カミサンと謎多き伊勢神宮を観光-内宮とアマテラスのことー [ 神社仏閣]
カミサンとの名古屋旅行で伊勢神宮へ行きました。
内宮が今日の記事です。
内宮に祀る天照大神は最高神、というのは作られた神話。アマテラスの謎にも少しだけ答えます。
五十鈴川に架かる宇治橋を渡って境内へ。
手水舎でお清め・・・いえ、ここはパス。
参道から逸れて、五十鈴川へ向かいます。
五十鈴川御手洗場。
ここで手を清めます。ってことは、ブラタモリで予習しました。
参道に戻る途中、右手側に瀧祭神があります。
ここは社殿がなく、板垣の内側にある石が御神体、という古いタイプの神社です。
祭神は五十鈴川の水神。
伊勢神宮の造営以前にあったとされていて、地元の土着神のようです。
神楽殿を横から。
神楽殿の脇でお札や御朱印をいただけます。
カミサンは2つめの御朱印をゲット拝受しました。
そして階段の上にある正宮へ。
ここ正宮には天照大神が祀られています。
写真はここまでにしました。
この右側に古殿地があります。でも外宮みたいにオープンじゃなくて、見えません。
ところで、天照大神を祀る伊勢神宮が、いつ、どのように、なぜここにできたのか?については、いまだ謎があります。
正宮の主祭神・天照大神は日本神話の最高神、天孫降臨を指令した司令神、皇室の先祖神=皇祖神、と信じられています。
しかし研究から、今では、以下のように考えられています。
伊勢神宮は当初は太陽神を祀る、地方神の神社だった。
5世紀に皇祖神がタカミムスヒとされた。
※タカミムスヒは、日本書紀で高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)、古事記で高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)。
8世紀、壬申の乱で成立した天武朝でアマテラスが皇祖神とされた。
皇祖神が、タカミムスヒからアマテラスヘ、いつ、どのようにして、なぜ、替えられたのか?興味深い謎です。
また天照大神は、「日本書紀」で、はじめは「大日孁貴」(オオヒルメノムチ)として登場します。オオとムチは称号なので、内容は「ヒルメ」。これは日神に仕える女=巫女(みこ)という意味で、それが「天照大神」と呼び変えられる。神を祀る巫女が、どうして神になったのか?も謎です。
※溝口睦子氏は、「ヒルメ」は日の女、太陽の女神を意味するとしています。そう理解すると、巫女が女神になったという疑問は生じません。
5世紀、河内政権がヤマトに入って建てた応神・仁徳の第二次ヤマト政権がタカミムスヒを皇祖神とし天孫降臨神話をつくった。天武が地方神だったアマテラスを皇祖神とし、日本書紀、古事記を編纂させた。
アマテラスが皇祖神となった歴史については溝口睦子氏の本がわかりやすい。日本書紀や古事記の知識があると、さらに面白いです。
- 作者: 溝口 睦子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/01/20
- メディア: 新書
天照大神の荒御魂を祀るとされる荒祭宮。
右が現在の社殿で、左が荒祭宮の古殿地ですね。
荒祭宮は参拝者が多いです。
ここは正宮の創建当初からあった別宮(わけみや)です。その祭祀遺跡は5世紀にさかのぼる。伊勢神宮が創設された8世紀より以前からあった。
荒御魂を祀る宮が、なぜ「荒宮」(あれみや)じゃなく「荒祭宮」(あれまつりのみや)という名なのか?
「アレマツリ」とは「ミアレ」(顕現)する神を祀る宮のことで、伊勢の神は、当初はこちらで祀られていたとも考えられています。
当初の祭神(伊勢の神)は、皇祖神としてのアマテラスではなく、地方神としてのアマテラス、ヒルメでしょう。
途中にいくつかの倉があります。
その造りが面白い。梁が柱から浮かんでいます。
梁は柱で支えられているんじゃなくて、壁に支えられているんです。
年を経て、壁の板が乾燥して縮むと、梁が柱に接する。
そのころには式年遷宮になるということらしい。
正宮も同様の造りだそうです。
なんてこともブラタモリで知りました。
神楽殿の向かいにある橋を渡ったところにある風日祈宮。
風を司る神、級長津彦命と級長戸辺命を祀っています。両神は男神・女神とも、同一神ともされています。
ここは、元来は末社の「風神社」でした。
鎌倉時代、1281年の蒙古襲来事件(元寇)のときに神風を吹かせたという功績で、別宮に昇格したものです。
元寇に際して朝廷や幕府が、内宮の風神社と外宮の風社で祈祷を行なったという情報がありますが、そうではなく正宮に祈祷したのでしょう。しかも伊勢神宮だけでなく、多くの神社や寺に異国調伏の祈祷や祈願、奉幣をしています。
創建不明な末社であったことから、風神社は土着の神社だったでしょう。
今も行われる風日祈祭は、農耕に都合のよい風雨をもたらす土着神として行なわれていたものでしょう。
宇治橋に戻る手前を右に進むと、大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)と子安神社があります。
大山祇神社は旧称「山神社」。
伊勢神宮の式年遷宮で用いられる用材は、かつては神宮の裏山から伐採されたものでした。その山を守る土着の神が「山神社」でした。
それが伊勢神宮に所管されるなかで、祭神が大山祇神になったのでしょう。
大山祇神は、愛媛県今治市の大山祇神社、静岡県三島市の三嶋大社の祭神です。
「山の神」という意味なので、山神を大山祇神とする神社が多くあります。
なお、大山祇神と三嶋神社については、以前の記事に詳しく書きました。
⇒三宅島の神社:雄山の神・富賀神社
子安神社の祭神・木華開耶姫(このはなさくやひめのかみ)は大山祇神の娘です。
この神社も元は宇治館町の産土神だったそうです。
その後、大山祇神の娘を祀る神社だとされるようになったのでしょう。
じっくり考えると興味深いことがいろいろあります。
アマテラスの誕生については、とくに謎が多くて、歴史として非常に興味深いです。
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