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高村光太郎旧居@花巻市 [旅行先]

花巻市は宮沢賢治縁の地として有名。
でももう1人の芸術家の縁の地でもあります。
高村光太郎です。

高村は、本職は彫刻家・画家ですけど、私は『道程』や『智恵子抄』等の詩集を出した詩人として知っていました。

その高村が終戦後から戦後の一時期、ここに独居していたそうです。
その住居跡が高村山荘として保存されています。

高村は、太平洋戦争も終わりに近い昭和20年(1945年)5月、宮沢賢治の弟清六の家(賢治の実家)に疎開してきました。
その宮沢家も戦災をうけたため転々としたそうです。

高村は敗戦後の10月に、帰京せず、ここ稗貫郡太田村山口の小屋に移ってきた。
そして高村はここで農耕自炊の生活を始めたそうです。

小屋はまさに「あばら屋」で、冬には雪が吹き込む小屋です。
それが高村山荘です。

高村は昭和27年(1952年)までの7年間をここで過ごしたそうです。
(逝去は1956年4月。)
彼は1883年生まれなので、60歳代の中盤という高齢のときにここで過ごしたわけです。

その山荘は「套屋」によって保護されています。
これは光太郎を敬慕する村人達が一本一本持ち寄った木で建てられたものです。

建物の外観を見ると、ずいぶん大きく立派。
しかしどうみても新しい。なんだか変ですね。

建物の前の立て看板を見て、納得しました。

「山荘」と言っても7.5坪(22.5㎡)の粗末な小屋。
地元太田地区の住民が旧居を保存するために、1958年に木々を持ち寄って套屋(うわや)を建てた。
しかしその套屋も痛んだので、1977年にその外側に鉄骨造りの第二套屋がさらに建てられたそうです。

その鉄筋の建物の中に入ると、木造の小屋があって、さらにその中に高村山荘があります。

ガラスの奥が本来の山荘です。

小屋の中の三分の一は土間です。
上には6畳くらいの板の間に囲炉裏があり、3畳くらいの畳が敷いてある。
60代のインテリが寒い田舎で独居自炊の生活をするのは厳しかっただろうと思う。

山荘から少し離れた木立のなかに高村記念館が建っています。

館内には十和田湖の「裸婦像」の原型や妻智恵子の切り絵など130点が展示されています。


 
タグ:岩手県
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