東松島市からの帰り道、松島町にある瑞巌寺に立ち寄りました。
とんちゃんは何度か来たことがありますが、同行者は未訪とのことだったので。
そしたら、震災の津波に被災して、境内を修復中だってことを知りました。
しかも瑞巌寺の歴史について意外なことを知りました。
国宝になっている瑞巌寺。
立派な石畳です。
この石畳は、硯(すずり)にもちいられる「雄勝石」を使っているそうです。
今では石巻市になった雄勝町で産出される硯石です。
東松島市からの帰り道、松島町にある瑞巌寺に立ち寄りました。
とんちゃんは何度か来たことがありますが、同行者は未訪とのことだったので。
そしたら、震災の津波に被災して、境内を修復中だってことを知りました。
しかも瑞巌寺の歴史について意外なことを知りました。
国宝になっている瑞巌寺。
立派な石畳です。
この石畳は、硯(すずり)にもちいられる「雄勝石」を使っているそうです。
今では石巻市になった雄勝町で産出される硯石です。
総門を入ると参道には杉木立が続くのですが、なんと修復工事の最中です。
東日本大震災の津波が来襲し、その修復が行われています。
しかも塩害で杉が300本も枯れたそうで、かつての杉木立は寂しい状況になっています。
だから参道を通ることができず、必然的に右の崖にある洞窟群を観ながら奥へ進むことになります。
洞窟と供養塔がたくさん並んでいます。
格子の嵌った洞窟は法身窟(ほっしんくつ)。
鎌倉時代半ば、宋から帰朝してこの岩窟に遁世していた法身(ほっしん)禅師が東国行脚中の執権北条時頼と出会ったところと伝えられている。
実際に時頼が来たわけではないでしょうが。
本堂。
この瓦屋根ですから、震災で大きな被害にあっただろう・・・と思ったら、いかんせん。
平成20年から大修理を行っていて、この本堂の瓦もすべて下してあったところに地震があったので、瓦屋根の被害はなかったそうなんです。それは不幸中の幸いでした。
最後に瑞巌寺のことですが。
瑞巌寺の正式名称は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」とずいぶんと長いんです。
「青龍山」は山号ですが、その次の「瑞巌」「円福」の2つが寺の名称。
1259年頃に執権北条時頼が、先ほど登場した法身を迎え建立したのが臨済宗の円福寺。
その後、江戸時代になって伊達政宗が寺を復興し、1608年に円福寺を瑞巌寺に改称しました。
なので臨済宗の寺としては「瑞巌円福禅寺」というわけです。
ところが、その前にも長い歴史の寺があったということを知りました。
天台宗の青龍山延福寺という寺があったんです。
828年に、淳和天皇の詔勅によって、比叡山延暦寺の第三代座主・慈覚大師円仁が建立したとされる寺です。
実際には円仁ではなく、その弟子が建立したのでしょうが、天皇の詔勅によっている、というのは重要でしょう。
蝦夷征討終了後に、東北における鎮護国家の拠点として重要な役割を持っていたということでしょう。
その延福寺は広大な敷地を持ち、平泉・藤原氏の外護を受けた。
藤原氏滅亡後は鎌倉幕府・北条氏の庇護を受けていた。
この寺は奥州松島寺と呼ばれていました。
しかし先の北条時頼によって武力をもって廃寺とされ、円福寺が創建されたのです。
それで天台宗は終わったのかというとそうではなく、その後も、天台勢力と禅宗勢力は寺務の管轄権をめぐって激しく対立したそうです。
なぜ北条時頼が天台宗の寺を廃して、臨済宗の寺にしたのか。
ググっていると、1260年に執権北条時頼が「奥羽天台宗寺院廃滅令」を発布したことを知りました。
奥羽とは陸奥(むつ)国と出羽(でわ)国のことで、今の東北6県のこと。
そして当時の「奥羽両国天台寺院総触頭」は松島の延福寺でした。
時頼は、延福寺だけでなく、東北の天台宗の寺全体を廃したのです。
なぜそんなことになったのか・・・もうは、少し詳しく知りたいところです。