再開された道の駅でお土産にフカヒレ?唐辛子にしました 道の駅大谷海岸@宮城県気仙沼市 [3.11以後]
宮城県気仙沼市本吉町にあるJR気仙沼線大谷(おおや)海岸駅は【日本一海水浴場に近い駅】だった。写真右下のオレンジ色のところです。
その大谷海岸駅に併設されるような形で道の駅「大谷海岸」が設置された。
「はまなすステーション」という名称の道の駅には、レストランや物産館、飼育したマンボウを観察できるマンボウアクアリウムなどの施設が設けられていた。
http://www33.tok2.com/home/m35rx4/michinoeki-oyakaigan.htm
(日本地理学会津波被災マップより。)
しかし津波で周囲はすっかり流され、道の駅も甚大な被害のため取り壊された。
しかし2011年4月29日に道の駅が再開されました。
現在の道の駅「大谷海岸」はプレハブ住まい。
農林水産物直売センターと食堂が入っています。
石ノ森章太郎のまち@宮城県石巻市 [3.11以後]
宮城県石巻市は【石巻マンガランド構想】なるものを作って、マンガによる町づくりをしている。
その中心が石ノ森章太郎のマンガで、石ノ森萬画館がある。
「萬画館」はタイプミスじゃないですよ。
石ノ森章太郎は、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、「萬画」を提唱して「萬画宣言」を発表。自らの職業を「萬画家」と称したんです。
だから【萬画館】なんです。
石ノ森萬画館は、北上川河口近くの大きな中州にある。
その中州の地形がニューヨーク市がマンハッタンに似ているから、萬画館建設計画につけたプロジェクト名が「マンガッタン計画」。
これ、ホントの話なんです。(笑)
ちなみに石ノ森章太郎は、現在では隣の市になる登米市の中田町石森地区(旧石森町)の出身。それで石森章太郎と命名したんです。
ところでこの「石森」は「いしのもり」と読むのが本来。
ところが「いしもり」と読まれてしまうことから、「石ノ森」と改名したそうです。
さてその石巻市は、漫画のキャラクターでいっぱいです。
被災地の様子:仙台市 [3.11以後]
東日本大震災で宮城県も大きな被害をうけました。
津波の被災地が現在、どうなっているのか。
少しだけですが見て参りました。
仙台市の中心部から海岸までは、6キロほどの距離です。
南の名取川と北の北七田川の間に若林区があります。
その若林区の荒浜地区に行きました。
市街地が消滅、しかし・・@岩手県陸前高田市 [3.11以後]
岩手県の陸前高田市。
陸前高田市は岩手県の三陸海岸の最も南にある都市です。
三陸地方は山が海に迫っている地形のため、海岸近くの狭い平地に街がつくられてきました。
そこに東日本大震災の大津波が押し寄せてきたため、三陸の街は甚大は被害を被りました。
日本地理学会 津波被災マップ:http://map311.ecom-plat.jp/map/map/?mid=40&cid=3&gid=0
赤い部分が津波の浸水地域。
陸前高田市の全体に広がっています。
湾全体からの津波が狭まった陸地に押し寄せたため、奥の方まで浸水した。
青いところが家屋が流されたところ。
白っぽい「+」が市役所の位置です。
市街地が壊滅的被害を被ったことがわかるでしょうか。
青い部分の真ん中あたりの抜けている部分は、浸水した農地です。
震災直後、テレビでも陸前高田市の津波の様子がテレビで放映されました。
で、今はどうなっているのか・・。
6階建てアパートの5階まで津波が押し寄せてきた。
震災被害の復旧はまだまだ続く@福島県相馬市 [3.11以後]
昨年の東日本大震災の大津波で、東北・北関東の太平洋沿岸は甚大な被害を受けました。
お亡くなりになった方々のご冥福を改めてお祈りいたします。
とんちゃんも何度か被災地に伺いました。
どこも胸を締め付けられる光景が広がっています。
そんな中で、「食べて支援」などと脳天気なことを書きつづってきました。
このブログは「美味しく食べたところ、美味しく食べたもの。心地よく泊まったところ、気持ちよく入った温泉。」の記録。
要するに、もともと脳天気なブログなのです。
ただ、そういうものを提供してくれる人たち、特に地方のそういうところにエールを送りたい、という気持ちがありました。
だから、再起してがんばっているところを食べて支援、と紹介しました。
しかし、そうしてがんばっているピンポイントの努力の周囲には、今もまだ荒れた光景が延々と広がっているのです。
美しい話の一方で、復旧まで未だ道半ばの被災地の重い事実が厚く残されています。
それも書き留めておこうと思います。
