虎ノ門に江戸城の外堀跡が(その2) [旅行先]
昨日に引き続き、虎ノ門に江戸城外堀跡があることを知って、見学した記事です。
虎の門交差点近くに江戸城外堀の石垣が残っているのです。
昨日は堀の角にある楼台を紹介しましたけど、今日は文部科学省敷地内の石垣です。
文部科学省の脇に出て来る銀座線「虎ノ門」駅の11番出口。
霞ヶ関コモンゲートや霞が関ビルをバックに石垣があります。
ガラスの塀で囲ってある。
その内側はこんな感じの立派な石垣。
何の説明書きもないみたいですけど、実はちゃんと展望場所があるんです。
「展望」と言うと、高いところから眺めるみたいに思いますけど、その逆。
地下に展望スポットがあるんです。
虎ノ門駅11番出口の地上へのエスカレーター手前。
左側の壁に【史跡 江戸城外堀跡 地下展示室】の案内があるんです。
これに気づく人はいったいどれくらいいるだろ。
地上へのエスカレーターではなく、その左にある階段かエレベータで向かいます。
ここが【史跡 江戸城外堀跡 地下展示室】。
正面にさっきの石垣。よく見えますよ。
見えている石垣の説明。
高さ7.4mの石垣のうち、堀の水面から上の部分が見えるようにしてあるそうです。
石垣は何度か改修されているそうで、オレンジ色の線の上は江戸末期に改修された部分だそうです。
この写真は、この後に紹介する文部科学省の中庭の石垣の説明にあったものですけど、こんな形で残っていたそうで。けている部分を復元したそうです。
展示室には解説のパネルが設置されています。
【江戸城外堀普請と虎ノ門】
現在の地図にかつての外堀の地図を重ねたもの。
右上の「虎御門」は現在の虎の門交差点付近。
丸印が現存する石垣や楼台で、それらは外堀の西岸に当たるそうです。
【江戸城外堀と現在の東京】
江戸に幕府が置かれたのは1603年。
江戸城は1604年から1636年にかけて造られた城郭ですって。
外堀は築城最終期に造られたもので、延長14kmもあるそうです。
明治維新後に外堀の一部は埋め立てられますが(地図の青い部分)、道路や鉄道などに利用されているそうです。
【江戸城外堀普請(土木工事)の技術】
工事は多くの大名が行い、大量の石を切り出すため、石材が規格化されていたそうです。
伊豆が石材の産出場所(地図の緑色部分)で、石切り場(オレンジ色の点)で規格化された石材に加工されて、海路で江戸へ輸送されたそうです。
文部科学省新庁舎と旧文部省庁舎(右奥)の間にある中庭。
そこに石垣があります。
階段を下るとしっかり石垣。
その反対側に解説があります。
平成16(2004)年の合同庁舎建設のときに発掘調査が行われたそうです。
ここには外堀に面した石垣があったけど、明治以降に埋められたそうで、それが70mも発掘されたそうです。
【地形を利用した江戸城外堀】
江戸城は高台に位置し、台地の縁や谷を使って外堀が造られたそうです。
地図の白い部分が低地で、外堀がつくられ、それ以外の低地は埋め立てられたそうです。
「溜池」って、谷だったんですね。
【寛永13年の外堀石垣】
寛永13年は1636年、江戸城工事の最終年です。
石垣の構造について説明がありますけど、あっしには、よくわからない。
堀の内側の石垣は堀の外側の石垣よりも高くして、防御になっているんですね。
さっきの石垣は堀の水面から上の方まであったんですけど、ここの石垣は下の部分だけのようです。
【石垣の刻印】
外堀の石垣は60家の大名に分担させたのですが、石材に各大名の刻印が付けられているそうです。
こんな感じです。
【江戸城と江戸城外堀跡】
国史跡の牛込・赤坂間の堀、さらに雉子橋(きじばし)・常盤橋間の日本橋川、東京駅・有楽町駅東から虎の門へが外堀でした。
外堀の延長は千代田区の外周をめぐる約10kmと書いてあります。
さっきは14kmだったけど、この差の4kmは何でしょう?
【近代の外堀と霞ヶ関】
霞ヶ関が中央官庁街になった説明が書いてあります。
面白いのは「近代の外堀」のこと。
明治20年頃には外堀を下水溝に使っていたんですって。
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