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上越市直江津の神社 [ 神社仏閣]

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丸亀製麺とブラックサンダーの記事を挟みましたが、ふたたび上越市直江津でのことに戻ります。

直江津に行ったときに市内をフラフラ歩きながら神社を拝見しました。
せっかくだからアップします。

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泊まったホテルがこの神社の参道脇、っていうか境内にあったんです。

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府中八幡宮だそうです。
720年に宇佐八幡宮を勧請したと説明があります。

しかし神社本庁「平成祭りデータ」によると、貞観12年(793年)に石清水八幡宮分霊を 迎えて越後八幡と称し、国分寺とともにあり、鎌倉時代に鶴岡宇佐八幡神を勧請して府中石清水八幡宮と称した一国一社の八幡宮だそうです。
 →玄松子の記憶「府中八幡宮」:http://www.genbu.net/data/etigo/fucyu_title.htm

貞観12年は870年で、793年は延暦12年なので、ちょっと変ですが・・・
ともあれ、国府近くに国分寺とともにあった1国1社の八幡宮であったので「府中八幡宮」と称したわけです。

国分寺は741(天平13)年に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、各国に建てた寺です。
この当時に国分寺の近くに1国1社の府中八幡宮も建てられているそうです。

問題は国府の位置です。
直江津に国府という地名があって、まさにここに国府があったようです。
しかしそこに国府があったのは11世紀以降で、10世紀までは高田公園近くの今池のあたり(県立中央病院があるあたり)と見られています。
奈良時代には、国府も国分寺も府中八幡宮も高田にあったのでしょう。
そして11世紀の平安末期に国府が高田から直江津に移ったのと合わせて、国分寺や府中八幡宮も直江津に移ったのでしょう。

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こちらの説明には、往古(大昔)には阿比多館といい高志総社であったと書いてあります。
高志(こし)とは越国のことで、その総社だった。

国司は着任後に国内の神社を順に参拝することになっていたけど、平安時代中期から末期に国府の近くに国内の神々を一か所に合祀した「総社」を設けて、そこに詣でることで巡回を省くことが制度化されました。
ここはそうして越後国の神社の祭神を集めて祀ったものだったということです。
なので、総社になったのは平安時代中期~末期でしょう。

府中八幡宮が総社になったものもあるそうです。
たぶん、11世紀の平安末期に国府が高田から直江津に移ったころ、一緒に移った府中八幡宮が総社になったのでしょう。

府中八幡宮の祭神は、誉多別尊(ほむたわけのみこと=応神天皇)、沼河姫(ぬなかわひめ)、建御名方命(たけみなかたのみこと)とあります。

誉多別尊は八幡社の祭神で、宇佐八幡宮から勧請されたもの。
これが府中八幡宮からの祭神です。

建御名方命は諏訪社の祭神で、信濃を開拓したとされる神です。
沼河姫命は大国主命の妻で、建御名方命の母です。
たぶん越後国の神々を集めて総社にしたとき、その主祭神は沼河姫命だったのでしょう。
沼河姫命は高志(越国)の女神で、もとは沼川郷(糸魚川市)の神です。

出雲の神様の大国主が沼河姫命のところへ足繁く通った、という神話は、かつて出雲と越とが緊密な関係にあったことを意味します。そしてその子が信濃を開拓したという神話から、越も信濃も出雲系の渡来人の地域であったことを物語っています。

ついでに沼河姫命の神社について。
糸魚川市に天津(あまつ)神社があります。

祭神は3神で、天孫降臨した天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)、藤原氏の祖神で春日大社の祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)、そして天孫降臨に随伴た太玉命(ふとだまのみこと)。

しかし、境内に奴奈川神社あって、祭神は奴奈川媛命(ぬなかわひめのみこと)、八千矛命(やちほこのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと)。元々はこっちが本来の神社だったようです。

府中八幡宮のことにもどります。
ここはかつて、阿比多館と呼ばれていたそうですが・・・。
西の上越市長浜に式内社の阿比多神社があります。
元は高志山にあった神社で、縁起によると奴奈川姫命、少彦名命、建御名方命が祭神です。
そことどう関係するのか・・・・。
『越後頚城郡誌稿』には府中八幡宮は阿比多神社の古跡であると記されているらしいですが、はて?
 →玄松子の記憶「府中八幡宮」:http://www.genbu.net/data/etigo/fucyu_title.htm
国府が移動してきて、八幡社を移設するときに阿比多神社を移転させ、その後を府中八幡宮としたのか?

ところで阿比多は、日本書紀に百済系の斯那奴阿比多(シナノアヒタ)として登場します。
これとどう関係するのかは不明。

もう1つ。

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直江津駅の駅前通りの商店街の中にある神社。

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「郷社八阪神社」とありますが、あの八坂神社です。

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参道の石碑には「三柱神社」とあって、八坂・諏訪・日吉を合殿しているそうです。
1689年に諏訪社、1803年ころに日吉社を移したそうです。
かつてはそれぞれを別殿に祀っていて「三柱神社」と称していたそうですが、1689年に1つにまとめて「諏訪神社」と改称、さらに1928年に八坂神社と改称したそうです。
「三柱」になる前は、八坂神社だったのですから、元に返ったわけです。
「延喜式神名帳」の郷社・佐多神社とする説もありますが、定かではないらしい。

祭神は、八坂神社祭神の須佐男命(すさのおのみこと)、諏訪神社祭神の建御名方命(たけみなかたのみこと)、日吉神社祭神の大山咋命(おおやまくいのみこと)。

天照大神の姉弟とされる須佐男命も出雲の神様。
やはりかつて越後は出雲との関係が強いところだったんでしょう。

ともあれ毎年、祇園祭が開催されているそうです。

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流れるような屋根の立派な拝殿です。

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神馬舎」とあります。
1610年に徳川家康の6男・松平忠輝が越後に入国した際に八幡宮に寄進をしたものらしい。

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中には白馬とそれをひく猿の像がありますが・・・

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その白馬の目が・・・怖い!(*゚Д゚*)ェ…


 
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