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櫛田神社の由来、山笠は祇園神社から [ 神社仏閣]

福岡観光ネタの2回目。

前回紹介した地下鉄祇園駅近くにある「櫛田神社」。
今回はこの神社の誕生について、正確に理解しようと思って主にネットで調べた結果をアップします。
だから、興味のない方はぜひパスしましょう。(笑)
※わかりにくい、という評価をいただいたので、書き換えましけど、まだやっぱりわかり難いかも。

櫛田神社の祭神は、櫛田宮が大幡主命、大神宮が天照皇大神、祗園宮が素戔鳴尊(スサノオ)。

この立て札を注意して見ると。
櫛田神社に3つの祭神がいるんじゃなくて、櫛田宮、大神宮、祗園宮って書いてあります。
宮=神社が3つあるってことなんです。
そしてそれぞれの神社に大祭があります。
これって、ちょっと変わってます。
どうして3つの神社がいっしょなのか。

これが<第1の謎>です。

本殿に進むと、中央が櫛田神社、右が天照大神、左が須佐大神が祭られています。
それぞれに階段があって祭壇があるんです。
確かに神社が3つある。

そして2つの「大神」を左右に従えて中央に「櫛田神社」があるんです。
これも、あれ?って思います。
櫛田神社の祭神・大幡主命は天照や素戔鳴尊より偉いんだ!なんて思ちゃう。

櫛田神社の神様はなんでそんなに偉いのか?

これが<第2の謎>です。

まずは博多祇園山笠HPにある「櫛田神社縁起略記」よると。
http://www.hakatayamakasa.com/kushida.php

「大幡主大神は天平宝字元(757)年に鎮座し、素盞嗚大神は天慶4(941)年、藤原純友の反乱の鎮圧に当たった小野好古が神助を祈願し山城(京都)祇園社から勧請した。天照皇大神についてはあまりに古くて記録にない。
中世、兵火に遭って度々、荒廃したが、天正15(1587)年、秀吉公が博多町割(復興)の実施とともに現社殿を建立、寄進した。古来、商売繁盛、不老長寿の”お櫛田さま“として篤い信仰を集めている。」

前段は3神の由来が書いてあります。
・大幡主命は757年に鎮座
・素戔鳴尊は941年に山城(京都)祇園社から勧請
・天照皇大神は記録がない
後段には、現社殿は1587年に豊臣秀吉が再建した、と書いてます。

不思議なのは、大幡主命がどこから来たのか書いてないってことです。
なぜなんでしょう?

櫛田神社はどこから勧請されたのか?
これが<第3の謎>です。

しかしこれ、謎じゃないっていう人も多いです。

というのも、櫛田神社は三重県松阪市櫛田町にある櫛田神社から勧進された、という説明がありますから。
社伝でもそうなっているそうです。
松阪・櫛田神社の祭神は大若子命・櫛玉姫命・須佐之男・天忍穂耳・市杵島姫。
大若子命は大幡主命のことです。
ぴったりですね。

いや、でもこれ違うんです。
このことは後ほど説明しましょう。

後段に書いてある秀吉の再建のことを先にしましょう。
さっきの引用だと、3つの神様を櫛田神社が祭っていて、その神社を再建したって読めますね。
ところが、そうじゃないようなんです。

実は、もともとは櫛田宮、大神宮、祗園宮の3社が別々にあったんです。
しかし1587年、九州制覇を目論んだ島津が豊臣と戦い、島津軍は博多の町に火を放って敗走。
そのため博多全域が焼失しました。
そして豊臣秀吉が現在の社殿を建立寄進したんです。
そのときに3つの神社を1つに納めんです。
1712年頃の『和漢三才図会』にも、櫛田社の祭神は一座で、大若子命。後に天照大神と素盞嗚を合わせて祀った、とあるそうです。
おっと、ここでも櫛田社の祭神は大若子命とありますね。ちょっと無視してください。

