箱館戦争の土方歳三に想いをはせる、二股口古戦場跡と土方最期の地 [旅行先]
9月の初め、札幌の実家に帰省したときのことを連載中。
帰省ついでに函館観光。カミサンが土方歳三の大ファンなので、土方関連の場所をいくつかめぐりました。
函館初日、ホテルへ向かう途中で土方歳三函館記念館へ。
⇒土方ファンならずとも感動しちゃう 土方歳三函館記念館、五稜郭タワー
2日目の五稜郭タワーと五稜郭も土方関係の場所です。
⇒箱館五稜郭の中心、箱館奉行所が材料も工法も当時のままに復元されてる!
さて、3日目。
函館から札幌へレンタカーで向かう途中で、土方ゆかりの場所へ寄りました。
新政府軍と旧幕府軍とが戦った戊辰戦争、その最後の戦闘となったのが箱館戦争です。
旧暦の1868年10月26日に旧幕府軍は五稜郭を無血入城し、11月15日に松前城を落城、12月15日(新暦1869年1月27日)に蝦夷地に箱館政権を樹立しました。
しかし新政府軍は、1869年4月9日に日本海に面する乙部に上陸して、4つのルートで箱館へ進軍します。
そして5月11午前4時に箱館総攻撃が開始され、土方歳三が戦死。5月18日には五稜郭が開城されて、箱館戦争が終了しました。
立ち寄り先のひとつは、土方率いる旧幕府軍が新政府軍の進軍を阻止した二股口古戦場跡。
もうひとつは土方歳三最期の地。
北斗市にある二股口古戦場跡。
(wikipedia「函館戦争」の図に乙部から落部へのルートを加筆。)
新政府軍が箱館へ向けて進軍したルートのひとつが箱館へ至る最短ルート、二股を抜ける峠越えのルートです。それを土方歳三率いる旧幕府軍が迎え撃ちました。
1869年4月13日の正午過ぎから始まった戦闘は、24日未明に新政府軍が撤退するまで続き、土方軍は新政府軍の進撃を食い止めました。
国道227号線を進むと古戦場跡地の入口があります。
こんなのがあります。ここにはあるのは案内板だけで、古戦場跡はもっと奥、個人では簡単に行けない場所にあります。
だから停車せずに通りすがりに眺めるだけにしました。
五稜郭タワーにあったジオラマ。
高所から狙い撃つ旧幕府軍兵士、後ろでは熱くなった銃身を水桶で冷やす兵士がいます。
実際にもこんな戦いが行われようです。
そして土方歳三最期の地。
立寄った順番としては、こっちの方が先です。
函館駅から徒歩10分ほどのところにある若松緑地公園。
函館市総合福祉センター(あいよる21)の敷地内にあるので、同センターの駐車場を使えます。駐車場入口はセンターの裏側です。
ここに土方最期の地があります。
「土方歳三最期の地」の案内板。
土方最期の地は諸説あるそうですが、一本木の関門の近くだ!という説が有力らしい。
一本木は交通の要所で、旧函館市街(いまの元町)から五稜郭へ至る道と松前への街道との分岐点でした。蝦夷地に箱館政権を樹立した旧幕府軍は、ここに関所を設けて、通行税を徴収していました。そして関所から海岸へ長い柵が設けられていたそうです。
1869年6月20日、新政府軍による箱館総攻撃の日に、土方はその関門近くで戦死しました。
柵と関門のイメージを再現しています。
五稜郭タワーにあったジオラマでは、ここから馬で出撃する土方の姿が再現されていました。
土方歳三最期の地碑。
いまでも多くのファンが花を手向けるので、花が絶えることが無いそうです。
コメント 0