江島神社、祭神の江島大神とは、そしてルーツの岩屋へ 鎌倉・江の島へ夫婦旅行(10) [ 神社仏閣]
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鎌倉・江の島へ1泊の夫婦旅行をしたときのことを連載中。
いよいよ最終目的地、江の島へ。
とんちゃんは、2009年に家族とともに初めて来て以来、2度目の江の島です。
文政4年(1821年)に建てられという「青銅の鳥居」をくぐって、参道を上がります。
朱の鳥居。
ここから先はエスカーを使います。
鎌倉大仏に朝鮮王宮の堂、長谷寺に洞窟 鎌倉・江の島へ夫婦旅行 (9) [ 神社仏閣]
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鎌倉・江の島へ1泊の夫婦旅行をしたときの連載を再開します。
2日目は江ノ電に乗って、カミサンが大好きな江の島方面へ。
鎌倉駅で1日乗車券「のりおくん」を購入。
いろいろお得なこともあるから、ってんで購入しました。
しかしこれを購入するのに、ちょっとトラブル。
宿からのバスを降りたのは東口。そこからスイカで入場。
西口にある江ノ電へスムースに乗れるはず・・・。
しかし、1日乗車券は改札内の券売機では買えず、西口改札の外にしかない!
ってことは、JR鎌倉駅の入場料を払うことになる!
だからカミサンだけが改札を出て、2人分の1日乗車券を購入してきました。
ともあれ、江ノ電に乗車。
江ノ電。
いろんなタイプの車両があるけど、どれも素敵。乗るだけでワクワクします。
カミサンは運転席のすぐ後ろの席をとりました。
ただし、最前列じゃなく、連結部分の席。しかも進行方向と逆の後ろ向き。
あえてこの席を狙ったのか?完全に外したのか?
ま、どっちでもいいですわ。(*^▽^*)
この日も、行程はすべてカミサン任せ。江の島へ行く途中には、長谷駅で下車。
カミサンと謎多き伊勢神宮を観光-内宮とアマテラスのことー [ 神社仏閣]
カミサンとの名古屋旅行で伊勢神宮へ行きました。
内宮が今日の記事です。
内宮に祀る天照大神は最高神、というのは作られた神話。アマテラスの謎にも少しだけ答えます。
五十鈴川に架かる宇治橋を渡って境内へ。
手水舎でお清め・・・いえ、ここはパス。
参道から逸れて、五十鈴川へ向かいます。
カミサンと謎多き伊勢神宮を観光-外宮からー [ 神社仏閣]
名古屋に行こう!というカミサンの唐突な提案から始まった名古屋旅行。
2日目は朝から伊勢神宮へ。
カミサンは信仰心がややあるから神宮参詣。
とんちゃんは信仰心が皆無だから、神宮観光ってところ。
信仰心はないけど、伊勢神宮の歴史には大いに興味があります。
アマテラスと伊勢神宮にはいまだ明かされない謎が多くあるからです。
伊勢神宮はいつ、どうして出来たのか、内宮の祭神・天照大神(アマテラス)はどういう由来の神なのか。外宮の祭神・豊受大神やその他の神々はどのような神なのか。
※伊勢神宮は、内宮・外宮の正宮(まさみや)のほかに、14の別宮(わけみや)、43の摂社、24所の末社、42所の所管社、合わせて125の宮社をあわせたものです。
さて、ホテルで朝食を済ませて名鉄名古屋駅へ。
近鉄名古屋8:50発の特急に乗りました。
カッコイイ電車ですね。
とんちゃんたちの席は2階建車両の2階。いい眺めでした。
1時間20分で伊勢市駅に到着。落ち着いた感じの駅舎です。
表参道を通って外宮へ向かいます。
文武廟の謎と秘められた歴史 [ 神社仏閣]
カミサンと台湾ツアーへ。
日月潭にある文武廟へ行ったことを前回の記事でアップしました。
今回の記事は、その文武廟について、かなり詳しく書いてみました。
しかも正史には語られていない秘密、そして蔣介石が絡む秘密があります。
さて、3階層になっている文武廟には、それぞれの階層に神が祀られています。
1段目の水雲宮:開基元祖と文昌帝君
2段目の武聖殿(正殿):関聖帝君(関羽)と岳武穆王(岳飛)