櫛田宮、大神宮、祗園宮の3社は、もともと別だった。
<第1の謎>の解答はこれです。
立て札にあったように神社が3つあるんです。

次に櫛田神社がどこから勧請されたのか、

<第3の謎>の解答をしましょう。

結論から書きます。
平清盛が肥前(佐賀県)神崎の櫛田神社を勧請したんです。

平治の乱の直前の1158年に大宰大弐となった平清盛は、人工港を博多に築き、宋との貿易を本格化させた。
この時に博多の街の整備と櫛田神社の勧請が行われた。

歴史としてはいまや通説なんです。
伊勢松阪の櫛田神社からの勧請とは見られていない。

まとまった説明を紹介しておきましょう。

・橘 朝臣 基嗣さんの「平家が創建した櫛田宮」
http://blogs.yahoo.co.jp/jizai_tenzin/19245865.html

・神崎の櫛田宮HPにも説明があります。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kusidagu/enkaku/enkaku.html
「当時の中国(宋)との密貿易も盛んに行われ、有明海から神埼の荘園にも迎え入れた。この荘園を実質治め巨利を独占したのが平正盛・平忠盛であり、その子の平清盛が平家全盛の時代を迎える財政的な基を神埼の地で築いたのである。
その貿易品や年貢米の積み出し港である博多に分社をつくり、櫛田大明神の御加護を祈ったという説が通説となっている。
*福岡市が市制90周年として発行した『福岡の歴史』(昭和54年10月発行)にも詳しく記されている。」

福岡市総務局編『福岡の歴史』(1979年)を借りてきました。
そこには、博多の櫛田神社の社地は清盛の博多新設時の倉敷で、そこに神崎の櫛田神社を勧請したのだろう、としています。

福岡市の「まるごと福岡・博多」では、こう書いてあります。
「社伝によると創建は8世紀の天平宝字元年(757)。 平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とした平安末期に御託宣により鎮祭され、平家の社領肥前国神崎庄の櫛田神社を勧請したものだと考えられています。」
http://www.city.fukuoka.lg.jp/showcase/theme/db_object_37.html

神崎の櫛田神社を勧請って、ちゃんと書いてあります。
ただし「757年に鎮座」と清盛の勧請をくっつけています。両論併記ってわけ?
でもこれじゃ誤解しちゃいますね。

ともあれ、櫛田神社は平清盛が神崎の櫛田神社を勧請した、ってのが通説なんです。
そんなことだから「櫛田神社縁起略記」ではどこから勧請したのかは、あえて書かずに沈黙し、勧請したと伝わる年だけを書いたんでしょう。

そうだとすると、櫛田神社の祭神はどうなるんでしょう?

神崎の櫛田宮の祭神は櫛稲田姫命、須佐之男命(素戔鳴尊)、日本武命(ヤマトタケル)です。(この櫛田神社のことも最後に少し書きます。)
櫛稲田姫命は、須佐之男命が八岐大蛇の生け贄になるのを助けて、妻とした神様です。
この櫛稲田姫命を祭っているので櫛田宮なんです。

博多の櫛田神社は、この神崎櫛田神社を勧請したんだから、当然、祭神は同じく櫛稲田姫命。
きっと夫の須佐之男命もいっしょに祭られていたでしょう。
他の地域にある櫛田神社の祭神もそうなっていますから。

さて、櫛田神社は太宰の大弐(大宰府の事実上の長官)だった清盛が建立した神社です。
いわば官営の神社。それで博多総鎮守になったんでしょう。

そんな神社だから、秀吉が再建したときも、櫛田神社を中心に置いて、天照大神と須佐大神を従えたんでしょうかね。
ちょっとあいまいだけど、<第2の謎>の解答です。

さらに関連していくつか。

◆天照皇大神の勧請について。
「櫛田神社縁起略記」ではわからない、ってことでした。
けど、こんな説明があるんです。
「大幡主神は元々天照大神にお仕えしている一族の神であったため、天照大神と離れられないということで天照大神もいっしょに勧請されることになった。」なんて。

