江島神社、祭神の江島大神とは、そしてルーツの岩屋へ 鎌倉・江の島へ夫婦旅行(10) [ 神社仏閣]
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鎌倉・江の島へ1泊の夫婦旅行をしたときのことを連載中。
いよいよ最終目的地、江の島へ。
とんちゃんは、2009年に家族とともに初めて来て以来、2度目の江の島です。
文政4年(1821年)に建てられという「青銅の鳥居」をくぐって、参道を上がります。
朱の鳥居。
ここから先はエスカーを使います。
エスカー
エスカーとはエスカレーターのこと。
周遊チケットを購入するとお得なサービスもあります。飲食店は5%引き。
今回は「岩屋」にも行くので、1日券を購入。
と言いつつ、とんちゃんは「岩屋」のことを全然知りませんでした。
エスカーに乗ると・・・
わぉ!すっごくキレイ!
改修したんですね。
壁に綺麗な映像が映し出されています。これはプランクトン。
これはクラゲ。
シャチですね。
江島神社
さて、江島神社には3つの宮があります。
手前から順に、辺津宮、中津宮、そして奥津宮があります。
3つの宮には別々の女神が祀られ、三女神を合わせて江島大神と言います。
宮はそれぞれ全く異なった時期に建立されています。これはちょっと変わってる。
そんな江島神社の祭神の変遷については、最後にきっちりご紹介します。
まずは参詣の様子から。
辺津宮。
1206年、源実朝が建立したもので、祭神は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)。
中津宮。写真撮り忘れ。
853年、 円仁(慈覚大師)が建立したもので、祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。
奥津宮。
祭神は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)。
奥津宮の鳥居。
かつて源頼朝が寄進した鳥居ですって。
奥津宮の説明文。この説明文を読んで、初めて疑問が生じました。
ここは、本宮御旅所(おたびしょ)と称されていて、岩屋本宮に海水が入りこんでしまう四月~十月までの期間、岩屋本宮のご本尊がその御旅所に遷座していた。
岩屋が本宮!
その本宮には何が祀られていたんだ!
カミサンは「岩屋が面白いから行きたい!」と言っていましたが、とんちゃんは全く別の意味で岩屋に興味を持ちました。
カミサンは御朱印をいただきました。
江島神社の御朱印。
3つの宮に祀られている江島三女神を合わせて江島大神といいます。
弁財天の御朱印。
弁財天は、元々は仏教の守護神。この祭神については、最後で。
岩屋
カミサンが「岩屋に行こう」と張り切っています。
奥津宮は、かつては本宮御旅所で、その本宮が岩屋だったと知って、とんちゃんはガゼン興味を持って向かいました。
しかし、これがなかなかの難所なのですわ。(*´ο`*)=3
奥津宮のあるところは海抜44m。そこから海岸までは長い石段。
それを約10分間かけて降りて行くんです。
海岸には岩の平場があります。
海に延びた平たい岩場。
島の方は断崖絶壁。
そこに「江の島岩屋」という洞窟があります。
ここは藤沢市が管理しています。
まず、第一岩屋へ。
ロウソクの灯を持って入っていきます。
なんとも神秘的です。
この先は2つに分かれています。
左手の奥。まだ先があって、富士山の氷穴に通じているとも言われています。
右手はさらに奥深い。
ここが江島神社発祥の場所。本来の本宮はここにありました。
一度外に出て、第二岩屋へ。
天井が高く、ライトアップされてます。
こんなイルミネーションも!
第一岩屋の神秘的な感じとは違って、幻想的です。
最奥部にはレインボーにライトアップされた龍神。
洞窟の中に、岩屋の説明がいろいろあります。
多くの石造物が奉納されている、という説明。
「役の行者」が参籠した、と書いてあります。
役小角(えんのおづぬ)という7~8世紀の飛鳥時代に実在した人。山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得る修験道の開祖とされている人です。山伏はその修験道の実践者です。
江の島は7~8万年前に出現し、波に削られて現在の形になりましたが、約6000年前から波によって岩屋が造られたそうです。
岩屋を観終わった後がさらに難儀。
降りて来た長い石段を上らないといけない。
足が丈夫なうちに行かないといけませんね。
江島神社の宮と祭神
江島神社の祭神についてまとめます。意外に知られてないと思います。
江島神社の祭神は江島大神。
実は3つの女神(宗像三女神)です。
奥津宮に多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、中津宮に市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、辺津宮に田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をそれぞれ祀っています。
この三女神は宗像三女神(宗像大神)という神です。
海の神・航海の神として信仰され、天照大神(アマテラス)とスサノオとの間に生まれた神とされています。総本宮は福岡県の宗像大社で、厳島神社の祭神もこの神です。
しかし江島神社が宗像三女神を祀ったのは、明治になってからのこと。
以前は違っていました。
552年、洞窟(岩屋)に宮が建立されます。それ以前からここに氏神が祀られていたのでしょう。そこが修行の場となり、後に「金亀山与願寺」となって、神仏習合によって仏教の守護神である弁財天を祀ります。
しかし明治の神仏分離によって、神社として弁財天を引き継ぐとともに、新たに宗像三女神を祀ることになったのです。
社殿が建立された順は、最初に洞窟の本宮、その後、上之宮(現・中津宮)、さらに下之宮(現・辺津宮)。本宮御旅所(現・奥津宮)の創建年は不詳ですが、下の年表からは1200年代にはあったようです。
552年、欽明天皇の命で洞窟(現在の岩屋)に宮を建てたのが始まり。そこは修行の場で、奈良時代には役小角(えんの おづぬ)、平安時代には空海・円仁、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が参篭して修行に励んだと伝えられている。
814年、空海が岩屋に参拝し、社殿(岩屋本宮)を創建し、「金亀山与願寺」(よがんじ)という寺になったと伝わる。
853年、 円仁(慈覚大師)が岩屋に籠もり、弁才天のお告げで上之宮(現・中津宮)の社殿を創建したと伝わる。
1182年、源頼朝の命で岩屋に弁財天を勧請。
1185年、頼朝が本宮御旅所(現・奥津宮)に鳥居を奉納。
1206年、源実朝が下之宮(現・辺津宮)を創建。
(参考:江島神社HP、wikipedia「江の島」)
というわけで、江島神社の祭神は、江戸時代までは弁財天で、明治以後に江島大神(宗像三女神)が加わったというわけです。
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