3段目の大成殿(後殿):孔子と孟子・子思子
文武廟の普通の説明はこうなっています。
- かつて日月潭の湖畔には北吉集落の益化堂と水社集落の龍鳳宮という先住民サオ族のお寺が2つあった。
日月潭をダム湖にして、湖水の水位が上昇するので2つの廟が水没する。
2つの廟が買収され、1938年に、それらが合祀されて「文武廟」が建立された。 - 主祭神が学問の神・孔子と武の神・關聖帝君(関羽)なので「文武廟」と呼ばれる。
しかし、この説明がどうも変なのです。
そして調べてみた結果、全く異なる結論に至りました。
- 先住民サオ族のお寺、旧益化堂と旧龍鳳宮の主祭神は慚愧祖師である。
龍鳳宮は文武廟に合祀されずに、別の場所に移転して現存する。
旧益化堂は文武廟となり、主祭神の慚愧祖師は開基元祖として祀られている。
旧益化堂の祭神に関聖帝君(関羽)はあったが、文昌帝君、岳武穆王(岳飛)はなかった。 - 文武廟の当初の主祭神は文神・文昌帝君と武神・関聖帝君だった。
孔子は後からやって来て、関聖帝君の上に君臨し、文昌帝君は下に置かれる。
その仕掛人は蔣介石だ。
なぜ、そういう結論に至るのか、順番に説明しましょう。
日月潭の文武廟にて [ 神社仏閣]
台風19号の被害は、はやり酷いものです。
被害にあわれた方々は早く回復されることを願うばかりです。
そんな中で、ワールドカップ・ラグビーのカナダ代表が試合中止になった釜石でボランティアをしたことに感謝し、敬意を表します。
私自身は被害がないため、昨夜は、ワールドカップ・ラグビー、スコットランド戦で興奮していました。日本代表はついに決勝トーナメント進出! 頑張ってください!
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さて、カミサンとの台湾ツアー。
2日目は、台中市内の宝覚禅寺を観光してから、台中市の東南約40km、南投県にある観光名所・日月潭へ。
日本語では、現在は「にちげつたん」と呼ばれますが、戦前は「じつげつたん」と呼ばれていたそうです。
「潭」とは水を深くたたえた所のこと。
日月潭は、台湾で最も大きな湖。
というか台湾には大きな湖はなく、日月潭が7.9km2、第2位の澄清湖(人造湖)が1km2ですから、ダントツに大きい。
そして太魯閣、阿里山と並んで、台湾中部にある台湾三大景勝地の1つだそうです。
湖の北側が太陽(日)の形、南側が月の形をしているので「日月潭」と呼ばれているんだって。
湖の形を見ても、あんまり日と月には見えないけど・・・
理由は、日月潭の歴史にあります。
日月潭の水深は27m、面積は7.9km2あります。
しかしかつては、水深は6m程度、面積4.5km2の湖でした。
そこに濁水渓という川から約15キロの導水管を設けて水を引き込み人造湖としました。
その水で、水力発電を行うためです。
1934年にダム湖と発電所が竣工。
湖の水深は21mも増え、面積は約2倍になりました。
それで形が大きく変わったんです。
湖を楽しむ時間はなくて、湖畔北側にある文武廟の観光がメインでした。
祭神は、儒教の祖、学問の神・孔子と武の神・關聖帝君(関羽)が祀られているので「文武廟」です。
かつて日月潭の湖畔には水社集落の龍鳳宮と北吉集落の益化堂という先住民サオ族のお寺が2箇所ありました。
日月潭をダム湖にするので水位が上昇し、2つのお寺が水没することになった。
それで2つのお寺が買収され、1938年に、それらを合わせて「文武廟」が建立された。
文武廟については、以上のように説明されています。
しかし、実はそうではないのです。
そのことは次回の記事で説明します。
ともあれ、まずは文武廟のご紹介。
日本人の遺骨収集と宝覚禅寺の2つの慰霊塔とは [ 神社仏閣]
前回の記事で、台中にある宝覚禅寺に戦前・戦中に亡くなった日本人の遺骨が集められて埋葬されていることを書きました。
しかも宝覚禅寺には2つの日本人慰霊碑があることも紹介しました。
どのような経緯で遺骨が集められたのか?
