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博多ラーメンのルーツ 元祖赤のれん@福岡天神 [ 九州・沖縄]

福岡といえば、博多ラーメンですね。でも博多ラーメンって、そんなに食べたことないんです。今回は何軒かで博多ラーメンを食べてみようと思います。

まず最初は「元祖赤のれん 節ちゃんラーメン 天神本店」。
天神南の1番出口を出てすぐのところです。

なぜここかっていうと、実はここは、白濁トンコツスープ+細麺が特徴の博多ラーメンのルーツだからです。

店内は長いカウンター席と4人掛けのテーブル席。
私は相席でテーブル席に通されました。

向かいに座ったお兄さんが「ラーメンセットのバリカタ」を注文。
私もそれに倣って、「ラーメンバリカタ」を注文。500円です。

丼にたっぷりスープが入って、出てきます。
ずいぶんと茶色いスープです。具材は、チャーシュー2枚、シナチク、九条ネギ。

ドロンとした濃厚なスープです。獣臭い、豚骨臭いのかと思ったら、そうでもない。
色からして、しょっぱいのかと思ったら、そんなことはない。後で調べたら、この色は、骨を煮込んで髄まで溶け出したためのようです。

チャーシューは薄い。博多ラーメンのチャーシューって、なんで薄いんだろ?

麺は極細のストレート麺。
意外にも平打ち麺です。
硬く茹でた麺が、しゃきっとした触感です。

私は実は、細くて、粉っぽい感じにブチブチと切れる博多ラーメンの麺は好きじゃないんです。
けど、ここのはかなりいい感じです。硬めの平麺のせいだろうか。

テーブルの上には、胡麻と紅生姜が置いてあります。
入れながら食べました。

完食!

うまかった~!

いつもの私なら、替玉を注文するところ。
でも今日はもう1軒(!)行くつもりなので、1玉で止めておきます。

ではもう1軒に参りましょうか。九大病院近くの博龍軒です。
実はここ「赤のれん」とその「博龍軒」は、豚骨スープの博多ラーメンのルーツなんです。
それは博龍軒のところで説明します。


通販の「味蔵」の説明には、こんなことが書いてある。

戦後、中国で覚えた麺料理に工夫を重ねて作ったのが始まり。中州から天神あたりを夫婦で屋台を引いていたが、当時、博多の屋台はうどん屋ばかりで、ラーメン屋台はたった3軒しかなかった。
1949年に箱崎に店を出す。店名はなく、ただの白いのれんをかけていたのだが、店の電球に赤く染まるのれんから、九大生に「赤のれん」と呼ばれるようになった。
初代は津田トミエさん、現在の店主は三代目の津田敏茂さん。
スープは、豚の頭、足、背骨など全身の骨がに皮かで入れ、骨がボロボロになるまで、およそ16時間煮込むので、骨の髄まで溶け込んだスープは茶褐色になる。それに「もとづめ」という小豆島からおばあちゃんが見つけてきた特別の醤油で味を調える。
麺は、細さ1.5mmの極細の平打ち麺。

ちょっと異論があるんです(推測もあります)。
1.「赤のれん」の由来は、もしかすると電球に染まったんじゃなく、手垢で汚れたのれんを「垢のれん」と呼んだんのかも、って思います。(まぁ、学生の命名なんてそんなものだもん。)
2.茶褐色のスープの煮込みは、説明では「16時間以上」って書いてますけど、ビデオで3代目は「15、6時間」煮込むと言っててますね。
3.おばあちゃんが見つけた「もとづめ」という醤油。なんだか醤油の種類みたいに書いてますけど。それは間違いでしょう。
酒も味噌も醤油も、昔は樽で流通していて、小売り店が客に合わせて混ぜたりして、量り売りしていたもの。おばあちゃんは、小豆島の醤油メーカーに交渉して、メーカーで「元詰め」した醤油を直接に買った、ってことだと思います。今じゃメーカーが瓶詰めした醤油が売られているからみんな「醸造元詰め」なんだけど、当時では珍しかったんだと思います。

福岡タウンの記事によると、極細の平打ち麺は、以前は自家製だったが、今は製麺所に特注しているそうです。
自家製という極細の平麺については、これも博龍軒のところで説明します。

Wikipediaによると、博多ラーメンの発祥店は、次の3店とか。
1941年ないし1942年に中洲の福岡玉屋近く森堅太郎が屋台「三馬路」を開業し、清湯(透き通ったスープ)の豚骨スープに平麺のラーメンを提供した。
1946年に井上清左衛門が中洲や柳橋で屋台「博多荘」を開業し、清湯の豚骨ラーメンを提供した。
同年に博多駅近くで津田茂が屋台「赤のれん」を開業し、当初はうどん屋台だったが、奉天(現在の瀋陽市)で食した白濁豚骨スープの麺「十銭そば」をヒントにラーメンを提供するようになった。
最後の店が「赤のれん」ですね。
東京の「赤のれん」は箱崎から暖簾分けした店だそうです。

華麗なるラーメン野郎!によると、箱崎の店は、筥崎宮の裏の何も無いようなところにポツンとあったそうで、「TVチャンピオン」第2代ラーメンチャンピオン武内伸によると、「20歳ぐらいの頃ここで食べた時,もう絶対この店が日本一だとその時は思いました.」と語っているそうです.

箱崎に開いた本店とここ「節ちゃん」とはどういう関係なのか?

福岡で美味いラーメン屋さんは?20杯目の209のスレに、こんなことが書いてある。
屋台は、長男の節男と妹、雇われ人(中学生!)の宇野(大丸赤のれんなどを経て、赤のれん&とん吉をつくる)が手伝っていた。店舗を構えた後に次男も加わり、長男が大丸地下に「節ちゃんラーメン」を開店。さらに、その長男の息子が初代の妻(祖母)の協力で久留米赤のれんを開店。その後、箱崎本店も大丸地下店も閉店。
そして、現在の店を3代目と初代の妻(祖母)が開いたようです。
この店は、スープの作り役だった祖母の指導で、初代の味が再現されているようです。



関連ランキング:ラーメン | 天神南駅西鉄福岡駅(天神)天神駅


 
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