鳥居の脇に解説板。
上賀茂神社は、正式名称を「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」といいます。
祭神は賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。
その境内の図。
上賀茂神社の説明と摂社、末社の説明が書いてあります。
社伝によると、北々西にある秀峰・神山(こうやま)に賀茂別雷命が降臨した。
そして天武天皇の時代(678年)に、現在の本殿に鎮座したという。
つまり神山が神籬(ひもろぎ)である神体山で、その遥拝殿がこの神社ということです。
こんな紹介がありました。
式年遷宮の事業への協力のお願い。
2015年10月に本殿の正遷宮が行われ第1期事業が終了。
いまは第2期事業が行われ、2020年3月まで続くようです。
ヒノキ皮葺き屋根のヒノキ皮に願いことを書いて寄付することができるそうです。
二の鳥居を入ると細殿。その前に「立砂(たてずな)」。
後ろの建物が細殿。
賀茂別雷が降臨したという上賀茂神社の北2kmにある神山(こうやま)を模して作られたもの。
神山が神籬(ひもろぎ)なのはわかります。
しかし立砂はなんで2つあるんだろ?
そう思ったら、これは陰陽道から来ているんだそうです。
立砂には松葉が立っていて、左の3本が陽数、右の2本が陰数なんだそうです。奥が深いですね・・・
(上賀茂神社細殿 立砂の謎:http://www.geocities.jp/yamauo1945/tatezuna.html)
で、 「陰陽道」安倍晴明の師は賀茂忠行なんだそうです。
上賀茂神社と陰陽道・・・それもまた面白そうです。
清めの砂が売られています。
菰樽がいっぱい積まれているのが気になります。(*^^*)
黄桜、月桂冠、白鶴、聚楽第、金鵄(きんし)正宗、白雪、松竹梅、神蔵(かぐら)、英勲、富翁、神聖、玉乃光、古都、沢の鶴、京姫。
聚楽第と古都(佐々木酒造)、神蔵(松井酒造)は京都洛中、白鶴、沢の鶴は灘、白雪は伊丹、それ以外は伏見の蔵元です。
桧皮だけでなく、ヒノキ自体を植樹する献木もされています。
苗木1本5万円。
このヒノキの苗木を植えるんですね。
こちらは桧皮の現物。1枚2千円です。
手を洗い口を漱いで境内へ入りましょう。
参拝所から中へ・・。
本殿で参拝できる特別参拝ができるそうです。
しかも7月9日~9月30日の期間限定ですって。
「限定」で本殿に参拝できるって聞くと、そりゃぜひやってみたくなります。
拝観券のとして「浄掛」をいただきます。
こんな感じに「浄掛」を肩にかけます。
この「浄掛」には、社殿の屋根を葺いた桧皮古材が使われているそうです。
正面左側の直会(なおらい)殿へ案内されました。
この直会殿で、「浄掛」を肩にかけて神主さんから説明を受けます。
さらにお祓いをしてもらってから本殿へ。
奥の方に見えるのが本殿。
その手前の大前で説明を受けました。
1994年に天皇皇后が来られたときには、札が立っている本殿のすぐ近くで参拝したそうです。
一般人はも少し下がって、賽銭を投じて参拝します。
うまく写真が撮れなかったのですが、本殿の脇には狛犬が置かれています。
今ではみな「狛犬」と呼んでいますけど、向かって右が狛犬で、左が獅子なんです。
右側にある角のある口を閉じたものが狛犬で、左側に角のない口を開いたものが獅子なのです。
向かって右の14番が本殿、その左の15番が権殿。
この2つは同じ作りの社殿で、通常は本殿に祭神が祀られています。
式年遷宮の本殿建て替えのときに、祭神を権殿に移して、権殿が仮の本殿になります。
本宅の改築中に住まう別宅が、ちゃーんと用意されている、ということですね。(*^^*)
1628年に徳川家光によって造り替えられた「庁屋」。
神事のお供え物である神饌(しんせん)を調理したり、神職たちが集まって会議をする場所です。
2015年に行われた本殿の正遷宮で、神宝も新調されたので、以前の神宝をここで見学することができました。
ここで角のある口を閉じた狛犬と角のない口を開いた獅子があったんです。
でも実は、あんまり興味がなかったので写真に撮らなかったんです。残念なことをしました。
庁屋近くにある「ならの小川」。
「百人一首」の中にも詠まれている川です。
「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」藤原家隆
しかもここは、テレビのロケ地として頻繁に使われているそうです。
最後に神話と歴史のはなし。
下鴨神社から糺(ただす)の森に瀬見の小川があります。
京都の北を支配していた賀茂氏一族。
その姫である賀茂玉依姫命(かもたまよりひめのみこと)が、その瀬見の小川で禊(みそぎ)を行っていると、一本の矢が川上から流れてきた。
その丹塗矢を床の辺に刺し置いていたところ懐妊し、男の子を授かる。
成長した子に父親は誰かと問うと「私の父は天の神です」と答え、雷鳴とともに天上へと上ってしまう。
姫が子に会いたいと願うと夢のお告げで「葵の葉でかずら(かんむり)を編み、祭をして待て」とあり、そのとおりにしたところ、子が神山(こうやま)に降りた。それが上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命です。
玉依姫の父は賀茂建角身命、母は丹波国神野の伊賀古夜比売命(伊可古夜日売)。
玉依姫と父・賀茂建角身命は下鴨神社の祭神です。
玉依姫は丹塗矢で妊娠して賀茂別雷命を生んだということですが。
ではその父はいったいだれか?
矢はいったい、誰だったのか?
『山城国風土記』逸文には「丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり」とあります。
雷神の父は雷神。これは分かりやすいです。
その神社が京都府長岡京市の角宮神社か、京都府向日市の向日神社か意見が分かれていますが、ここではどっちでもいいです。
むしろ丹塗矢は大山咋神(おおやまくいのかみ)の化身だという『秦氏本系帳』に注目です。
賀茂別雷命は大山咋神の子ということになる。
大山咋神は松尾大社の祭神で、松尾大社は秦氏の神社です。
山城国に豪族・秦氏があったからこそ、平安京への遷都が行われた、という歴史があります。
その秦氏と賀茂氏が緊密な関係にあった、ということが先の神話に表現されているわけです。
平安京遷都と上賀茂神社については、こういう紹介があります。