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酒蔵利用の「醸室」と悲恋の「緒絶の橋」と 宮城県大崎市 [旅行先]

宮城県大崎市。
いろは食堂さんで絶品の鶏中華そばをいただいて、少しだけ時間があるのでプチ観光。
大崎市役所の100mほど南側にある観光スポットを見学しましょう。

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「緒絶橋」のかかる緒絶川
この橋、「をだえの橋」と読むそうです。
「鼻緒が切れたところにあった川」かと思ったら、どうもそんな薄っぺらな名ではないらしい。
柳の下にある説明版に由緒が書いてありました。その内容は最後に・・・。

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ちょいと離れてみると、立派な蔵が建っています。
右側の蔵は、さっきラーメンをいただいた「いろは食堂」の支店「尹呂葉」さんです。

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歌枕で有名な「みちのくの緒絶橋」のたもとに1790年創業の橋平酒造店の酒蔵を利用したもの。
橋がどう有名なのかは最後に記します。

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昔の酒蔵が改装されて「食の蔵 醸室(かむろ)」という商業施設になっていて、飲食店、雑貨屋、土産物屋などがあります。
 食の蔵 醸室HP:http://every-osaki.com/detail/index_127.html
 食の蔵 醸室facebook:https://www.facebook.com/kamuro1790/

橋平酒造店はすでに無くなり、その跡地を利用していると思っていたんですけど、地図にあるように橋平酒造店は今もしっかり経営している!
後で知ったんですけど、1985年まで酒造りを行い、以降は委託醸造で「玉の緒」「平之丞」や吟醸酒「醸室」、大吟醸「をだえの橋」などを販売しているんですって。
どれも宮城県内の契約農家で生産された低農薬の酒米を使用したお酒だって。
ならば買って帰ればよかったなぁ、と今になって後悔しています。

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漆喰の白い土蔵がお店になっている。
左は空き店舗、右は「野菜厨房 Zen」さん。その右の白壁は・・・施設外。

手前に赤い鳥居があって、神社もある。「釜神神社」ですって。
いったい何を祀っているのか?
実は完全に無視していたんですけど、これは後ほど。

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冒頭で見た蔵の裏側。「福ろう」さんという飲食店が入っています。
「はっと」があるので、食べたくなりましたけど・・・止めておきます。
「はっと」は宮城県の大崎や登米地方の食べ物で、小麦粉をこねたものを麺棒で平たくのして切ったもの。
岩手県内陸部には、生地を手で千切った「ひっつみ」という似た料理があります。

なぜ「はっと」というのか?
「あまりの美味しさに米作りがおろそかになって年貢を納められなくなるのではと心配した領主が「ご法度(禁止)」にした」という「法度」説があります。
でも実は、甲州の「ほうとう」と同じ語源というのが正しいようです。
 「はっと」とは:http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2006-12-18

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土産屋さんへ入ったら、なんと駄菓子がいっぱい!w(*゚o゚*)w
駄菓子を見るとつい、童心に返ってしまいます。

 

◆巨大な釜神様と釜神神社

ここに至る途中に「不思議なもの」があったんですけど、そのときはそれを完全に無視していました。
さっきの神社の正面にこんあものが・・・

image
(大崎市観光物産センターDôzoより:http://www.do-zo.com/

巨大な顔!( ̄□ ̄;)!!

なんじゃいこれ!って無視したんです。
でもこれは「釜神様」なんですって。「顔」神様じゃなく、「釜」神様ね。
さっきあった神社は「釜神神社」で、その神社の正面にこの「釜神様」の面があって、神社を睨んでいるんです。 

カマドに火の神「かまど神」を祀るのはよくあること。でもそれが「面」だってのは珍しい風習です。

「釜神」の解説サイトには、こんな説明があります。

藩政時代から昭和初期頃まで作られたものが多く,家が新築される際に大工や左官職人が余った材料で面を作り,その家にプレゼントしていた。登米地域には土製のものが多く,県北西部の大崎,栗原地域では木製のものが多い傾向にある。」
(宮城県のカマガミ様:http://www18.atpages.jp/tatu0506/framepage1kamagami.htm