被災地の小さな光を大切にすることは重要ですが、その背後にいまだ広がる巨大な陰の部分。
その一部でもアップできればと思っています。
毎日見る全国紙には、被災地の記事が載る機会が少なく、忘れ去られようとしている観がありますから。
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いま、震災被害の復旧が懸命に行われています。
しかし、残されている復旧作業がまだまだたくさんあります。
福島県の浜通りにある相馬市。
平地部分に水田が広がり、その山側に市街地がある。
砂州でせき止められた松川浦という名の潟湖(せきこ)があり、その上端には漁港を囲む市街地、砂州の付け根の下端には磯部地区の市街地があった。
(日本地理学会津波被災マップより。)
そこに大津波が押し寄せた。
赤い部分が浸水域、青い部分が家屋が流された地域です。
砂州の下端の磯部地区。
海岸近くに大きな集落があり、その西側に水田が広がっていた。
集落は流され、水田は浸水しました。
磯部地区の道路。かつては集落の中にあって、バス停があった道。
道路の周りにあった家屋は津波で流されて、街は崩壊し、そのガレキはほぼ片付けられています。
無意識に走ると、ただの原野に見えます。
しかし残っている多くの土台が、かつてはここに家々があったことを静かに物語っています。
土台の周りにあまり雑草生えていない。いや塩害で生えてこないんです。
相馬市は、津波の甚大な被害があった地域を「災害危険区域」に指定し、建築制限を行いました。
ほぼさっきの青い部分です。
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/saigai_kikenkuiki.html
放射線被ばくによる健康被害を防ぐにはビタミンCがいい [3.11以後]
長崎ネタの途中で割り込み1つ。
原発関係です。
放射能にビタミンCが効くという情報がありました。
知ったきっかけはモカさんのブログです。
http://happymeal.blog.so-net.ne.jp/2012-05-15
YouTube上のビデオが公開されています。(この記事の最後にも載せておきます)
http://firstlaw.wordpress.com/
発信源は「点滴療法研究会」、メインスピーカーは柳澤厚生氏です。
英語の部分がありますけど、そこは飛ばしても問題ありません。
その内容のポイントをいくつか紹介します。
ビデオのPart1では、ビタミンCが放射線被爆に効果がある、という根拠が明かされます。
根拠となる論文の1つは、福島原発事故の1年前、2010年3月に日本放射線影響学会の英文機関誌であるJournal of Radiation Research誌に載った論文を紹介しています。
その論文とは、「アスコルビン酸(ビタミンC)の前投与はマウスの大量放射線暴露による致命的な胃腸症候群を防御する」というもの。
驚いたことに発表したのは
防衛医科大学と陸上自衛隊の医学研究者らなのです。
その研究は、1999年の東海村JCO臨界事故で外部被ばくした患者が治療の甲斐なく亡くなられたことを教訓に、急性放射線外部被ばくに対する治療の研究として行われたものだそうです。
その研究の内容は・・
マウスに14Gy(グレイ)の放射線を照射すると、胃腸の粘膜が剥がれ落ちる致命的な胃腸症候群を起こし、2週間で全部が死亡した。
しかしマウスに体重あたり150 mg/kgのビタミンCを経口で3日間与えてから放射線を照射したら、2週間後で60%が生存、24日目で42%生存し、それ以後60日迄の観察期間の中で死亡したマウスはいなかった。
そして論文は結論でこう考察しています。
ビタミンCがフリーラジカルの生成を抑えることによりDNAの障害を防ぎ、急性放射線被ばくによる胃腸粘膜障害を防げた。
すごいことに、さらにこうも書いてあるそうです。
「我々が放射線事故またはテロに遭遇した直後、放射線で汚染された地域から犠牲者の救出を行う前に、レスキュー隊の隊員がすぐにアスコルビン酸を経口的にとることが重要である」。
アスコルビン酸はビタミンCのことです。
JCO臨界事故を無駄にせず、事後の準備をしていた防衛省は、こういうことを事故の前にわかっていたんです。
そしてPart2では、もう1つ驚きの事実が語られます。
福島の現地に行く自衛隊員はビタミンCを飲んでいた。
自衛隊はしっかり対応していたようです。
しかし自衛隊以外の東電関係者や民間人には、そうした対応はされていません。
政府は知っていたはずなのに、どうしたことでしょうか?
