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もみじ饅頭の元祖は?あくまでも推測 [食文化]

安芸の宮島でのこと。

広島のお菓子というと、いまでは「もみじ饅頭」が有名ですね。

B&Bというお笑いコンビで、広島市出身の島田洋七が「もみじまんじゅうー!」というギャグを使ったせいで全国的に有名になった。
えっ?そんな芸人知らない?
1980年代初めのことだもんなぁ。
『佐賀のがばいばあちゃん』の著者ですが・・。
まぁ知らなくてもいいです。(笑)

もみじ饅頭というと、にしき堂が有名なのかな。
そのお店は広島市で1951年に創業したお店で、もみじ饅頭製造は1953年から。
老舗そうに思えますけど、実は新参者なんです。

もみじ饅頭」は、本来は宮島のお菓子で、しかも明治時代からあるという、歴史のあるお菓子なのです。

宮島に行くと、もみじ饅頭を売っているお店がいっぱいあります。
じゃぁいったい、「もみじ饅頭」の元祖はどのお店なのか?
「元祖」捜しが好きなとんちゃんは、そう思ってしまう。

しかし「元祖」というと、いろんなところで元祖争いがつきもの。
「もみじ饅頭」にもそういうのって、ないんだろうか?なんて。

先日アップしたように、厳島神社に至る表参道商店街にある「紅葉堂」さんで揚げもみじをいただきました

その「紅葉堂」の看板には「元祖もみじ饅頭」としっかり書いてある。
創業明治45年のこのお店が、もみじ饅頭の「元祖」なんでしょうか?
もしかして、元祖論争があったりしてね。

なんて思いながら向かいの店を見ると、な、なんと!

向かいにあるお店「博多屋」にも「元祖もみじ饅頭」の看板が!

早速ありましたよ、元祖争い!
もみじ饅頭の元祖はどっちなんでしょうね?

帰宅してからググってみました。

すると・・・

な、なんと!

全然違うお店が元祖だって?

高津堂」というお店が元祖だというのです。
しかもそのお店は、宮島ではなく、対岸(本州)の宮島口にある。
これはいったいどういうことか。

高津堂のHPに元祖のいわれが書いてあります。
http://takatsudo.com/
「もみじ饅頭誕生の歴史」という記事にも詳しい事情が書いてあります。
http://www.mediasion.co.jp/miyajima/8/index.html

もみじ饅頭を作り出した人のことはwikipediaにも書いてあります。
それは宮島の和菓子職人、高津常助さんです。
彼が1906年に「紅葉形焼饅頭」を完成させ、1910年7月18日にそれを商標登録しているのです。
これがもみじ饅頭の元祖です。

ところが、高津常助さんの亡き後、息子の昇さんが後を継ぐのですが、先代と同じ味を出せなかったために、もみじ饅頭の製造・販売を止めてしまうのです。
そして1960年代後半には、宮島から宮島口に店を移転して、和菓子店「高津堂」から酒店「多加津堂」に転職してしまったのです。

ところが、昇さんの子(常助さんの孫)加藤宏明さんが、2009年7月に宮島口に「高津堂」を再興して、もみじ饅頭の製造を始めたのです。
半年間の研究と試行錯誤の後、初代の「焼き型」をそのまま使って、昔の形のもみじ饅頭を作っているそうです。

これはたしかに、もみじ饅頭のルーツであり、元祖ですね。
しかし、1960年代から2009年までの長い空白期間があっての復活です。
ルーツであって、饅頭の「型」は継承されている。
しかし製法の継承は行われていなく、3代目の研究による新たな饅頭での再出発なのです。

そういうことだから問題があります。
元祖が消滅してしまった後の長い空白の期間でのことです。
ルーツが消滅してしまった後、どうなるか。
2番目にもみじ饅頭を作り始めたお店が「元祖」を名乗るようになる。これはありえる話しです。
現存する中で最も古く、長い店が「元祖」を名乗る、これを否定は出来ません。

ところで、もう1つ、面白いことがあります。
「高津堂」が作ったものは「紅葉形焼饅頭」だったということです。
しかし常助さんの代に「もみじ饅頭」という名に変わったというのです。

この「もみじ饅頭」という名は、常助さんの発案ではないでしょう。
きっと別の店がつけたネーミングです。
「高津堂」の真似をしてモミジの形をした饅頭を作った店が、それに「もみじ饅頭」という名をつけた。
「もみじ饅頭」というネーミングの方が通るようになり、「高津堂」自身もその名を使うようになった。
そういうことではないでしょうか。

ということは「もみじ饅頭」という名のお菓子を最初に売り出したお店があったはず。
そのお店は「もみじ饅頭」という名のお菓子の「元祖」です。

「高津堂」が店を閉めて以後、もみじ饅頭を2番目に製造したお店は、当時、現存する中では最も古く、最も長期間もみじ饅頭を製造しているいう意味で「元祖」を名乗る。
さらに「もみじ饅頭」という名を最初に使ったお店が「元祖」を名乗る。
こういうことはありえることです。

そして2009年に「高津堂」が復活して「元祖」を名乗る。

こうして3つの元祖が併存することは、ありえるのではないかと思います。
高津堂のことは別にして、あとの2つの元祖のいわれについては、あくまでも推測ですけどね。

3つの「元祖」店の創業時期を比べてみると。

「高津堂」が「紅葉形焼饅頭」を完成させたのは、1906年(明治39年)。
http://takatsudo.com/

「紅葉堂」の創業は1912年(明治45年)。
http://www.momijido.com/

「博多屋」の創業は不明。
http://hakata-ya.com/

推測ついでにいうならば、最も古い元祖は紅葉堂で、ネーミングの元祖は博多屋ではないかとも思います。
これもまたあくまでも推測で、事実のほどはわかりません。


 
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