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震災被害の復旧はまだまだ続く@福島県相馬市 [3.11以後]

昨年の東日本大震災の大津波で、東北・北関東の太平洋沿岸は甚大な被害を受けました。
お亡くなりになった方々のご冥福を改めてお祈りいたします。

とんちゃんも何度か被災地に伺いました。
どこも胸を締め付けられる光景が広がっています。
そんな中で、「食べて支援」などと脳天気なことを書きつづってきました。

このブログは「美味しく食べたところ、美味しく食べたもの。心地よく泊まったところ、気持ちよく入った温泉。」の記録。
要するに、もともと脳天気なブログなのです。
ただ、そういうものを提供してくれる人たち、特に地方のそういうところにエールを送りたい、という気持ちがありました。
だから、再起してがんばっているところを食べて支援、と紹介しました。

しかし、そうしてがんばっているピンポイントの努力の周囲には、今もまだ荒れた光景が延々と広がっているのです。
美しい話の一方で、復旧まで未だ道半ばの被災地の重い事実が厚く残されています。
それも書き留めておこうと思います。
被災地の小さな光を大切にすることは重要ですが、その背後にいまだ広がる巨大な陰の部分。
その一部でもアップできればと思っています。
毎日見る全国紙には、被災地の記事が載る機会が少なく、忘れ去られようとしている観がありますから。

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いま、震災被害の復旧が懸命に行われています。

しかし、残されている復旧作業がまだまだたくさんあります。

hukusima.jpg

福島県の浜通りにある相馬市。

平地部分に水田が広がり、その山側に市街地がある。
砂州でせき止められた松川浦という名の潟湖(せきこ)があり、その上端には漁港を囲む市街地、砂州の付け根の下端には磯部地区の市街地があった。


日本地理学会津波被災マップより。)

そこに大津波が押し寄せた。
赤い部分が浸水域、青い部分が家屋が流された地域です。

砂州の下端の磯部地区。
海岸近くに大きな集落があり、その西側に水田が広がっていた。
集落は流され、水田は浸水しました。

磯部地区の道路。かつては集落の中にあって、バス停があった道。
道路の周りにあった家屋は津波で流されて、街は崩壊し、そのガレキはほぼ片付けられています。
無意識に走ると、ただの原野に見えます。

しかし残っている多くの土台が、かつてはここに家々があったことを静かに物語っています。
土台の周りにあまり雑草生えていない。いや塩害で生えてこないんです。

相馬市は、津波の甚大な被害があった地域を「災害危険区域」に指定し、建築制限を行いました。
ほぼさっきの青い部分です。
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/saigai_kikenkuiki.html

この集落の内陸側には水田が広がっていました。そこに津波が押し寄せた。
さっきの地図で、赤い部分です。

海岸からかなり離れたところにある水田は、津波の海水に浸かったけれども、すぐに海水が引いてくれた。
そうした田のうち、2011年に除塩が行えた田では、今年、2012年には作物を植えることができました。

しかしまだガレキ混じりの土砂が堆積している田は、それを除去しなければとうてい農地として使えない。
そんな田が、たくさんあります。使えない田には、雑草が生えている。

津波によって田んぼに堆積している土砂。
その土砂には、細かなガレキがいっぱい混じっている。
津波で破壊された工場や住宅からのガラス、プラスチック、金属、木材等々の破片が入り込んだ土砂です。
これを取り去らないと、農地としては使えない。

しかし土砂を取り去ると言っても、実は単純じゃない。
堆積した土砂の下には、かつて農地として使った肥沃な土がある。それはできるだけ残したい。
だから土砂を取り除くといっても、ブルでガガーッとやっちゃえばいい、なんていう容易な作業ではない。
堆積した土砂だけを、そーっとはぎ取っていく、そんな繊細な作業が要求される。

そうやって土砂をはぎ取った後に、水を入れて除塩をして、やっと農地として使えるようになる。
ここは被災後3年目の来年に、その作業が始まるのでしょうか。
営農開始は早くて翌4年目でしょうか。

何も生えていない、かつての水田。
「災害危険区域」に指定された磯部地区の集落(地図の青い部分)のすぐ西に広がる水田です。
海からの土砂が厚く積もって、塩分濃度が高いために、雑草も生えない。
そんな光景が、海岸に近いところには広がっています。

ここは、ガレキ混じりの土砂が厚く堆積し、しかもかつて農地であったときの表土は波で削られて流出してしまった。
ガレキ混じりの土砂を取り除き、除塩して、さらに新しい土を客土して、初めて農地として復旧される。そんな状態です。
ここは3年目の来年にも、まだ手が着けられないのではないでしょうか。
こういう全くの手つかずのところが広大に広がっています。

ところで、取り除いた土砂は、細かなガレキが混じっているから、そのままでは処分できない。
土砂とガレキを分別する、という作業がさらに残されている。
フルイにかけて、細かな破片を取り除く・・・。気が遠くなりそうな作業です。
しかしそんな作業はまだ始まっていません。

大震災で被災した方々は仮設住宅に住まわれていて、新らしい住宅をどう確保するのかがいま重大な課題です。
しかし移転先の用地が確保されたところは、まだわずかです。

農地についても、復旧が図られたところは被害の軽微だった部分です。
まだまだ復旧作業は続けられています。
来年いっぱいかけても、復旧作業は終わりきらないようです。
災害復旧工事は、災害年を含め3年以内に終わらせることが原則になっています。
しかしそれは無理そうです。

解散だ総選挙だと騒いでいる人たちが東京にいますが、それどころではない現実が、いまだに東北にはたくさんあります。
彼らの頭の中では、そんなことはもう、過去のことなのでしょうか。
マスコミ、ジャーナリズムはどうなんでしょうか。
いや、私たちの心の中からも消えてはいないでしょうか。


 
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hypo

何か、歯がゆいですね…。
by hypo (2012-11-08 06:07) 

茶の間おじさん

記録し語り継ぐ勇気が必要なんですね。
by 茶の間おじさん (2012-11-08 18:08) 

式守錦太夫

今回のniceは、つけようか迷いましたが、
とんちゃんさんの思いに対して、おつけしました。

現場で汗を流す人、そのために予算をつける行政、
その行政が動きやすくするための政治。
それぞれが持ち場を守り、動くことが広義の支援だと思っています。
私は表土を削ることはできませんが、日々の生活の中で、
持続可能なアクションを続けていきたいと思っています。

脳天気だなんておっしゃらないでください。
支援の方法は一様ではないのですから。
今後もレポをお願いします。
by 式守錦太夫 (2012-11-09 03:13) 

とんちゃん

> hypoさん
被災した方々は、どう思われているのか。
少なくとも「忘れない」ということが大切なんだと思います。

by とんちゃん (2012-11-10 18:11) 

とんちゃん

> 茶の間おじさん さん
まずはわたしにできることをしようと思います。
震災「ブーム」が過ぎ去って、忘れられていくことが一番怖ろしいな、と。
by とんちゃん (2012-11-10 18:14) 

とんちゃん

> 式守錦太夫さん
私の思いに同感、ってことで、ありがとうございます。
「広義の支援」
そうですね。
せめてそれをしたいな、と思います。
そしてそういう輪を広げたいです。
by とんちゃん (2012-11-10 18:19) 

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