( ̄▽ ̄;)w


毎日新聞より)
このジャージを着た萩原寛くん。デカいですね。


龍ヶ崎育ち稀勢の里のいろんなもの。


【天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。】

どきり!とさせられる言葉です。
すごい気迫と信念を中学の時にしっかり持っていたんですね。 


中学校の卒業記念に書いた文章。
稀勢の里関、萩原寛君にとって中学校が最後の学校生活でした。

中学校の思い出をアサヒの上履きシューズ「グリッパー」にかけて語っています。
この文章が、かなり面白いの。(*´▽`*)

萩原寛君の足のサイズは、なんと32センチ
なのに29センチの靴を履くから、そりゃ靴が壊れるわ。
そんでも3年間履き続けようと思ったんだな。
オンボロの靴を履き続けることに、なにか英雄感のようなものを覚える、その気持ちわかるなぁ。
男の子ってそういうのあるんじゃないだろか。

ただ、この文章の本旨はそこじゃないんでしょう。
短い学校生活を終えて角界に入る、社会人になる、そこを書きたかったんでしょう。

稀勢の里関の人柄がしのばれる文章です。

ごっつぁんですっ!