柳澤氏らは、ビタミンC使用についてマスコミを含めて各方面に書簡を送ったそうです。
しかしどこからも返事がなかった。
そこで2011年3月29日に国際オーソモレキュラー(栄養療法)学会から「放射線被ばくに関する公式声明」を発します。
そして厚生労働大臣宛に書簡を送りました。
公式声明:http://web.me.com/mr21/iv-therapy/Radiation.html
大臣宛書簡:http://web.me.com/mr21/iv-therapy/Radiation2.html
しかし書簡への返事はなかった・・。
さらに柳澤厚生らの研究も紹介されます。
福島での作業員の遺伝子や血液のマーカーを調べたら、遺伝子の異常がある人が5人いた。
彼らにビタミンC点滴などを実施した結果、遺伝子異常が修復したというのです。
フランスで2つの原発事故があったのに、日本では全く報道されていないのです。
7月3日に、フランスのトリカスタン原発で爆発事故が発生。
9月12日に、フランスのマルクール原発で爆発事故が発生。
一部で報道はあったみたいですけど、いったいどうなってるんでしょう・・。
こうして、ビデオはビタミンC摂取の効果と原発廃止を語った内容になっています。
さてそれで、どれくらいのビタミンCを摂取したらいいのか・・。
「声明」に詳しく書いてあります。
その1つ。
妊娠可能な女性(体重50kg)が自然界より2倍以上高い放射線量の環境で住む場合は
ビタミンC1回1-2gを1日3-4回とあります。
そのほかの栄養素のことも書いてあります。
しかし、ビタミンCサプリメントは数グラムを越えると下痢や胃腸に不快な症状が出るので、最初は1回1gを1日4回から始め、少しずつ増量する、とあります。
大塚製薬のサイトでも、一度にg単位(2000mgなど)摂取すると下痢を起す場合がある、と書いてます。
http://www.otsuka.co.jp/health/vitamin_qa/vitamin_c.html
気をつけましょうね。
気になるのが、ビタミンCを大量に摂取するとどうなるか・・・。
ビタミンCは「水溶性ビタミン」なので、過剰摂取したとしても尿として体外に排泄されるので問題ありません。
ちなみにビタミンEとかビタミンDとかの「脂溶性ビタミン」は、肝臓などの体内に蓄積されて、過剰摂取は副作用が出る恐れがあるので要注意ですけどね。
ただし尿路結石の既往のある人は酸化マグネシウムと一緒に摂取するように、と書いてあります。
体内でビタミンCの一部がシュウ酸になって、腎臓結石や尿路結石ためという説があるからです。
沖縄復帰、米軍基地そして原発 [3.11以後]
長崎旅行の記事を連載している途中ですけど・・・時期を逃してはいけないの割り込みです。
昨日の朝、朝日新聞を見ていたら、第6面に大きな意見広告が載っていました。
米軍普天間基地閉鎖、辺野古移転案断念、米海兵隊撤退を訴える意見広告です。
その意見広告の大きな写真は、強烈です。
野球の練習をする小学生たちのすぐ頭の上を米軍機が飛んでいるのです。
普天間第二小学校の様子だそうです。
この意見広告を出したのは「沖縄意見広告運動」というところ。
HP:http://www.okinawaiken.org/
意見広告のpdfを見ることができます。
沖縄がアメリカ合衆国の施政下から日本に返還されたのは、1972年(昭和47年)5月15日。
今年は沖縄復帰40年、日米安保60年の年なんです。
沖縄は日本全体のたった0.7%の面積しかないのに、そこに在日米軍基地の実に75%がある。
日本政府が押し付けているんです。
そして毎年1900億円もの「思いやり予算」が米軍基地のために使われています。
政権が替わっても、政策は変わっていない。
その大金は、そんなことに使わずに、東北復興に使われるべきです。
沖縄に米軍基地を押しつける、という強制は日本政府が行っていることです。
「そんなに重要なら本土が基地を引き取ってほしい。」
そんな意見を「ニュースの本棚」で東京経済大学の戸邊准教授が紹介している。
本土に基地受け入れを!
沖縄の「県外移設」論は、「敵対性をあえて強調するぎりぎりのところで発せられた、本土の私たちへの希求でもある。」と戸邊氏は書いている。
沖縄に基地を集中させているのは、政府の仕業です。
しかしその裏には本土の「日本人」が持つ沖縄県民への差別意識がある。
敵対性の強調によって、そういう差別意識の自覚が喚起させることを期待したい。
原発を過疎地に押しつけるのにも、それと似た構図があると思います。
都市の人が持つ過疎地への差別。
しかし原発事故は地方都市も危ないことを明らかにしました。
そんなに重要なら東京に原発を作ろう。
ずいぶん昔に挑発的に掲げられた意見です。
もちろん真意は、原発も基地もなくすることです。