そしてなぜ宝覚寺に2つの慰霊碑があるのか?
そのことについてご紹介します。
◆敗戦と遺骨の放棄
◆遺骨の収集
◆慰霊碑の建立
◆慰霊碑のその後
日台の戦没者慰霊碑を忘れないで 宝覚禅寺@台中市 [ 神社仏閣]
カミサンと台湾ツアー。
台中のホテルを出発して、台中市内を観光。
今回は、ネットでほとんど紹介されていないことをかつ正確に、記事にします。
それは日本と日本人にとって非常に大切なものです。
宝覚禅寺。
昭和3年(1928年)に建立された日本由来の臨済宗妙心寺派のお寺。
このお寺は金の大仏で有名で、そのことは前回の記事で紹介しました。
それは多くのネット情報でも紹介されています。
「大切なもの」とは、先の戦争で日本人、日本人として亡くなった台湾人の慰霊碑がいくつもあることです。
まず1つめ。
立派な慰霊碑。
中部地区 日本人遺骨安置所。
1961年に、当時はまだあった日本大使館によって建立されたものです。
ここには、戦前・戦中に台中近辺で亡くなった日本人の遺骨約1万4千人が納めています。
2つめは・・・
日本式寺院に金ピカの大仏 宝覚禅寺@台中市 [ 神社仏閣]
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カミサンと台湾ツアー。
台中のホテルを出発して、台中市内を観光。
宝覚禅寺。
昭和3年(1928年)に建立された臨済宗妙心寺派のお寺。
そう、日本の仏教のお寺なんです。
寺の前には日本式の灯篭。
そして狛犬じゃない2体の白い象。
伝説によると、お釈迦様は白象の姿になって母の胎内に入ったとされています。
だから象は釈迦の化身なんです。
でも、なんで日本のお寺なのか?
日清戦争の結果、下関条約によって1895年に台湾が清国から日本に割譲されました。
それから第二次大戦後の1945年のポツダム宣言で中華民国に返還されるまでの約50年間、台湾は日本の統治下にありました。
その日本統治時代の1928年に、日本のお寺が建立されたのです。
日本人は、お盆にはお墓参りする仏教徒、そして新年には神社に初もうでする神道が多い。
でも台湾は、いろんな宗教が混在、融合しているんです。
そんな台湾の宗教については、後日、記事にしようと思います。
さて、大きなコンクリートの建物の中に本堂の宝覚禅寺があります。
本堂は、上段部分は台湾流にレンガ造りですが、下段部分は日本流の木造。
1999年に発生したマグニチュード7.7という巨大な台湾中部大地震のせいでお寺も被害を受けました。
本堂の改修の際には、台湾に修理できる人がいなくて、日本から宮大工に来てもらったそうです。
そしてコンクリート製の建物が建造されました。
相馬中村神社と相馬神社@福島県相馬市 [ 神社仏閣]
福島県相馬市では、相馬野馬追という祭りが7月に開催されます。
相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社から発した騎馬武者3軍が、南相馬市原町区にある相馬野馬追祭場地で争うという祭りです。
ハイライトは、甲冑競馬や神旗争奪戦。
2016年は7月23日~25日に開催され、 3日間で延べ約19万3千人の観客が馬追を見つめました。
残念ながら祭りを見る機会はないのですが、その相馬中村神社を観に行きました。
3つの神社はどういう関係なのか?そして何を祀っているのか?
広々とした参道。
相馬中村神社。
相馬野馬追の出陣式が行われるところです。
参道を進みます。
道が2つに分かれている。
ここが、相馬中村神社。
旧社号は妙見大明神だそうです。
この祭神については、また後ほど。