でもこれは、完全に誤りです。
松阪の櫛田神社の祭神には、さっき書いたように、天照大神はいない。
だから直接には、いっしょに勧請できない。

まぁ百歩譲って、いっしょに来ちゃったとしたら?
それもダメ。
だって、櫛田宮と大神宮は別の神社だったわけで、いっしょじゃなかったんですから。
わざわざいっしょに来て、別居した?そんなわきゃないでしょう。(笑)

現在の櫛田神社で同居だから、ずっといっしょだったんだろう、っていう誤解から生まれた誤った説明なんです。
あっ、いや、現在も宮は3つあるんだから、同居じゃなくって家庭内別居です。(笑)

◆櫛田神社と「祇園」の地名との関係について

博多の櫛田神社は12世紀にできたわけです。
素戔嗚神が942年に八坂神社から勧請されて祇園神社ができたのは、そのずっと前です。
だから櫛田神社の辺りは「祇園」と呼ばれるようになったんですよ。
前回の「祇園」の地名の由来で、なんで「櫛田」って地名じゃないのかなって、ちょっと不思議だったことがこれでやっと解けました。

◆櫛田神社と山笠との関係について
山笠は1241年が起源とされています。
(『福岡の歴史』は1432年としています。このことはまた別の機会に紹介します。)
このときには、もちろん祇園神社がありました。
そして櫛田神社は、それとは別にありました。
いっしょになったのは、豊臣秀吉が再建した1587年ですから。

だから山笠はあくまでも祇園神社の大祭。
山笠が櫛田神社のお祭りになったのは、秀吉による再建以降のこと、ってわけ。

まぁ正確には、立て札にもあったようにいまでも「祇園宮」の大祭ってことになっていますけどね。
でもそういう説明は普通していなくて、櫛田神社のお祭り、って言ってると思いますね。

◆松阪櫛田神社の勧請について

松阪櫛田神社を勧請したという話しは、どうなったんでしょうか?

それは祇園の櫛田神社じゃなくって、早良区野芥にある「野芥櫛田神社」だそうです。
http://www.jinja.sakura.ne.jp/sawaraku1/no43a/
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=8523

それが「757年」だったのかどうかは、よくわかりませんでした。
福岡の歴史をちゃんと調べないときっとわかんないですね。

◆神崎の櫛田神社

博多の櫛田神社に勧請してきた神崎の櫛田神社。
その櫛田神社は、どこから来たのか?
これは今回の本題じゃないので、詳しくは調べていません。

しかし神崎の櫛田神社の裏手には、櫛山とか櫛森があるのを知りました。
これを知って、ピン!と来ましたよ。

「クシ」は古朝鮮語では美称です。
「モリ」は山のことで、しかも神が宿る神籬(ひもろぎ)です。
要するにクシモリと呼ばれた山自体が、神様なのです。
そしてその前に神社を建てた。

その神社の名前を「櫛森神社」とでもすればよかったんですけど「櫛田神社」としてしまった。あるいは変わったのかもしれません。
「櫛田神社」となれば、祭神は櫛稲田姫命です。

そんなわけで、伊勢とは無関係に成立した神社だと思います。


 
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コメント 6

hypo

なるほどです。
by hypo (2012-06-12 05:30) 

とんちゃん

> hypoさん
読んじゃいました?
お疲れ様です。(笑

by とんちゃん (2012-06-12 06:19) 

φ(・ω・)かきかき

へー( ゚Д゚)そーゆー事か。うん、わからん!!
私には理解は出来ないようです。
日本には万神といって、
何にでも神さんがいらっしゃるのですよね。
by φ(・ω・)かきかき (2012-06-12 12:21) 

茶の間おじさん

全て読んだら何がなんやら解らん倍増してます。
by 茶の間おじさん (2012-06-12 21:38) 

とんちゃん

> φ(・ω・)かきかきさん
ごめんなさい。
神様の話は、よくわからんですね。
by とんちゃん (2012-06-13 04:42) 

とんちゃん

> 茶の間おじさん さん
よくわかんないものを書いて、ごめんなんさい。
読んで、損しましたね。

by とんちゃん (2012-06-13 04:43) 

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