震災遺構:奇跡の一本松、道の駅高田松原を見て [3.11以後]
今年の3月のことです。
息子と一緒に東日本大震災の被災地をツアーしました。
とんちゃんは、弊ブログでもときどき記事にしたように、被災地に立ち寄っていました。
でも息子はテレビでの情報しか知らない。
その目で一度は見た方がいいよ、というので親子というか男2人旅をしました。
昨日に引き続き岩手県最南端の陸前高田市。
市街地の青いところが家屋が流されたところ。
青い部分の真ん中あたりの抜けている部分は、浸水した農地です。
左にある気仙川河口近くへ向かいました。
昨日の記事は、気仙川河口 近くにあった陸前高田市立気仙中学校。
今日はかの有名な震災遺構の「奇跡の一本松」、そして「道の駅高田松原」です。
まず「一本松茶屋駐車場」に車を停めました。
広い駐車場には「一本松茶屋」があって、いくつかのレストランがあります。
ランチはさっき気仙沼市でいただいたので、このお店はパスします。
駐車場から5分程歩いていくと・・・
「一本松」が見えてきました。
すくっと立つ「奇跡の一本松」。
「奇跡の一本松」の説明パネルがあります。
かつてここには7万本の松がある「名勝 高田松原」がありました。
その中の1本の松の木。
東日本大震災の津波の中で奇跡的に1本だけった松の木が「奇跡の一本松」として復興のシンボルになりました。
しかし2015年5月に枯死が確認されました。
そしてモニュメントとして保存することになり、保存処理を施されて、再びここに立っています。
一本松の脇にあった建物は「高田ユースホステル」。
ここも津波で完全に水没しました。
しかも砂地の地盤が津波でえぐられてしまったため、建物の東半分が折れ曲がるように壊れてしまいました。
この建物があったために、奇跡の一本松が残ったと言われています。
一度、駐車場に戻って、少し東に向かいました。
震災遺構の「道の駅高田松原 タビック45」。
解説のパネル。
国道45号線沿いにある道の駅として、1991年に建設されたものです。
津波避難施設としてとして建てられたため、海側から登りやすいよう、海に向けて三角形の外観をしていました。
14.5mの津波に襲われ、建物の上部を残して水没しました。
堅牢な構造だったため建物外観に大きな損傷はなかったのですが、内部は大きく損傷しました。
津波で破壊され、流れ込んだ松の巨木が残された建物内部。
この状態のままで残されています。
向かい側には小さな「東日本大震災追悼施設」が建てられています。
震災で亡くなられた方の慰霊碑や献花台が設けられています。
壁には被災前後の写真が展示されています。
写真は以前の記事からの引用です。
⇒震災遺構旧「道の駅陸前松原」と追悼施設 陸前高田市のいま
駅前通りの被災前。
被災後の駅前通り。
市役所前の被災前。
被災後の市役所前。
市役所庁舎は海から約1.5kmの距離にあり、4階建て建物の3階まで水没しました。
屋上に避難した127人は助かりましたが、100人以上が亡くなったそうです。
そしてこの旧庁舎は2013年に解体されました。
周囲を見渡すと・・・
海に近い市街地は土盛りが行われています。
この上に新しい市街地が作られる予定です。
そして山の方は土が削らて、そっちの高台にも新しい市街地が作られています。
この後、高台から市街地の工事の様子を眺め、仮設住宅のところにも行きました。
震災から6年経ったいまも、まだこうした状態なのです。
新しい市街地に住む人たちは、いまもまだ仮設住宅で暮らしています。
それが自分たちだったらどう思う?
息子への問いは、私自身への問いかけです。
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