SSブログ
 

震災時に孤立した半島、農業と漁業の復興はこれから@岩手県陸前高田市広田町 [3.11以後]

岩手県の陸前高田市。

陸前高田市は岩手県の三陸海岸の最も南にある都市です。
ここは東北大震災で甚大な被害を受けたところで、市街地の被災の状況とその後について以前の記事で紹介しました。
「市街地が消滅、しかし・・」:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2012-11-09

今回は、宿泊した民宿がある陸前高田市広田町の様子を記しておこうと思います。

市の南東にある広田半島、ピンクの部分が広田町。
今回泊まった民宿志田さんは、その広田半島の先っぽにあります。

半島の付け根を大船渡線が走っています。
そこは平地になっていて東西の幅は約3km。そこが小友地区です。

大震災の津波がその平地部分を東西両側の海から襲いました。
3キロ離れた両側の湾から津波が押し寄せ、それらが平地の中央で合流してぶつかり合い、巨大な水柱となりました。
これを明治三陸津波以来、「水合(みずあい)」と呼んでいるそうです。
そしてその激しい津波が平地部分の家々を押し流してしまった。

地盤沈下もあって平地部分が水没して湾同士がつながって、半島が本土から分断された「島」になってしまい、半島の住民は数日間、電気や食料の供給がない孤立状態になってしまった。そんな中で協力しながら救援を待ったそうです。

河北新報(3月29日(火)14時44分配信)にその様子が記事になりました。
「津波“挟撃”半島分断 陸前高田・広田半島で「水合」」
記事の引用:http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/19617968.html

被災前、水没した部分は農地でした。
三陸地域には平野部がほとんどないのですが、ここ陸前高田市の広田地区には約120haの農地があります。
しかし震災でその9割が浸水被害を受けました。

農地の方は、表土がえぐられ、土砂とガレキが堆積し、しかも地盤が沈下してしまった。

今、土盛りと水田復旧の大規模な工事が進められていています。
しかも区画を大規模化し、そこでの営農も大規模にする計画が立てられているそうです。

これからどういう農業が復興されるのか、見守りたいと思います。

それから宿泊先の民宿志田さん周辺のこと。

民宿志田さんのある場所は半島の南側。

津波は根岬漁港を襲いました。
しかし浸水域に住宅はほとんどないので、家屋や人的被害は少なかった。
写真の中央のやや左上の「」が民宿志田さんの位置です。
ここ根岬集落では、昭和三陸津波での被害の反省から、高台に住宅を建てていたそうです。そのために、今回の津波被害を少なくすることができました。

根岬漁港の津波の様子がYouTubeにありました。
2011-03-11 陸前高田市広田町根岬漁港(木村 広徳さん撮影)
http://www.youtube.com/watch?v=qe4xjezFi4A

 

この広田町での漁業復興がNHKで取り上げられました。

NHKは、全国から知恵ある人を招き被災地に、住民と共に復興への道筋を探る「復興サポート」という番組があります。
その中で陸前高田市広田町が取り上げられられています。
「三陸から漁業は生まれ変わる~岩手・陸前高田市広田町~」(Part1.2012年4月22日、Part2.2012年9月23日放映)
Part1.:http://www.nhk.or.jp/ashita/support/meeting/20120422_rikuzen/
Part2.:http://www.nhk.or.jp/ashita/support/meeting/20120923_iwate/

Part2.の中でドンコケツブを居酒屋チェーンに直接販売する方策が登場します。
そこに登場する漁師が、とんちゃんが宿泊した民宿のご主人菅野さんです。
相手方はエーピーカンパニーが経営する「四十八漁場」さん。
現在、「四十八漁場」との取引は若い漁師さんたちに引き継ぎ、菅野さんはさらに新たな試みにチャレンジしているようです。

 

最後に震災直前の2011年2月13日に市長に就任した戸羽市長のメッセージを載せておきます。
ボランティアとしてでなくとも是非、被災地の現実をご覧になって下さい。

◆陸前高田市長より全国の皆様へメッセージ


 
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 8

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 1