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遠藤哲夫氏の『大衆食堂パラダイス!』を読む(2):前半 [食文化]

大衆食に関する書籍として遠藤哲夫氏の『大衆食堂パラダイス!』(2011年年、ちくま文庫)という本を紹介しています。

本書は著者遠藤氏の「おれの大衆食堂物語」であり、「昭和30年代にして1960年代の大衆食堂」の片鱗を留めている食堂が著者の「大衆食堂パラダイス」です。
一人称で語られる大衆食堂への熱い思いは、この本を読むとズンズンと感じます。

全編がこれ「おれの大衆食堂物語」のエッセーなのですが、その中から大衆食堂と大衆食に関する著者の考えを読み取ってみようと思います。

昨日は本書のテーマをまとめました。
今日はその内容を書きますけど、長くなるので前半部分を記事にします。

大衆食堂パラダイス! (ちくま文庫)

大衆食堂パラダイス! (ちくま文庫)

  • 作者: 遠藤 哲夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/09/07
  • メディア: 文庫

まずは『大衆食堂パラダイス!』の目次をご紹介。

まえがき
第1章 望郷食堂編 食べればしみじみ故郷
第2章 ぶらぶら食堂編(1) 通りがかりの食堂とめしとまち
第3章 ぶらぶら食堂編(2) 大衆食堂の影を慕いて
第4章 追憶食堂編 変わりゆくまちと大衆食堂
第5章 ウンチク食堂編 大衆食堂の楽しみ
あとがき

望郷食堂、ぶらぶら食堂、追憶食堂、ウンチク食堂と大衆食堂のことを楽しく語っているだろうことが想像できます、いや、実際にそうなのです。

とはいえここでは、この本を少し論理的に読んでみようと思うのです。
そこで各章はそれぞれどういう位置づけになっているのか、そして大衆食堂についてどういう内容が語られているのか、を整理してみようと思います。

まえがき

著者は「まえがき」でこう語ります。

「大衆食堂は、おれにとっては、「望郷の場所」であったといえるだろう。・・・大衆食堂は、上京者の居場所でもあり、ふるさとを望み、ふるさとを望む味覚にふれる望郷の場所でもあったのだ。」(p.13)
「60年代70年代は、急激にふるだとは失われた。そこにあった味覚もである。
その味覚は、かろうじて大衆食堂に生き残っていたといえる。そして大衆食堂は、ふるさとになった。と、いえるだろう。」(p.14)

大衆食堂は「ふるさと」と重なるのですが、その「ふるさとの味覚」には2つの面がある、と著者は読み解きます。

「おれのふるさとの味覚は、地理的な意味でのふるさとの味覚という面と、時間的に過ぎゆく近代の味覚という面の2つを備えているように思う。大衆食堂の味覚も、またそうだった。」(p.15)

「地理的な意味でのふるさとの味覚」というのは、まさに自分自身の生まれ故郷の味覚のこと。著者はそれを「望郷食」と呼ぶ。
この著者の望郷食は「第1章 望郷食堂編」で具体的に展開されます。

そして「時間的に過ぎゆく近代の味覚」については、著者はこう書きます。

「大衆食堂の味覚やメニューは、古いものを残しながらゆっくりと変化する。一世紀ぐらいのスパンでの消長はめずらしくない。江戸期の一膳飯屋時代から続く焼魚や煮物などに、近代の中華風や洋風も加わり、最も広く親しまれたものが生き残ってきた。/おれは、近代日本食のスタンダード、つまり近代の普通の日本人が何を食べてきたかの歴史が、大衆食堂に集積されていると見ている。」(p.15)

大衆食堂は「近代日本食のスタンダード」だと著者はいいます。「近代の味覚」のスタンダードが大衆食堂なのだと。
そしてその近代の味覚はまた「ゆっくりと変化する」ものでもある。
変化して現在に至り、そしてまたさらに変化していく「近代の味覚」を大衆食堂を通じて描こうとしています。

これは第2章以降で展開される内容です。

 

第1章 望郷食堂編 食べればしみじみ故郷

第1章は「地理的な意味でのふるさとの味覚」である著者の「望郷食」が語られます。

前半の「わが望郷食」では、1943年新潟県六日町(現・南魚沼市)生まれの男の望郷食の数々が31話で語られています。
故郷での懐かしい食べ物や味に加えて、東京での味も登場します。

もち雑炊、塩ジャケの皮、地酒、ぜんまい煮、釜と竈と薪で炊いためし、おふくろの味、青菜のおひたし、ネコまんま、へぎそば、焼き海苔、水かけめし、豆腐玉子納豆飯、ナス汁、冷やし中華、棒状のアイスキャンデー、冷やしみかん、トビウオとサンマ、ニギリメシ、おでん、車麩、みかんの甘露、チキンラーメン、クジラ、魚肉ソーセージ、大判焼き、豚汁、棒ダラ、コメとミソ

また、望郷の念を呼び出す「場」である大衆食堂も語られます。

東京の酒場での交流、同郷人の大衆食堂、故郷を思い出すションベン横丁もとい「思いで横丁」、消し去られた上野駅食堂、

後半の「食べればしみじみ故郷の食堂たち」で、望郷食の解説がされます。
「上京者と大衆食堂」の部分は、著者と大衆食堂との関係、著者にとっての大衆食堂の意味を解く核心的な部分です。

一面では「東京者になりきれなかった上京者」が持つ「ある種のシコリを与えてしまう屈折」を癒す場が大衆食堂である。
しかしもう一面では、上京者が持つ「東京への過剰な思い入れ」、それが大衆食堂の熱源になり、上京者を惹き付ける。

著者は、上京者の大衆食堂をそう読み解きます。
「大衆食堂は、田舎者の自立心と野生を拭い落とさずに出入りできるところだった。」(p.73)というのは、そういうことを意味しているのでしょう。

 

第2章 ぶらぶら食堂編(1) 通りがかりの食堂とめしとまち

第2章は著者が通いづめた「気になる大衆食堂」(p.97)、著者にとってのこれぞ大衆食堂という食堂を通じて、「近代日本食のスタンダード」たる大衆食堂の現在を描き出しています。

「近年、「グルメ」といわれる味覚道楽は、「一番の味」「究極の味」といった有名を追う。が、食堂は毎日食べても飽きない「普通のうまさ」だ。とはいえ、それだけではない。名物でなくても、土地に根をはっている食堂には、何かある。それは、土地とつながる何か、食堂は街の生きものなのだ。」 (p.172)

「大衆食堂は街の生きもの、であるということ。外観からして、そうであるが、その街、その場所にしかない。」(p.96)という著者は、だから、まち(街)と大衆食堂とそこでの「めし」=メニューを語ります。

東京都北区十条、渋谷区恵比寿、墨田区押上、台東区鶯谷、埼玉県大宮、千葉県野田市、神戸市、大阪西区南堀江、北九州市戸畑区などにある大衆食堂が登場します。

 

第4章 追憶食堂編 変わりゆくまちと大衆食堂

1つ飛ばして第4章は、「開発」という名の「強力な破壊力」によって街とともに「強引に消されて」しまった大衆食堂の追憶が書かれています。
もしも開発により強引に消し去られさえしなければ、「第2章 ぶらぶら食堂編(1)」で語られたはずの食堂たちであり、それらへの追憶が熱く語られています。

ここは強制的に消された大衆食堂への追憶が語られていますが、大衆食堂とは何かについて語っているのではないので、内容は省略しましょう。


 
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