デカイ顔の脇にある説明書きには、こんなことが書いてあったんです。

釜神とは
 宮城県北部、岩手県南部の民家の台所や釜場の上にかけてある、いかめしい面相の木彫りの面のこと。
 江戸時代中期には、仙台藩北部で広く信仰されていた事が確認されている。起源も含め、旧大崎氏、葛西氏領に集中しているのかは定かではない。時代を至るにつれて、火を守るのではなく魔除けや、盗難除けなど多くの役割をもつ神様となり、大黒様と同様に台所の神、福の神として親しまれ家族全体を守ってくれ神様となった。
 「醸室」創業以前に、橋平酒造店の釜場にも代々祭られていた。この大釜神の正面の社には、橋平酒造店の名神様が祭られていたが、平成二十年に釜神様が合祀され以来、釜神神社と呼ばれている。


橋平酒造店の明神様ってなんだろ・・・?
これもまた後ほど。

 

◆緒絶橋と緒絶川について

さて、冒頭の疑問、なぜ川の名が「緒絶川」なのか。

緒絶橋
橋のたもとにも説明書きがあります。

歌枕としての「緒絶の橋」は、初期万葉の時代から「白玉之緒絶者信」(しらたまのをだえのはし)と詠まれ、源氏物語の藤袴の巻でも悲恋の心情を表現するものとして詠まれているそうです。
※漢字で「かな」を表す「万葉がな」での表記だから、「橋」ではなく「者信」なんです。

こんな話があるそうです。

嵯峨天皇の皇子が東征のために陸奥国へ赴いたが、その恋人であった白玉姫は余りの恋しさに皇子の後を追うように陸奥へ向かった。ところがこの地に辿り着いてみたが、皇子の行方は掴めない。意気消沈した姫はそのまま川に身投げをして亡くなってしまった。土地の者は、姫の悲恋を哀れんで“姫が命(玉の緒)を絶った川”という意味で緒絶川と呼ぶようになった。
「緒絶橋」http://www.japanmystery.com/miyagi/odae.html


白玉姫が命を絶ったところの橋なので、「しらたまのをだえのはし」と詠まれたんですね。
ちなみに「白玉」は名前じゃなくて美人ってことです。
なお、ネットには「嵯峨天皇に寵愛されたおだえ姫が都を追われ身を投じたという悲恋伝説」なんて情報もありますけど、これは誤り。(「おだえ姫」って、なんじゃい!)

そして中古三十六歌仙の1人、藤原道雅の歌が勅撰和歌集『後拾遺和歌集』に採用され、歌枕として定着した。
 「みちのくの をだえの橋や これならむ ふみみふまずみ こころまどはす」
1689年、松尾芭蕉がこの地を訪れようとしたが、道を誤って辿り着けなかったことが『奥の細道』に記されている。

ということで、歌枕の「緒絶橋」なの。

・・・で終わればいいんだけど。
しかし説明書きには、そんな悲話ではなくもっと現実的な説明が書いてあります。

かつて荒雄川(江合川)は、玉造川と呼ばれ、7世紀頃から東へ流れを変えた。
その後に、川筋が残り、玉の緒(いのち)の絶えた川、即ち「緒絶川」と呼ばれ、その川の上に架けられた橋が「緒絶の橋」と呼ばれた。
川の流れの絶えた川床に町が発達したため、古川と呼ばれる、と。


全く情緒がありませんが、事実はまぁ、そういうところでしょう。(^^)

◆玉の緒

とはいえ「玉の緒」は生き続けています。
ひとつは橋平酒造店が販売する清酒「玉の緒」。

そしてもう1つは神社。
先の引用に、現在の釜神神社は、かつては橋平酒造店が「名神様」を祭っていたとありました。
その明神は「玉の緒明神」なんです。だから釜神神社には玉の緒明神が今も合祀されている。
釜神と合祀などせずに、玉の緒神のままの方が良かったのになぁ、と思います。


 
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